第365話 助けを借りる
キャラクターデータコンバートの前後には何の違和感もない。
体がふらついたり、目眩がしたり、そんなことは一切無い。
ただ視界が、姿勢が、すべて違和感の無いまま切り替わることこそが、最大の違和感だ。
「これは、なにが?」
アーリアの僕の部屋、僕らは抱き合ったままベッドの上に出現した。
いや、微妙に位置ズレ起こしてない?
運営!
本当は見てるだろ、運営ィ!
「別の世界にあるアーリアという町で僕が借りている部屋だよ。自分のステータスは見られる? スキルと称号が増えているはずだ」
「ホントだ……。異界?」
「このゲームの、別の世界。プレイヤーが活動する世界だ。僕はプレイヤーではないけど、行き来だけできるんだよ」
「ヒロは何者なの?」
「今の秋ちゃんの質問への答えを僕は持っていない。僕も知らないからだ」
キャラクターデータコンバートがなぜ僕に与えられたのかは未だに分からない。
運営にとって僕はなんだ?
バグか?
それともこれが仕様通りなのか?
「ここは安全なの?」
「間違いなく。治安という点では日本には敵わないけどね。とりあえずこちらに来てしまった以上、明日まではなにもできない。こっちではもうみんな寝てる時間だ。明日になったら仲間を集めて、可能ならすぐにでもあいつを倒しに行く」
「仲間?」
「うん。こっちで活動するときのパーティメンバー。リヴもその一人だ」
長柄秋はハッとした顔をする。
「もしかしてリヴさんって」
「そう。こっち側の世界の人だ。色々と変わったところがあったと思うけど、つまりはそういうことなんだ」
僕は今更ながらに長柄秋を抱きしめ続けていることに気が付いて、手を離した。
でも長柄秋が離れていかないので、仕方なく抱き上げて、窓際によって外を見せる。
少ない灯りしか見えない、夜のアーリアだ。
「星が、すごい……」
アーリアの夜は明るい。
空が、明るい。
大地の暗さが、夜を照らす。
「本当に別の世界なんだ」
「帰れるまでちゃんと僕が守るよ。だから安心して眠っていい」
「私が眠れるまで手を握っててくれる?」
「もちろん」
やがて僕のベッドで長柄秋は眠りに落ちた。
本当はもしかしたらまだ酒場であの二人が飲んでいるかもしれない時間だったけれど、彼女を一人にはしておけなくて、僕は彼女の手を握ったまま、ベッドにもたれかかるようにして目を閉じた。
翌朝、僕のほうが先に目を覚ます。
長柄秋はまだすぅすぅと寝息を立てて眠っている。
きっと疲れていたのだろう。
寝ているうちに離れていた手を握る。
いつかを思い出す。
あの時、僕はダンジョンから出る手段が無くて、こちらの世界で頼れるのはメルだけだった。
いま長柄秋が置かれている状況はあの時の僕とほぼ同じだ。
だから僕は彼女にあの時の僕が求めていたものを与えたい。
だから今はまだおやすみ。
「んぅ」
と、小さな可愛い呻き声のようなものを上げて、長柄秋は覚醒した。
「あれ、ここは、あっ……」
僕と目が合う。
それで彼女は自分の置かれた状況を思い出したらしい。
「ヒロ、ずっとこうしてくれてたの?」
「目が覚めてからはね」
「もう、台無しだよ」
そう言って長柄秋は笑う。
「一応ここではカズヤで通ってる。僕のことはそう呼んで欲しい」
「分かった。カズヤ。えっと……」
「この時間なら公衆浴場がもう開いてる。洗濯もしてもらえるから、頼めばいい。言語はスキルに追加された異界言語理解で問題ないよ」
「部屋にお風呂は無いんだね」
「こっちの文明レベルはおおざっぱに中世だと思ってほしい。ファンタジーな世界でよくある感じ。なので戸惑うことも多いとは思うけど、分からないことがあったらなんでも聞いて」
「うん」
僕らは手を繋いで町に出る。
そうしないと彼女はさくっと人攫いにやられそうだし。
長柄秋はお寝坊だったから、もうアーリアはすっかり目を覚ましている。
アーリアのお金はある程度持ち歩くようにしてるから、金銭的な問題はない。
道すがら公衆浴場のシステムを説明して、銅貨を渡す。
僕も風呂に入って洗濯を依頼した。
外でしばらく待っているとさっぱりした様子の長柄秋が出てくる。
「お風呂にパン屋さんが併設されてるのはなんでなの?」
「パンを焼く窯の余熱でお湯を作ってるからね」
「そうなんだ。面白いね」
興味深げにあちこちをキョロキョロする長柄秋だけど、お上りさん丸出しだぞ。
都民がお上りさんとは、これいかに。どこに上ったんだ。
いや、普通に観光客と言え!
