第354話 足手まといがひとりいる
ステラリアには明確に足手まといが一人いる。
性格とか、人格とか、そういうことではなく、結果としてパフォーマンスの出せない人間。
努力の痕跡は見えるけれど、上手く踊ったり歌ったりできない。
頑張っているから応援しよう、となるのはファンだけで、それ以外の人から見れば、ただただ完成度の低いものを見せられているという気分になる。
ダンスは遅れ気味で、小さな体は萎縮してさらに小さく見え、ぶっちゃけ下手で、歌も上手くない。
アイドルとしての最低基準をギリギリ満たしているだけで、本来であれば地下アイドルで目立たずに消えていくくらいの実力。
「くっ!」
それはマイフレンド。
つまり小鳥遊ユウだ。
僕とメルに見られて授業参観状態の九重ユラがちょっとやる気を出しただけで、その差は顕著になる。
というか、ちょっとやる気を出しただけで九重ユラはいつもの鳴海カノンレベルを簡単に追い越した。
鳴海カノンはアイドルとして普通すぎてなにも指摘できないような平均ガールなので、つまり九重ユラはやる気を出せば普通以上に物事を熟せるのだ。
一方で小鳥遊ユウは全力で努力しているように見えるのに平凡以下、かなり下。
一般人の心臓に毛が生えた程度だ。
それは人前に立って踊る勇気があるということで、技術的に上という意味では無い。
「思っていたよりずっと良くないね」
メルが僕の隣で皆には聞こえないように呟く。
「前のライブは練習期間が長かったからなんとか完成度が上がってただけだったんだな。きっと」
なんせ当初の予定から三カ月遅れましたからね。
それだけ練習時間を確保できていたということだ。
「この状態から数日で完成まで持って行くのは流石に……」
メルが泣き言を言うのは珍しい。
だけど、他人をどうにかしなければならない場合は、自分がどんなに努力をしても空回るから難しいよね。
「ユラちゃんも変にやる気を出して変な感じになっちゃってるし」
「あ、そうなんだ」
まあ、そうか。脱力してぴったりダンスは成立していたのだから、やる気を出したらズレるのは当然だ。
僕から見たら分からないほどの微妙なズレなんだろうけど、見る人が見れば違和感があるというのなら、それは良くない。
そう言うズレは無意識に働く。
見ている側に気持ち悪さを感じさせる。
「ユイちゃんは明確に良くなったね。やっぱりスキルの常時使用を止めたから、負担が減ったんだと思う」
まあ、あの子レベルが10ありますからね。
レベルについて聞いたら親からダンジョンでレベルを上げてくるように言われて探索者証を取らされて、後は放置され、自力でダンジョン内のモンスターを[調教]しつつ、レベル上げていたと聞いて耳を疑ったものだ。
いや、レベルを上げることの恩恵を僕は誰よりも知っているよ。
そしてダンジョンが如何に危険か、ということも。
自分の子どもを単独で放り込む?
ありえない!
僕は聞いたとき、激しく後悔したものだった。
あの親はもっと酷い目に合わせておくべきだった。
つまりあいつらは娘の価値を上げるためになら平気で娘を危険に晒すが、自分たちは決して安全地帯から出てこないのだ。
考えたら芸能界にだって送り込むだけ送り込んで、一切関わってきていなかった。
「カノンちゃんは、めちゃくちゃ可愛くなったから、まあいっか」
「良くないよ」
僕は眉を顰める。
鳴海カノンの全身から吹きだしているのは、恋してますオーラだ。
好きな男の子がいますって全身で叫んでいる。
皆にではなく、誰か一人に届けたいパフォーマンス。
今はギリギリ勘違いできる。
つまり観客たちが、これは自分に向けられている感情では無いかと錯覚できる、そのギリギリのラインだ。
そういう上手い演技なのだと思うこともできる。
魅力という意味では、まあ、確かに跳ね上がったよ。
だけどそれは崖っぷちを猛スピードで、ブレーキを踏む気の無い大暴走だ。
「橘メイは、たぶんひーくんがこの場にいるから駄目なんだろうね」
「どうなってんの、あの子」
鳴海カノンが崖っぷちを猛スピードで駆け抜けているのであれば、橘メイは崖下でひっくり返りタイヤが空転している。
