閑話 檜山健次の回想
死なせるつもりは無かった。
檜山健次が橿原ダンジョンの第3層で柊和也に宝箱を開けるように指示したのは、罠の可能性を考慮したからだ。一般的に宝箱がミミックである可能性は第10層以降であり、罠を考慮に入れるのも第5層からとされている。
だがそれは一般的な宝箱の話であり、妖精の小径に出現する宝箱については、その希少さから報告は少ない。
檜山健次はそれほど自分の幸運を過信していない。
ステータスが可視化された時に自分が一般的な平均値より劣っていることを知った。空欄の技能に自分は選ばれた人間では無いと知った。自分は持たざる者だと言う認識があった。
であればこそ、手に入れなければならなかった。だから高校に入学してすぐに回復魔法の技能を持つ相田蒼太を仲間に引き入れた。相田の技能を餌に久瀬弘樹も仲間に入れた。檜山健次にとってレベルを上げてステータスを引き上げることは急務だった。
だから檜山健次は妖精の小径に宝箱があったところで、それが当たりだとは素直に信じなかった。自分の下にそんな簡単に幸運が転がり込んでは来ないと檜山健次は知っていた。
だから柊和也に開けさせた。
罠が仕掛けられている可能性を考慮したからだ。
檜山健次にとって柊和也は必要な奴隷だ。単なるストレスの発散先というわけではない。自分たちがよりレベルを上げてその恩恵を受けるための踏み台だった。必要な駒であった。傷ついてもいいが、無くなっては困る。
だからミミックというのは檜山健次にとっても完全に予想外だった。
宝箱が柊和也に食らいついたとき、もしかしたら一番驚いていたのは檜山健次だったかも知れない。進退について一瞬悩んだのも本当だ。
2対1であれば、第3層のモンスターを相手に檜山健次たちは手こずるものの勝てる。妖精の小径の先にあった小部屋は通路よりも広く、3人で戦うことが十分にできる。危険はあるが勝算もあった。
戦うか?
そう頭に過ったのは本当だ。柊和也が背負ったままのリュックサックに入った魔石が惜しいということもあった。戦うことの危険と、その両方を天秤に掛けて、檜山健次は迷った。柊和也という奴隷を失うことは惜しかった。
本当に死なせるつもりは無かったのだ。
しかしそれも柊和也がミミックに丸呑みにされるまでの話であった。人が1人、簡単に宝箱に飲み込まれた。次は自分の番かも知れない。そんな思いが檜山健次の後ろ髪を引いた。
「やべぇ、弘樹、蒼太、逃げるぞ!」
気が付けばそう叫んでいた。
「魔石は!?」
久瀬弘樹がそう言ったが、檜山健次の心はすでに戦う意思を失っていた。
「構ってる場合か! あいつが食われてる間にここを出るぞ!」
檜山健次たちは這這の体で妖精の小径から逃げ出した。記憶を頼りにポータルに戻ろうとした。困ったことにマップは柊和也と共にミミックに食われてしまった。檜山健次たちは言葉通り手探りでポータルを目指さなければならなかった。
「今のうちに口裏を合わせておこうぜ」
そう提案したのは久瀬弘樹だった。必要なことだと檜山健次は思った。柊和也が行方不明ということになれば、必ず事情を聞かれる。3人で証言がばらけないように話を合わせておく必要があった。
「全部あいつにおっ被せちまおう」
「妖精の小径を見つけたのもあいつ、入ろうと提案したのもあいつ、宝箱を開けたのもあいつってことか」
「それから俺たちはあいつを助けようと戦ったが、敵わなかった。ミミックに勝てないのは不自然じゃない。撤退は当然の判断だ」
「それっぽく服とか破っとくか?」
「わざとらしくなってもマズいからそれはダメだ。破れたところを検証とかされたらたまったもんじゃない」
檜山健次たちはしばらく迷うことになったが、やがて他の探索者と出会い、頼み込んでポータルまで案内してもらうことにした。何食わぬ顔でダンジョンを退場し、バスで大和八木駅前まで戻ってそこで3人は別れた。
翌日を怯えながら過ごした。ダンジョン内に日本の法は及ばない。探索者は自己責任だ。だから例え自分の行いが知られたところで罰せられることはない。だが追及の手が伸びてくることは分かっていたし、それがやってくるまでは恐ろしく思えた。
月曜日になり、学校でまだ誰にも追及の手が及んでいないことを確認した。HRで柊和也がダンジョンに入場したまま行方不明であることが告げられた。休み時間に相談して、名乗り出ることに決まった。黙っていてもダンジョン管理局は自分たちに辿り着くと分かっていたからだ。
檜山健次たちの自白を受けて学校側はすぐにダンジョン管理局に連絡を取り、彼らは学校で調書を取られることになった。別々の部屋で同時に調書を取られたが、口裏は合わせてあるので大丈夫なはずだった。
そうだ。大丈夫だ。
柊和也が化けて出てこない限りは。




