第379話 楽しいけれど幸せじゃない
「事務所に帰るわね。また明日どうするのかだけ連絡をちょうだい」
なんか面接をした咲良社長のほうがふらふらになってカラオケ店から先に帰っていったけど、なんだったんだろうか。
カラオケ店で最初に伝えた時間も来てしまったし、明日以降の打ち合わせもあるので僕らは河岸を変えることにした。
シャノンさんとエリスさんがいるのでお酒が飲めることはマストで、この時間にやってて、できれば話の漏れない個室のあるところかあ。
というか、歌舞伎町の代筆屋のところにも行きたいから、もう歌舞伎町でいいか。
キャッチに着いていかなければ大丈夫でしょ。
とは言えニーナちゃんがいるから、あんまり大人のお店ってのもな。
うーん、肉で良いか。
アーリアでは案外、がっつりと肉を食べることは少ない。
肉の流通量が少ないのだ。
基本は鶏か羊。
それも年老いたり病気になったりで、潰された家畜の肉である。
というかこの二種が家畜として便利すぎるんだよな。
羊は羊毛が穫れる。羊乳が穫れる。肉と皮が穫れる。で、無駄になるところがない。
鶏は言うまでもなく、卵の生産量が半端無いし、もちろん肉も食べられる。
というわけで、せっかく日本に来たんだから牛肉を食べてもらおう。
アーリアにも牛はいるんだけど、そのパワーを動力として活用するのが主で、その肉を食べるのは病気や老衰で死んだときだけらしくて、一般市民の口にはなかなか届かないんだよな。
農家の人たちでちゃっちゃと食べてしまうらしい。
そしてアーリアは豚がいない。
まあ、豚って猪を家畜化したものだし、人間が猪を家畜化しなければ発生しない種ではある。
繁殖力から食肉にするにはとても便利なのだけど、今から家畜化したとして、豚になるのは何年後? って話だ。
一応東の森に猪は存在するらしいけど、あそこって魔物の巣窟だから、わざわざ猪を狩りに行く狩人がおらんのよな。罠を仕掛けても、魔物に横取りされるだけだし。
森に恵みが充分にあるためか、猪が人の生息域にやってきて畑を荒らすようなこともないらしい。
さて話を戻して牛肉を食べることにしたけど、いわゆる焼き肉にするか、鉄板焼きにするかという問題が残る。
多分なんだけど、いわゆる焼き肉店のお肉だと、薄い!って文句が出そう。かと言って鉄板焼きだと、目の前で焼いて貰ってる最中にシャノンさん、エリスさんあたりが我慢ができなくなって肉に手を出しそうで怖い。
アーリアの話がバンバン出るだろうし、個室焼き肉店しかないな。
スマホでサクッと検索して、評価がちゃんとしてそうなところに電話する。
テーブル席で予約を取って、さっさと移動。
というか、僕はカラオケ店でほとんど手を付けてないから食べられるけど、こっちのメンバーは大丈夫かな?
「お肉の専門店に来たんだけど、まだ食べられる?」
「肉か? 珍しいな。屋台かなんかか?」
いや、そこまで珍しくはないでしょ。
肉串焼きの店とかは普通にある。大体羊肉だけど。
「一応店舗。お酒はあるよ。今日の魔石の稼ぎがまだまだ残ってるから好きなだけ食べて飲んでいいけど、その代わり、明日からもちょっと頼みを聞いてほしい」
「さっきはなんだか落ち着きませんでしたから、今度こそお二人のお祝いですわね」
「だな! 子どもでもできたんか? メルは安静にしといたほうがいいぞ」
「ごほっ!」
唐突に差し込まれた言葉に僕はむせ込んだ。
「あはは、まだ子どもはできてないね」
メルはないないと手を振って否定する。
「なんだ。違うのか。なにかケジメを付けるようなことでもあったか?」
「ん~」
メルが思案げにこちらを見るけど、せっかくの雰囲気に水を差したくなくて僕は首を横に振った。
「ま、いろいろちょうど良かったんだよね。私もやりたいことが一段落したし」
「そうだったな。お前は親の弔いも済んだし、今度は自分の人生を生きる番だ。好きなことをして、好きなやつと生きる。楽しいことばっかじゃねーし、しんどいことも多いけどよ、そいつが幸せな人生ってやつだ」
エリスさんがメルの頭をくしゃっと撫でる。
「うん。私は幸せになるよ。そう決めたんだ」
メルの笑顔は太陽みたいに眩しい。
不安を一切感じていない、未来を信じる者の笑みだ。
「メルさん、少し変わりましたね」
ロージアさんが隣に来てそう言った。
「そうですか? メルは前からあんな感じだと思いますけど」
「カズヤさんの目は節穴ですから」
ニコニコとしたままロージアさんは言う。
ひどい。ひどすぎない?
「失礼。メルさんを見るときだけでしたね。カズヤさんの目が節穴になるのは」
あんまり変わってないんだよなあ。
「少しは改めたつもりなんですけど」
「今のメルさんは幸せそうで何よりです。以前から楽しそうにはしていましたけれど、幸せそうではありませんでしたから」
「楽しそうだけど、幸せそうじゃない?」
楽しいと幸せは割と近い概念だと思うんだけど、そこって相反することあるんだ。
「これは私の考え方ですから他人に強制はしませんが――」
ロージア先生はそう前置きをする。
「楽しいからと言って幸せだとは限りません。そうですね。日本語で説明するのは難しいのですが、楽しさというのは非常に能動的な感情です。動きがある。それに対して幸せとは状態を指しています。反対の感情になりますが、苦しいと不幸を考えて見てください。苦しさとは能動的です。こちらも動きがありますね。不幸は状態です。苦しいけど楽しいということはありますけど、不幸だけど幸せだというのは、あまり一般的ではないですよね。そもそも不幸という言葉が幸せではないという意味ですし」
「つまり楽しさや苦しさはベクトルのようなものなんですか?」
「ベクトル?」
「つまりエネルギーです。力です。仮にですが、正方向へ向かう力を楽しいとして、負方向へと向かう力が苦しい。それによって自分が引っ張られて、移動する位置が正の値であれば幸せで、負の値であれば不幸、と考えることはできませんか?」
ロージアさんは首を傾げる。
背景のお花もなんだか元気が無い。
「あの、カズヤさん、難しく考えすぎではないですか? 理屈を捏ねてみた私が言うのもなんですが、こんなのは感じ方の問題ですよ。メルさんはいつも楽しそうにしていた。けれど、いつも必死でもありました。それはそうですよね。彼女は常に両親の仇を取るためだけに頑張っていたんですから。両親を喪ったという負債を取り戻そうとしていただけです。その過程が楽しかったとしても、決して幸せではなかった」
「なら最初からそう言ってくださいよ」
「私だっていつでも人に伝えるために物事を意識しているわけじゃないんですから、無理を言わないでください」
プンプンとロージア先生はお怒りだ。
それはそうか。僕が勝手に先生って呼んでるだけで、ロージアさんは僕とそれほど年の変わらない普通の女性でした。