10秒、いや、5秒、3秒に一回くらいは僕に目線を向けて、動きがちょっと硬くなる。
観客全ての関心を自分一人で奪おうとすらしていた少女は、いま僕の視線だけが気になるらしい。
「何度でも言うけど、僕は橘メイと付き合ってはいないからね」
「でも誤解するのを容認はしたんでしょ?」
「誤解するとは思わなかったんだよぉ」
僕は泣き言を言うことしかできない。
橘メイがアホすぎて、僕が出した条件を理解できてないなんて思うわけないじゃん。
「振ってあげたほうがいいような気もするけど、本番までに復活するかなあ?」
「彼女が救世主ならギリギリ間に合うんだけど、本当にギリギリだな」
「キリスト?」
「うーん、こっちの世界の聖人で、国のお偉いさんに目を付けられて処刑されたけど、七日後に復活したとされてるんだ」
「七日も経って蘇生魔法が効いたの?」
「いや、自力復活」
「プレイヤーだったのかな?」
「うーん、新解釈」
この世界は最初からシミュレーターだったのだから、サンプル採取用に誰かがログインしてくることは可能だったかもしれなくて、ゲーム的なシステムではないだろうけど、当然安全弁として殺されても復活するようになっていたに違いない。
復活後、すぐに神に回収されているし、マジでキリスト=高次存在説はあるな。
「女の子って失恋をあんまり引きずらないと思ってたけど、間に合わないかな?」
「個人差があるからね。橘メイが、失恋を力に変えられるタイプなら、むしろ伸びる可能性だってあるよ」
「博打か……」
「このまま本番でもひーくんが見に来ていなければ、いつも通りのパフォーマンスが出せると思う。あれ、ひーくんの目線が気になって仕方ないだけっぽいし」
「ちょっと席外すかぁ」
僕はレッスンスタジオから外に出て、新鮮な空気を堪能……、できない。
なんか東京、外の空気が美味しくないよ!?
どう表現したらいいのだろう。
感覚的にはマイナスイオンが足りないって感じなんだけど、これは日本人が割と共通で持っている幻想で、なんか気持ちいい湿気のことをそう言っているだけだと僕は思っている。
気持ちいい湿気はマイナスイオン。
気持ち悪い湿気はプラスイオン。
僕は実際に電位を測ったわけじゃないから、これは個人の感想です。
実際のところ、東京の空気はなんというか、匂いが違うのだと思う。
大量の人間と、人工物で、本来は自然物に吸着して消えるはずの匂いがずっと滞留している。そんな印象がある。
それが良い悪いは個々の感じ方の差なので、好ましい人もいれば、好まない人もいるだろう。
僕は案外嫌いではない。
空気は美味しくないけど、この騒がしさは好きだよ。
必要以上の刺激で、心がピリピリする。
それでも取引の現場で感じる緊張からすれば、リラックスできる。
ただメルにはちょっと刺激が強すぎるみたいだ。
彼女がずっと東京にいるのはあんまり良くないかもね。
うまくアーリアとの二重生活にするのがいいのかな。
そんなことを考えていると、やっぱり外の空気を吸いに来たのか小鳥遊ユウが現れた。
「やあ、あんまり調子が良くないみたいだね」
正直に言う。
マイフレンドだから、遠慮は少なめに。
正直に思っていることを言う。
「いや、むしろ調子は良いんだ。調子が良くて、このくらいなのがボクさ」
自嘲気味に小鳥遊ユウは言う。
「ちょっと話を聞いてくれるかい?」
「僕で良ければ」
「君はステラリアから去る人だからちょうどいいんだ」
「場所を変えたほうが良さそうだね」
時計を確認するとレッスンの時間の最中だ。
小鳥遊ユウはちょっと休憩と言って出てきたのだろう。
あまり長くは空けてられないな。
「歩きながらでいいさ。別に大した話じゃないし」
ジャージ姿の小鳥遊ユウはちょっと髪を伸ばした美少年に見える。
僕と並んで歩いていたら兄弟、はちょっと無理があるか。
自分を卑下するわけではないけど、顔面格差がありすぎる。
レッスンスタジオから少し離れたところで小鳥遊ユウは何の気なしに言った。
「実を言うとね、ボクは男の子なんだ」




