第336話 ダンジョン管理局が震えた日
「でもこの場を離れる、というのなら」
僕は受付さんに振り返る。
「精算を終えるか、魔石を返していただけますか?」
「えっ?」
「それはそうでしょう。これだけの大金を受け取ることをせずに、あるいは商品を預けたまま、この場を離れる? ありえない。当然だとは思いませんか?」
受付さんは手元にあるシュートみたいなところに受け取った魔石を入れていた。
僕が渡した魔石はその先で一旦保留されているはずなので、手続き自体は可能なはずだ。ただものすごく手間だ、というだけで。
「あるいはこの場でお話ししますか? 僕はそれでも構いませんよ。立ち話で大丈夫ですか? 僕はこの後も用事があるので手短には願いたいですが」
「この場で始めましょう。青波くん、椅子を持ってきてくれ。一脚でいい」
なるほど。
お上手。
会話の流れから自然と僕を座らせる方向性に舵を切った。
そして自分たちは立ったままにする。
交渉の基本なんだけど、対等にやりたいなら目線の高さは合わせるべきだ。
逆に圧力を加えたいなら相手の目線を下げるべきだ。
見下ろす者と、見下ろされる者では、心理的に対等にならない。
こうなるともう交渉ではなく、要求になる。
普通なら、ね。
青波と呼ばれた男性がパイプ椅子を持ってきて、設置する。
「どうぞ。おかけください」
まあ、いいか。
向こうにその気なのであれば、それなりに対処する。
僕はパイプ椅子に深く腰掛け、足を組んだ。
ふたつの意味であり得ない行動。
まず行儀が悪い。
誰かと、特に初対面の相手と交渉を行おうというときに、こんな尊大な態度を取るのはありえない。
以前にも話したと思うが、初対面の印象はほとんどがその見た目だ。
そして見た目というのは態度も含まれる。
ふたつめは戦闘態勢に移行できない姿勢だということだ。
たとえ椅子に座っている相手でも、浅く腰掛け、手を浮かせている相手は、座っている状態から最速で戦闘に入る覚悟があるように見える。
だけど僕は深く腰掛け、足を組んだ。
この姿勢から即座に戦闘行動に移ることは――、メルなら余裕でしたね。
でもメルはこんな風に足を組んだりはしないか。
あの子、孤児院でだと思うけど、厳しく躾けを受けた印象を受けることがよくある。
「ではお話を伺いましょうか。私は商品をお渡しし、その対価を受け取る。価格は公示額通り。なにも問題は無いと思いますけれど」
「我々が呼ばれるのは異常取引。つまり疑わしい魔石の売却が行われようとしている、という場合です。ええと、紫苑寺さん、緊急ボタンを押した理由はなんですか?」
多分、受付さんのことだろう。
ダンジョン局の職員は名札を付けていないから、個人名は分からないんだよな。
「その、まずシステム的に異常が検知されたです」
味方六人が僕を取り囲んでいる状況もあって、少し安心したのか受付さんはすらすらと答える。
「この方が魔石を売りにきたのは今回が初めてです。魔石の売却歴がないんです。通常はパーティで売却を行います。一応、誰かが代表で受け取ってからの分配は、税法上の贈与にはなりません。ただ税務調査が入ったときに説明が必要になるので、基本的にパーティは揃って換金に来るものです」
「誰にだって初めてはあるでしょう?」
僕は嘯く。
いや、だってさっさと話を進めてもらいたいからさ。
この後に銀行も行かなきゃいけないから、13時くらいまでには終わってくれよ。
僕は時計を確認する。
あと30分ちょいしかないんじゃないか!
