第345話 人生という枠に何を入れる
印刷された契約書を確認したけれど、神立さんも僕も問題ないと判断したので、製本を行う。
とはいってもホッチキスで留めて、製本テープを貼るだけだ。
神立さんのやり方を見ながら僕も一冊製本する。
「君、不器用だなあ」
しみじみと言われてしまい、僕も肩を落とした。
神立さんが作ったのは書店においてありそうなくらいに綺麗なのに、僕が作った分はテープは歪んでいるし、重なった部分が浮いている。
「こっちは僕が保管する用にします」
「まあ割り印さえできれば問題ない」
その他の書類は神立さんが作成済みだったので、この場で書類が揃ってしまう。
「あとは印を突いて、未成年者後見人指名の申立書を家裁に出して却下されて完成だな。提出はどうする?」
「というか、今から印をもらいに行こうと思うんですけど、同行ってしてもらえます?」
別に交渉に問題があるとは思っていない。
あの両親に、娘を売ったという現実を思い知らせるために第三者の、それも司法書士の目があればいいと思ったからだ。
「アポは取れてるのか?」
「現金で二億持ってくるから毎日待ってろって言ってあります」
「ははは、それでその荷物か」
神立さんは肩を揺らして笑う。
「まあ、ついでなんで三億持ってきましたけど」
「なんでだよ! そんなにいらないだろ!」
うーん、いいツッコミ。
「いや、自分で使う用にいるかな、と」
「はーっ、俺の金銭感覚まで狂っちゃいそうだわ。えーっと、書類同行提出諸々込みで、ちゃんと計算するのアホらしいな」
そう言いながらも神立さんはPCに色々と打ち込んで印刷を開始する。
「それが請求の内訳だ。当たり前だが、名前とかは入ってないぞ」
「いま払いますよ。あ、お釣りはいいです」
「それ札束出しながら言うことじゃないんだよ」
と言ってから神立さんはテーブルに置かれた一万円の札束を二度見した。
というかこの人の出した料金が裏家業の人間からすると安すぎるんだよなあ。
あ、もちろん百万円だよ。一千万円じゃないよ。
「……え? マジ? じゃあ仕方ないか。時間は?」
「19時以降は家にいるように言ってあるんで、今からでも大丈夫ですよ」
「じゃあ、逆にちょっとゆっくりしていってもいいか。マスター、ダブルカスク。ロックで」
「それ酒ですよねぇ!」
じゃっ、と氷を削る音がする。
あ、注文通っちゃいましたね。これ。
「初めて見るならちゃんと見とくといいぞ。この演出も含めてのお値段だからな」
それって二回目以降に意味はあるんですかね?
まあせっかくなんでお言葉に甘えて、と。
僕は椅子に座ったままお尻を回して振り返る。
バーカウンターではお爺さんがナイフというにはあまりにも大きな……、下手なダガーよりも大きくない? とにかく刃物を取り出して、白い布でその刃を拭った。
そしてさっきの音で多分割り出した、直方体の氷をまな板に置き、ダンダンダンダン! と刃が振り下ろされる度に氷が削れていく。
四角かった氷はあっという間に真球みたいになった。
お爺さんはそれにロックグラスを被せ、ひっくり返す。
すると氷はロックグラスの中に収まった。
そして背後のバックバーから一本の瓶を手に取ると、氷の球にその酒を垂らして、長細いスプーンでくるりと回した。
「お待たせいたしました。ダブルカスクでございます」
テーブルに置かれたそれを神立さんは口に含む。
そして味わうように飲み込んだ。
「三津崎くんは酒は?」
「嗜まないですね」
「いいことだ。酒の味なんて知る必要はない」
ごくり。と神立さんの喉が鳴る。
「そうなんですか?」
「人生の半分を損してるとか言って飲酒の道に誘う悪い大人がいるが、よーく考えてみたら分かる。そいつの人生半分が酒に飲まれてるだけで、君が同じになる必要はない。人生の容量は、個人差はあれど有限で、そこに何を入れるかは自分次第だ。まだ若い君にはその容器の枠自体が見えていないんだろうが、あるとき全体がぱっと見えるようになる。そして気付くんだ。空きがこれだけしか残っていないぞ、と」
うーん、酒を飲んだ大人がなぜ説教臭いことを言い出すのか誰か論文で証明してほしい。
「だから酒は最後に入れたらいい」
「どういうことですか?」
「人生の枠に入れるべきはまず家族だ。続いて恋人、そこからは好きにしたらいいが、仕事を最後に押し込んだら、後から酒を注ぐ。酒は液体だから隙間に入るんだ。ただし先に入れると他のものが入れられなくなる。人生でこぼすのはルール違反だからな」
そのルール先に言ってもらえませんかねぇ。
でも言いたいことは分かるよ。
人生に娯楽は必要だし、それは金さえあるなら仕事よりも優先すべきだ。
だけど酒は後から入れても十分に足りる。
他のものより優先するようなものじゃない、と。
うん。覚えておこう。
でもどうせ隙間に行くんなら、ちょびっとくらいは先に入れてもいいんじゃない?




