第332話 だれにでもわかる
遅い。あまりにも遅い時間だったけど、僕は恐る恐るニャロさんのDiscordにメッセージを送った。
ニャロさんは基本的に状態をオフラインに設定してあるから起きてるかどうか判断できないんだよな。
『こんばんは。もし起きていらっしゃったら少しお話がしたいです』
『どしたん? 話聞こか? 君は自分から声かけてくるタイプじゃないのに』
『ちょっと人生の先輩からアドバイスを受けまして、思い悩んだら自分の気持ちを誰かに打ち明けろと』
『ぐはっ、当たり前すぎて逆に盲点だった。そんなの誰でも知ってることだ。まさか知らなかったか』
『そうですね。考えたこともなかったです』
『その相手に私を選んだと。嬉しいね。よし、時間を取ろう。お仕事は中断だ』
やっぱり仕事してたんだ。
いつ寝てるんだこの人。
『どうぞ、今の気持ちを好きに言ってごらん。支離滅裂でもなんでもいい。とりあえず私は相づちだけ打つ』
先に宣言してもらえると助かるな。
『まず最初に伝えておきたいのは僕は善良な人間ではない、ということです』
『僕は必要なら他人を傷つけることを厭わない。必要でなくとも関係ない人がどうなろうとあまり気にしない』
『うん』
『その上で僕は、まずオリヴィアを助けたい。まだ両親の死を乗り越えられない彼女と手を繋いで先に進みたい』
『順序は下がりますが、白河ユイの問題を解決したい。彼女の持つスキルは危険です。危険すぎて彼女自身の身が危ない。なんとしてもスキルの熟練度をこれ以上稼がせてはいけない』
『同じく九重ユラをなんとかしてあげたい。どうすればいいのかも分からないし、どうなることが彼女のためになるのかも分からないけれど、とにかく現状が良くないのは分かる』
『鳴海カノンの両親には一言物申したい。まあ、彼女はそれくらいでいいと思いますが』
『ごめん。待って。早速だが相づち中止だ。ちょっと待って』
『なに君、全員攻略ルートでも模索してんの?』
『違います。そういうのではないです』
『橘メイのことはどう思ってる?』
『オリヴィアの下位互換ですかね』
『判断に困るゥ!』
『君のオリヴィアちゃんへの評価を考えると、クッソ高くない?』
『実際、彼女はとても優秀ですよ。可愛いとボケとツッコミ、キレ芸、全部できる』
『ボケとツッコミとキレ芸は世間様に知られてないんだよなあ』
『そうなんですか? あれ表に出したらもっと売れますよ。彼女』
『というか、キレ芸は見たことないから見たいな』
『ニャロさんの前では猫被ってそうですし、見られなさそうですが』
『どんな感じ?』
『それがバリエーションが豊かなんですよね。あの子、咲良社長の弟子かなんかですか?』
『うーん、才能で言えば圧倒的にメイちゃんが上かな』
『そうなんですか? 僕は咲良社長の過去には敢えて触れないようにしているので、見えてしまった部分しか知りませんが、今でもファンという人に会ったことはありますよ』
『そりゃすごい。本物のファンだな。その人は』
『その心は?』
『芸能人の公私を切り分けて応援できてる』
『それはすごい』
僕自身がファン心理というものをほとんど持たずに芸能人側に立ってしまったので、どちらかというと分けて考えろよ、って思っちゃうけど、一般的には誰もが芸能人の私生活に興味津々だ。
芸能人が売っているのは切り取られたフレームの中でのキャラクターのはずなのに、なぜフレームの外側である私生活まで手に入れようとするのだろうか?
あなたはそれに相応しいだけの対価を払った?
払ったとしてそれは幾らかな?
同じ額を払うからあなたの私生活を僕に売って?
