第302話 言葉が通じない
「価格、という言い方はいくらなんでも失礼では?」
「確かにご指摘の通りです。大変失礼なことを申し上げました。私が言いたいのは、そう見える、ということです。ご両親がお嬢様の深く愛していらっしゃるのは当然のことです。お嬢様の将来を考えて大変厳しくしていらっしゃる。ですが、外側からはこう見えてしまうかもという懸念を伝えさせていただきたい。まるでお嬢様の価値を上げることで、ご自身の価値が上がると思っているようだ、と」
東京都内の一軒家とは言え、周囲と変わらない住宅。
つまりこの住宅地内では埋没するような家庭。
だけどその内側は異常だ。
これが思い込みであったら僕自身が恥じなければいけないのだけれど、現代日本の一般家庭で帰宅後に和服で過ごす人たちなんていない。
例外はよほど高貴な家か、文豪のお宅か、あるいは京都の人だ(奈良県民による風評)。
水之江家は僕が思うに、ごく普通のご家庭だ。
この両親も特別稼いでいるというわけではない。
収入があるなら、それなりの家に引っ越していると思う。
それなのに家の中では、まるで貴人のように振る舞う。
自己評価と現実にズレがあるのだ。
そうでありたい自分と、そうではない自分の差を認められないのだ。
自己実現に失敗した。
だから娘を使って、再挑戦している。
成功者になろうとしている。
娘の人生を自分たちの自己実現のために消費しようとしている。
「失礼な。私たちは娘のためを思って厳しく育て、その自由意志を尊重してアイドルをやらせている。君の言い分では、まるで私たちが娘を利用しているみたいではないか。自分で言うのは何だがね、私たちは今の日本では失われつつある、正しい親であるとすら思っているよ。もちろん時流にはあっていないかもしれない。今の時代の親と子はどうやら友だち感覚のようだ。だがそれは正しくないと私たちは思っているし、私たちのやり方が否定される謂れもない。親は子を正しく育てる義務を持つんだ。君、結婚は?」
「まだです」
「なら子どもを育てるということは分からないだろう。いいかね。子どもというのは親次第なんだ。親は責任を負っているんだ。子どもは勝手に育つわけではないよ。ちゃんと導いてやらなければならない。それをせずに、子は勝手に育っていくなど、ただの責任放棄だ。そのほうがよほど育児放棄ではないかね?」
素晴らしい意見だ。
完璧に筋が通っている。
僕も同意ができるよ。
その強度が強すぎなければね。
「物事にはバランスというものがあります」
僕は冷静に切り返した。
「私もどうやらどちらかというと古い考え方をしています。子どもの躾にちょっと叩くくらいはするべきだ。なにせ子どもというのは言葉で理解させるのは難しい。言葉というのは相手が理解できてはじめて意味がある。まだ言語が堪能ではない子どもに言い含めるだけで伝わると思うのは間違っている。ですが、どこまでが躾で、どこからが暴行か。というバランス感覚はとても大事です。怪我をするほど強く叩けば躾のつもりでも暴行だ。躾のつもりだったという言葉では許されない」
あなたたちは大人だから、言葉が通じますよね?
「躾は行きすぎれば虐待です。あなたたちはお嬢様の心を傷つけている。例えそこに愛情があったのだとしても、私はその暴行を見過ごせない」
「君に娘の心が分かると?」
ええ、まあ、数字でね、出てるんですよね。
でもステータスは他人には確認できない。
本当に不便だよな。このシステム設計。
でも、昔の僕みたいになんの取り柄もないことが他人にはっきりと視認されるよりはいいか。
ステータスは数字や情報でしかなくて、本当の人の価値はそこ以外にあると、今の僕は知っているけれど、ステータスの数値だけで評価する人間もいるからね。
[調教]スキルのカードを切るか?
いや、アーリア前提の知識は地球ではまだ知られていない。
調教スキルの習得条件が支配、あるいは被支配だと告げても証拠が無い。
「失礼ながらお嬢様がいつも動物に話しかけているのをご存じですか?」
「……あの子は動物が好きなんだ」
「話しかけるというのはちょっと幼稚ですよね。いえ、それは別にいい。問題はその頻度です。お気づきなのではありませんか? お嬢様は人より動物とコミュニケーションを取っていますよ。一般的に見て、これは普通ではない。お嬢様の精神状態は普通ではありません。心療内科の受診をお勧めします」
「娘に瑕疵を付けるようなことは許さん!」
――かかった!
「瑕疵ですか? お嬢様が心療内科を受診することが? お嬢様の心の健康を考えるのであれば、一度は受診されることをお勧めしますよ。心の健康診断があってもいいと私は考えていますし」
この両親は古いタイプの人間だ。
つまり診療内科を受診すること自体が心の弱さであり恥という考え方をしている。
そしてそれを娘の瑕疵であると断じた。
「必要ない! 娘は至って健康だ。肉体も精神も!」
「ですが、例えば将来の話ですが、お嬢様が結婚された後に心に問題があると判明してしまうのは大変よろしくないですよね。あの嫁はいつも動物と話している、などと言われるのは外聞がよろしくないのでは?」
お前たちの教育は望み通りには行っていないぞ。
白河ユイの心は壊れる寸前か、あるいはもう壊れているんだ。
残念だな、彼女の市場価値は下がった。
「普通の人は動物とばかり話している女性を、まともだとは評価しないんです。いいですか。あなた方の娘は普通ではない。いい意味ではなく、瑕疵がある。あなた方の教育は行きすぎだった。厳しくしすぎたんです」
「君は私たちを糾弾するために来たのか?」
僕はそこでニッと唇を歪めて笑った。
さあ、ここからは僕の領分だ。
取引を始めよう。
「いいえ、もちろん違います。僕は取引をしにきたんです。あなた方が娘さんを厳しく育てて得るはずだった将来的な利益。ここらで利確しませんか? 今の娘さんは若くて、アイドルで、まだ瑕疵が公になっていない。その異常性が明らかになって価値が暴落する前に、ここで手を打ちましょうよ。とりあえず僕の提示額は即金で一億。一億円でお嬢さんを僕にください」




