第375話 金型を発注する
『おう、生きてたか』
何回かのコールの後で歌舞伎町の代筆屋は電話に出た。
「結構危ない橋は渡ってきましたよ。見積もりの結果を教えていただきたいんですが、どうでしたか?」
『いまPDFって見られるか?』
「スマホで見るしかないですね」
『じゃあそれはそれでメールするが、とりあえず口頭だ。簡易的な金型はアルミで作るものだ。こいつの価格が16億円。真っ当な金としての値段だってことは忘れるな。鋼鉄で作った金型は45億円だ。印刷屋からの伝言だ。この金型を使いこなすには相応な熟練者が必要だとさ。制作費も馬鹿にならんよ』
まあ、あの複雑な形状を金型に溶かした銀を流し込んで成形し、それが壊れないように金型を取り外さなければいけないわけでしょ。
組み立てて、成形して、取り外した瞬間に、もう組み立てるのが無理になりそう。
牛乳のジグソーパズル並みにややこしい工程になるだろう。
「実際の金型作成を印刷屋にお願いするわけでもないでしょうし、現物の製作については金型を作ってくれるところから紹介してもらいます。色々な状況を鑑みるにまずアルミのほうを用意してもらっていいですか?」
『金はあるのか?』
「ダンジョンで32億円稼いだところです。2億ちょいはもう使っちゃいましたけど、まあ、この感じなら45億も近いうちに集められると思います。支払いは小切手でもいいですか? 現金を持ち歩くには量が多すぎますので」
『綺麗な金ならまあいいだろ。その代わり、真っ当に取引するなら消費税が乗るぜ?』
「あー、10%ですね。分かりました。それはお邪魔したときに書きますよ。契約書の作成はお願いしますね」
『あー、乗り気なところを悪いが印刷屋から提案だ』
「提案、ですか?」
『金型は金がかかりすぎる。ものがあまりにも複雑で、加工会社の負担が大きい。そこで消滅金型というものを作ってはどうか? ということらしい』
「消滅金型、ですか?」
『俺もよく分かってないが、製造時の手間が格段に減るらしい。単価は上がるが、初期費用も抑えられる。大量に生産するといずれ普通の金型のほうが安く付くらしいが、とりあえず試作品はこれで作りたいそうだ』
「分かりました。それだと初期費用はどれくらいになるんですか?」
『二千万でいいらしい』
「安っす!」
落差が激しすぎる。
『それとは別に完成品ひとつにつき500万がいまの見積もりだそうだ。だからとりあえず試作品をひとつということであれば2,500万だな』
「ちなみに製作期間は?」
『消滅金型のほうが遙かに早い。アルミの金型でも数ヶ月はかかるらしい。消滅金型でいいなら来週の末くらいまでには試作品を用意できるそうだ』
「なるほど。分かりました。その消滅金型というので試作品をまずは作ります。先方には無理に急がなくていいと伝えてください。来週の末だと、僕は地元に戻っているので、こちらに出てくるのが結構手間なので」
『ああ、関西訛りがあると思ってたが、まだ在住だったか』
「そうなんですよね」
そんなに訛ってるんだ。ちゃんと、標準語で喋ってるつもりなんやけどな。
『ではそういうことで3,000万くらい持って来い。綺麗な金があるんだろ?』
「分かりました。小切手でもいいですか? 通帳の残高証明書もあります」
『俺への報酬は現金で持ってくるならいいよ』
「では、それで」
まずは結界装置の試作品を作って、その動作確認だな。
そして未来のためにもうひとつ、仕込みがいる。
「それと印刷屋さんに別のお願いがあるんですけど、仲介をお願いしても良いですか?」
僕の言葉に代筆屋は少しだけ思案の時間を作った。
そんな警戒しなくてもいいじゃん。
僕はあなたにすんごいお金落としてるよ。
『仕事の内容によるな』
「CADについて学びたいんです」
『それならいくらでも教えてくれるところがあるだろ?』
「僕が求めるのはCADだけの一般的な使い方ではありません。印刷屋さんは色々と手広く技術を修めている方でしょう? 僕がしたいことを実現化できそうな知り合いが他にいないんですよ」
『したいこと?』
よく聞いてくれた歌舞伎町の代筆屋!