そう考えると見直したぞ、印刷屋。
締め切りは変わらないから、明日というか今日中によろしくね。
自分の手持ち現金なら報酬増額してもいいんだけど、メルから借りているお金という扱いだからちょっとね。
『特に咲良の場合は醜聞の類いだからね』
『業界を揺るがしたから、今でも芸能界には敵が多い』
『僕は全然知らないんですけど、割と最近の話です?』
『う~~~~~ん。いいか、カズヤくん。最近という言葉を年齢の違う相手に軽々しく使ってはいけない』
『あ、そうですね。すみません』
『理解しています』
『つまり言語の持つ共感作用は同一の体験を共有している集団にしか通用しないってことですよね』
『言語化能力高すぎだ! そして普通の人は今の言葉の羅列がもう理解できないから注意した方がいい。特に口に出して言う場合は』
『私は分かるが、一般的には呪文の類いだ。それは』
『誰でも分かるように噛み砕けるかい?』
すぐには無理だ。
僕はちょっと考えた。
『つまり方言なんです。地方が違えば言葉が違うように、年代や集団によって、同じ言葉でも意味が違う』
『ギリ行けるか行けないか』
ええ、これ以上は無理じゃない?
『そもそもこの概念自体を理解してもらえないからなあ』
『私ならそうだなあ。相手が複数人、ある程度の数がいるなら「[たいせい]を変えたほうがいいよ」っていま言われて何を変えたらいいと思った? とかかな』
『ああ、同音異義語は導入として分かりやすいですね』
『「こういう同じ言葉で意味が違うのって分かりにくくて困りますよね」だ』
即座に訂正されて、僕は思わず天を仰いだ。
『難しすぎる』
『そうだ。物事は簡単にするほうが難しい』
『なぜなら誰でも簡単に理解できるようにする、というのは、そのことの本質を理解していないと無理だからだ。その上で相手に合わせて言葉を選択しなければならない』
『大衆に向けるのであれば、そうだな、目指すのはIQ90くらいか』
『それってどれくらいなんですか?』
『これ言っていいのか分かんないけど、ギリ健』
『OH!』
本当に言っていいの?
大丈夫?
『そこを目指すのには幾つかの利点がある。ひとつ、ほとんどの聞き手に自分は簡単に理解できた。自分は賢い。と思わせることができる』
『一発目からドギツイ!』
『ふたつめ、説明してるヤツより自分のほうが難しい言葉で説明できる。自分の方が賢い。と思わせることができる』
『二発目は鋭い!』
僕にも刺さったよ、それ。
『みっつめは、うーん、ひとつめと被るんだけど、要は内容を理解できるのって、設定したラインよりIQ上の人だけだと仮定したときに』
『IQ100に設定しちゃうと人類のほぼ半分を切り捨ててしまう』
『つまり客商売としてありえない』
『接客業の人と話をしてこいつバカだと思ったら、相手の手のひらの上だ』
『ぐええ』
ぶっ刺さったんだけど。
うわああ、恥ずかしい。
僕、商人を自称してるのに全然意識してなかった!
いつも得意げに相手を言い負かそうとしてました!
そうか、状況にもよるけど言い負かしちゃ駄目なんだ。
商売として利益を得るために、言語を相手に分かるところに調整して、その上で敢えて負ける場合もある。
でもこれって要はアレだよな。
『つまり争いは同じレベルの者同士でしか発生しないので、争いになった時点で相手がこちらのレベルまで落としてきている可能性を疑え、ってことですよね』
『よく読み解いた! つまり本当に賢い人たちは』
『いや、こういう言い方は私が自分のことを賢いと思ってるみたいで恥ずかしいな』
『私よりもっと賢い人はまた別のやり方があるのかもしれないけれど』
『私程度、は下げすぎか、私くらいだと、と、このように常にバランスを考えている』
あ、程度とか、くらいが、もうレベル合わせなんだ!?
いや、もうこの会話自体が最初からレベル調整されている!?
『そうか、バカって言うヤツがバーカ! って小学生のときに言ってる子らがいましたけど、もう辿り着いていたんですね』
『いくらなんでもそれは深読みしすぎだ!』




