第341話 燃え盛る海
まず大前提として僕は花伝咲良を傷つけた人々を許す気はこれっぽっちもない。
連中の肉体を叩きのめし、精神をへし折り、社会的に引きずり落とし、その家族を巻き込むことさえ厭わない。
僕はそいつらの行いを切に憎む。
それで、その上で、それを踏まえても、僕は男で、欲望がある。
僕は決して性に淡泊なほうではない。
そういう本を隠し持っているし、興味がある。
男が皆そうとは言わないけれど、僕はそうだ。
そして女性諸氏に知っていただきたいことがひとつ。
男の欲望は海のようなもので、そこには理性という防波堤がある。
女性は防波堤の上に立っていて、欲望という海はその人の個性によって深さが変わり、体調によって満ち引きがあり、そのときの感情によって波が生まれる。
防波堤の上にいる女性に向けて打ち寄せる波は、場合によってはちょっとした飛沫程度だろうし、女性を浚うほどかもしれない。
満ち引きによってはそれだけで足下に迫るかもしれない。
そして言い忘れていたことが二つ。
ひとつは防波堤の上に立つ女性は火打ち石を持っている。
もうひとつは、その欲望の海はガソリンでできている。
女性はいつでも火打ち石で火花を散らすことができる。
その結果なんて言うまでもないよね。
僕は伝票を手に立ち上がり、空いた手で橘メイの腕を引いた。
レジに行って手早く会計を済ませ、僕の突然の行動に困惑している橘メイを引っ張って店を出る。
手近にあったホテルのエントランスに入り、チェックインカウンターへ。
「予約はないんですが、一泊二人で今から泊まれる部屋はありますか? 部屋の種類やグレードは問いません」
僕は三津崎湊の免許証を提示しながら、そう訊ねる。
「え? え?」
まだ困惑している橘メイを余所にジュニアスイートを確保して、宿帳に記入する。
三津崎湊と、三津崎萌生。
こんなの適当で良いんだ。
さっさと現金で支払ってカードキーを受け取って、そのままエレベーターへ。
エレベーターが上昇する一瞬の余白が橘メイを困惑から立ち直らせかけた。
「ちょっと、ど――」
ガタッとエレベーターのカーゴが少し揺れる。
僕が掴んだままだった橘メイの腕を壁に押しつけるようにしたからだ。
僕は橘メイの顔に、自分の顔を寄せた。
「彼女がすることならなんでもしてくれるんだよね」
「そ、そうは言ったけど、それって――」
橘メイの言葉が終わるのを待たずにエレベーターは目的の階に止まり、開いた。
僕は橘メイを引っ張って行って、カードキーで扉を開け、豪華な部屋に入った。
ベッドルームまで行って、やや乱暴に橘メイの体をベッドに押し倒す。
「ちょ、まっ――」
「君は知るべきだ。自分の魅力を。何の気なしに言った言葉がどれほど男に火を付けるのかを」
「えっ? えっ?」
そうして橘メイは自分の体を見た。
それから僕を見た。
そしてその手が、自分の胸と、スカートの真ん中を守るように押さえた。
でもそれは結果的に彼女の豊満な胸を押しつぶして柔らかさを、スカートのシワを伸ばしてその足の形を、内ももの姿を露わにした。
「あっ、その、あの、わたし、その」
橘メイは顔を真っ赤に火照らせ、僕から目線を逸らして、消え入るような声で言った。
「……ちゅーだけでゆるして……」
それはもう火打ち石なんかじゃない。
火の付いた松明だ。
ガソリンの海は燃え上がり、爆発する。
僕には分かる。
その手で押さえられた胸は、手を挟むようにした両足は、怯えと、緊張と、後悔と、それから、これから起こることへの期待に震えている。
僕は橘メイの頬に手を当て、親指でその唇をなぞった。
男に触れられたことのない場所への刺激に、橘メイは思わずと言った感じで吐息を漏らした。
熱く湿った吐息が僕の指をくすぐる。
そして僕は両手で彼女の頬を包み込むようにして、
橘メイは覚悟を決めたように瞳を閉じて、
その頭を――思いっきりシェイクしてやったわ!
「あばばばばば――」
「このドアホ娘が! 僕じゃなかったら清純派終了のお知らせだぞ!」
くそっ、危なかった。
メルが好きだから耐えられた。
そうじゃなかったら我慢できなかった。
それくらいに橘メイは魅力的だ。
「え? 私、ママにされちゃうんじゃ……」
呆然とした橘メイの手から力が抜け、持っていた袋から同人誌がベッドの上に滑り出てくる。
それはどうやら橘メイを題材に書かれた純愛系成人向け同人漫画だ。
アイドルが、その当人を題材にした成人向け漫画を広げたベッドに横たわっている。
「なんだ、こいつ、エッロ!!!」
「エロっていうんじゃないわよ! ステラリアは清純派なんだから!」
「こんな漫画買ってる人が言えることかよ! エロ! エロ娘! これでなにしてたんだ!」
「それは、将来に向けた、予習、です」
「お前、これプロデューサーとの純愛ものだけどな。お前のプロデューサーは咲良社長じゃい!」
「将来的には分からないじゃないのよ!」
「分からないじゃなくて、こうなったらアイドルとしてのお前はもう終わりだよ!」
「うるさいバーカバーカ!」
いいか。最近僕は学んだばかりだ。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。
「お前のほうがバーカ!」
つまり同じレベルなら争いが発生する。