こっちからどう切り出すものか迷っていたんだ。
僕は周りにこの会話に注目している人がいないことを確認して声を潜める。
「誰でも使える劣化回復魔法の技術を、出元を分からないように拡散させます」
『またすごい話が出てきたな。回復魔法を誰でも使えるだって?』
「厳密には回復魔法スキルではありません。これは小さな傷を癒やすのに何十分もかかる。基本的には体力回復を目的とした技術です。ですが回復魔法同様に他人にかけることもできる。それが普及した場合、世界に与える影響は、おそらくあなたなら一般人より遙かに理解できる。そうでしょう?」
元警察官の歌舞伎町の代筆屋。
あなたは応急手当の重要性をよく知っているはずだ。
心臓が止まって胸骨圧迫を始めるまでの猶予時間は2分。それを過ぎると急激に救命成功率は低下する。2分以内に始められたとしても生存率は90%だ。
そして多くの人は救命技術など持ち合わせていない。
AEDを使えばいい?
とんでもない。あんなものは補助具だ。
救命者が適切に胸骨圧迫を行うことを前提に、AEDは作動する。
説明書きと機械が発する説明に従って、ペタペタと電極パッドを貼り付けてスイッチを入れたら心臓が動き出すわけじゃない。動き出すこともあるけれど。
AEDを誰かが持ってきてくれるまでの間、あるいはAEDで鼓動が復活しなかった場合、救急隊員が来るまでの間、要救助者の命を繋ぐ可能性があるのは、救助者が行う胸骨圧迫なのだ。
だが救助者が、あるいは周辺にいた誰かが、回復魔法を使えたら? あるいはそれに満たなくとも、その生命を支える技術が使えたら?
生存率は跳ね上がる。
回復魔法による救命効果はすでに数字が出ている。
とてつもなく効果的である、という数字が。
だけど回復魔法は先天的に得ている者は少なく、後天的に得るにはハードルが高い。
駆けつける救急隊員は常に思っているはずだ。
現場に回復魔法使いがいてくれたら! と。
まずはそいつを現実にしてやろうじゃないか。
『そんなスキルは聞いたことがない』
「当然です。これはスキルではありません。この世界がゲーム化したときに発生したバグ技です。これがやり方さえ伝えられたら誰にでも使えることは実証済みです。問題は、伝えるのがとても難しい、ということです。三次元の複雑な図形をある程度正確に思い浮かべ、その通りに魔力を流すという作業が必要です。この系譜の技術を僕たちは魔術と呼んでいます」
『もしも、もしもだ。その話を信じたとして、それを自分の功績にしないのは、なぜだ? 君は英雄になるぞ。歴史に名を残す救世主だ。万人が使える回復魔術。アレクサンダー・フレミングか? エドワード・ジェンナー? ジョナス・ソーク? あるいはナイチンゲールかもしれないが』
「なぜなら、これは場に伏せた札に過ぎないからです。さて伏せ札は何枚あるのか。この世界はゲームですが、ボードゲームではありませんので、相手の場は見えない。何枚の手札があり、何枚が場に伏せられているのか、推測することしかできない。ねぇ、僕がなぜあなたにここまで話したか、分かりますか?」
歌舞伎町の代筆屋が息を呑んだのが、電話越しでも分かった。
『待て、俺はそんなに影響力がある人間じゃない。裏社会に少々顔が利く程度だ』
「警察庁か、警視庁かは存じ上げていませんが、エリートコースを競っていらっしゃったあなたにはあるはずだ。その筋で勝ち残っている人間への繋がりが。それを売ってください。悪いようにはしません。必ず感謝されますよ」
『こういうのはもっとしかるべき筋を通すべきだ。警察に頼ればどこかで揉み消される』
「なるほど」
その辺が警察を離れた原因とかなのかな?
「しかしそうはさせません。警察には、政府には、必ず舞台に上がってもらう。強制的に引き摺り出しますとも。ただいきなり逮捕とかされるのはちょっと困るので、事前にお声がけをしておくようにしたいんですよ」
『つまり最初から国という組織を相手にやり合うつもりなのか? 正気じゃない。俺は取り消すぞ、君は人生二週目なんかじゃない。だったらこんな愚かなことは考えない』
「どうぞ。ご自由に。もしこの情報を言いふらすなら、それもご自由に。報復はさせていただきますが。……ああ、ちょうどいい。今日は仲間が集まっていましてね。お伺いするときには、同席させてもいいですか? ダンジョンを40層くらいまでなら進める自慢のパーティメンバーです」
『本当のハズがないのに嘘に聞こえないんだよなあ』
嘘じゃないからね。
『頼むからひとりで来てくれ。印刷屋への渡りは付ける。警察庁のほうは、これすぐの話じゃないよな?』
「ええ、回復魔術が普及とまではいかなくとも、世間にその存在が明るみになってから、ということになります」
『分かった。直接会ったときにもっと話を聞かせてくれ。もう逃げられないようだからな』
「是非とも」
僕は通話を切る。
話の早い人は好きだよ。