「とりあえず確実に居場所が分かるロージアさんからかな」
「ヒロ、いや、カズヤのパーティメンバーの人?」
「そう、水魔法使いの人。案外機械系とは相性がいいかもね。水でショートするかも」
絶縁されていたあいつが水への対策をしていないわけはないけれど、他のモンスターはどうだろうか?
あいつにしたって傷を付けた後でならショートする可能性は十分にある。
オスカー衣料品店に行って、ロージアさんを呼び出してもらう。
ロージアさんは僕と一緒に知らない女の子がいることにびっくりしたようだった。
とりあえず飲食店で話をすることにする。
「えっと、こちらはロージアさんと言って、僕がパーティを組んでる水魔法使いの方。ロージアさん、こっちはアキちゃんと言って、僕と同郷の方です」
「はじめまして~」
いつもながらロージアさんの背後にはお花が咲いているなあ。
でも今日はなんかトゲがあるお花の気がする。
「はじめまして。アキです」
「随分と仲良しみたいですね。メルさんはどちらに?」
「メルはちょっと用事があってというか、これは真面目な話です。実は僕らは現在、命を脅かされています」
僕が真面目なトーンで言うと、ロージアさんは首を傾げた。
「メルさんに刺されるとか?」
「違います。説明が難しいのですが、僕とこのアキちゃんは現在、半分だけダンジョンの奥にとらわれていて、敵が強く外に出られない状況です。これは比喩ではなく、本当に」
「どういうことかしら?」
「隠し事の多い僕の秘密をひとつ開示します。僕は別の世界とこの世界を行き来するスキルを持っています」
「はい」
普通に受け入れられちゃった。
「転移して戻る場所は、転移以前にいた場所に固定されます。例えば今使って別の世界に行って、そこでどれだけ移動しても、こっちの世界に戻ってきたらこの場所です」
「あらあら、まあまあ」
ロージアさんはもう理解したと思うけれど、一応言葉を継いでおく。
「僕と彼女は別の世界のダンジョン内で強力な敵に出口を塞がれ、出られない状況です。そこで皆の力を借りたい、というわけです」
「メルさんはどちらに?」
「向こうの世界のダンジョン外です。この転移スキルは僕にしか使えないため、僕がダンジョンから脱出できない限り、メルもこちらの世界に戻ってくることができません」
「なるほど。状況は複雑ですけれど、解法は単純というわけですね」
「さすがロージア先生!」
「先生?」
あ、つい脳内が漏れ出してしまった。
「先輩とか、そういう感じで、はい。尊敬しているという意味合いです」
「まあ、そういうことなら。急ぎですか?」
「可能であれば。アキちゃんはあちらの世界で歌歌いとして興業をしていますが、次の興業の日程が近いんです。急いで戻る必要があります」
「ニーナちゃんを捕まえてきます。エリスさんとシャノンさんは捕まえられますか?」
「どうせいつもの宿でこの時間なら爆睡してるでしょうね」
「では西門に集合で」
「話が早くて助かります」
本当に助かる。




