第290話 腕を絡める
「お話は以上で。詳細については後日連絡いたします。もちろん連絡がつくようにしておいてくださいね。私は大切な子たちのところに戻ります。ああ、そうだ。ひとつだけ言っておくぞ。もしあの子たちになにかしようとしてみろ。動画の公開だけでは済まさないからな」
そう宣言して咲良社長は鞄を手にしようとして振り返り、僕と目が合った。
潜伏スキルがまだ習得できていないから、気配を消そうと努力はできても、その効果は限定的だ。
そもそも今の僕は普通では無い気配を漂わせているだろう。
咲良社長は微笑みすら浮かべ、鞄から一万円札を取り出してテーブルに置いた。
お前からの施しなどビタ一文いらないと言わんばかりに。
「では、ごきげんよう」
そう言って咲良社長は席から立ち上がり、バーの出口に向かっていく。
僕は咲良社長に気付いてもらえるように立ち上がった。
なにも届いてないけど、一万円札を残していく。
咲良社長から少し距離を開けて、バーを出るとすぐそこのエレベーターへ向かう。
開いたままの扉に滑り込むと、咲良社長が[開]ボタンを押して待っていた。
「なにがあったの?」
第一声がそれだ。
僕にすべて聞かれていたことは分かっているに違いないのに、まず気にすることは僕が現れたことで、何かが起きたと察し、それを最優先事項だと考えた。
咲良社長の手がボタンから離れ、今度は[閉]を押す。
扉が閉まるのを待って言った。
「白河ユイのスキルについてご存じですか?」
「ユイの? 動物と話せるスキルよね。貴方たちの前で使ったの?」
「動物と?」
違和感。認識のズレ。
背筋をイヤなものが滑り落ちる。
胃がひっくり返りそうだ。
「いいえ、白河ユイはパフォーマンス中に観客にただ『盛り上がれ』と言い、観客のボルテージは最高潮に達しました。影響は僕にも届くほどで、抵抗には成功しましたが、危うく飲まれるところでした。つまりスキルによる影響です」
「あの子が?」
咲良社長は本当に不思議に思っているようだ。
「僕らは[扇動]という人の心や行動を特定の方向に向かわせるスキルではないかと考えました。非常に強力で、危険なスキルです。人前で、公然と使っていいようなものではありません。ライブハウスの観客全員を言葉一つで操ってしまったんです」
「なんてこと……」
咲良社長は即座に理解した。
現状がすでに分水嶺を越えているということに。
「私はどうすればいいの?」
それは助けを求める声ではなく、指示を求める声。
咲良社長は自分の手に余る事態であり、僕らのほうが正しく行動できると判断した。
そして僕がすでに対処を始めていると信じた。
なら僕らがその信頼に応える番だ。
「オリヴィアに乱入して、ライブをめちゃくちゃにするようにお願いしてきました。おそらく下はしっちゃかめっちゃかです。ですが混乱ではなく、熱狂に持って行くように伝えてあります」
「じゃあ私の仕事は後始末ね。怪我人などが出ないようには配慮してくれているのよね?」
「言い含めてありますが、実際のところ観客の状態が普通ではないのでなんとも」
「無事に着地はできる?」
「そうなるように努力しています」
「オーケー」
エレベーターは45階からレセプションのある18階に到着する。
ここでエレベーターを乗り換えなければ、1階には降りられない。
面倒くさい造りだ。
扉が開く前に咲良社長が僕の腕に手を回した。
僕らはにこやかにどうでもいい会話に切り替えてレセプションを歩いて抜ける。
1階へ向かうエレベーターに乗り換える。
「電話に出るわ」
「はい」
咲良社長は振動しっぱなしのスマホを取り出して、ワンタップ。
耳に当てる。
「――、状況は聞いてる。今はどうなってるの? 簡潔に。――うん。うん。怪我人とかはいないのね? よし、すぐ行くから、そのままの流れを維持して。とにかくお客になにかがないように、回復魔法使いは待機してる? オーケー、確認できる範囲で機材のチェックをしておいてくれると助かる。とにかく流れを切らさないで。予定通りだと思わせるわよ」
テキパキと指示をして、電話を切る。
エレベーターが1階に到着して、咲良社長は僕の腕に自分の腕を絡めた。
「これ、要ります?」
「少しでも変に思われないようによ。ただ私は若いツバメを飼ってると思われるだろーなー。あー」
言葉とは裏腹に甘えるような顔で僕の肩に頭を寄せる咲良社長。
あの、いい匂いがするんですが。
そこで僕は自分がうまく気配を殺せていることに気付く。
ステータスを確認すると、潜伏スキルを入手していた。
ちょっと遅いよ!