「システム上、魔石売却が初めての方は5層相当以降の魔石をいきなり持ってきた場合、初めてでない場合はこれまで納入された魔石の最大の物から5層相当分以上奥に飛んだ場合です。これが発生した場合、システムは異常を検知したとして画面に警告が出ます。今回の場合は前者です」
「探索者証を確認させてもらっていいですか?」
男が言うので僕は探索者証を差し出す。
本日発行されたピカピカの新品だ。
定期入れから引き抜いて記載を確認した男は、そのまま僕に返却する。
まあ、いいけど。
僕は自分で定期入れに探索者証を戻す。
「登録日が今日ですね。本日講習を受けた人間が、一時間も経たずに5層以降の魔石を? どういうカラクリで?」
「うーん、やりとりをさっさと進めたいので開示しますが、今回僕が持ち込んだのは15から20層で得た魔石です。このバックパックに満載分。もちろん今日手に入れたものではありません。腹の探り合いは止めましょうよ。僕のレベルはある程度分かっていますよね。その講習がうんぬんとかのやりとり要ります?」
「では、どこで? 日本ではないはずだ」
「当然国外ダンジョンですよ」
僕はしれっと答える。
「僕には日本以外でダンジョン入場の経験があり、そこで20層に至っている。その時、入手した魔石を日本に持ち込みました。やっぱりコンテナはいいですね。荷物が検められる可能性が飛行機と比べるとずっと低い。ああ、もちろん目録は出さなきゃいけないですよね。僕はなんでもちゃんとやるんです」
僕は何一つ嘘は言っていない。
アーリアのダンジョンは日本ではないし、20層はちゃんと越えているし、コンテナうんぬんは魔石をそうやって運んだとは言ってませんよ。
彼らがどう思うかは別だけど。
「魔石の海外からの持ち込みは――」
「航空機への持ち込みは禁止されていますが、船での輸送が禁じられているわけではありませんよね?」
「いや、それにしたって密輸だ。関税がかかるだろ!」
「魔石の輸入にかかる関税は無税ですよ」
高額なものの輸入には関税がかかるものだと勘違いしている人が多いが、それは海外製品を日本国内で販売する場合の話だ。
そもそも関税というものの性質を考えて見よう。
関税とは安い海外製品が国内産業を圧迫しないように価格を上昇させることを目的だ。
それだけではないが、まあ、基本的にはそれだよね。
懲罰的関税とか、国家間の取引に用いられる場合もあるけど、基本的には利益を目的としたものに課せられるものだ。
そして逆に日本国内での入手が難しい、あるいは足りないような物品については輸入を促進するために無税にするのが一般的だ。
絶対にそう、というわけではないけれど、大体そう。
そりゃまあ、海外のダンジョンに入っていたとして、なんでそこで魔石を売らなかった? って思うかもしれないけどさ、そこもちゃんと論理的に説明ができる。
「結局は資金移動にかかるリスクとコストの問題なんです。僕が入ったダンジョンのあるところだと買取金額がいまいちはっきりしていなくてですね。日本みたいに安定的に買取を約束してもらえるわけではなかった。これだけの量だと買いたたかれる恐れが高かったし、そもそも金が用意できるかも怪しい。だったら輸送料が多少かかっても、時間がちょっとかかったとしても、日本に持ち込んで売りますよね?」
「それは、まさか――」
「まあ、ご想像の通りかと思いますよ。僕は別に無税で移動させられる国であれば日本に拘りはしないのですが――」
「お話の途中、申し訳ない! こちらは買い取らせていただく。間違いなく。支払先は登録口座で構わないですか? スマホで口座は確認できますか?」
受付さんの後ろから壮年の男性が慌ててやってきて言った。
「ええ」
念のため登録しておいてよかった三津崎湊の銀行のオンライン取引。
自分のスマホでやるのはちょっと怖いんだけど、これは別に後から別のスマホへも紐付けできるし、大丈夫だろう。
「最終確認です。魔石の買取に同意していただけますか?」
「同意します」
「すぐに送金させます。額が額なのですぐに反映はされないかもしれませんが。ああ、そうだ、やってくれ、構わない」
男性がぼそぼそっと言うけど、インカム付けているのか。あ、確かに、目立たないやつだなあ。
「着金が確認できるまで私とお話をしていただけますでしょうか?」
僕は時計を見る。
「買取証はいただけますよね?」
「もちろんです」
「では用意してください。あと15分であればお話できます」
「では単刀直入に。三津崎湊さん。あなたは魔石をまだ納入が可能なんですね? それは具体的に何層あたりのものがどれくらい、ですか?」
「放出できるものとしてなら、15層以降の分がまだあって、29層の魔石までなら提供が可能です」
空気がざわめいた。
興奮と緊張の入り交じった、独特の空気だ。
「それはすでに手元にある、と」
「ありますし、ここのダンジョンで追加で取ってくることも可能ですが、その場合、時間はかかりますよ。なにせここのダンジョンは初めてなもので、ポータルの開通をしないといけない」
「コンテナと仰っていましたね」
いつから聞いてたんだ、この人。
「総量は?」
「情報開示の必要を感じませんね。ただ今回持ち込んだのはほんの一部です。それはお約束できますよ。内訳は、あーっと、25層で結構足踏みしたから、そこが一番量がありそうですね」
砂漠地帯でサンドワームを相手にしてた時の分だね。
本当にこの辺の魔石余ってるんだよなあ。
アーリアでは20層までの魔石と、30層以降の魔石は需要が高いんだけど、その間って微妙な扱いだ。
あっちでは魔石から電力や動力の取り出しって行われて無くて、魔道具を動かすための燃料という扱いで、ちょうど需要の無い層がこの辺りになる。
ただ咲良社長に見せたときにも心の中で言ったと思うんだけど、地球ではこの辺からの魔石は市場に出回らない。
買取所も20層相当の魔石までは価格を公示しているけど、そこを越えると対応していない。
つまり21層以降の魔石を日本に売却したかったら担当者を引っ張り出さないといけないということだ。
そう、いま僕がやったようにね。




