第248話 僕らは取引する
高畠コンシェルジュがその他の用件を伝えて立ち去るのを待って、メルが僕の手をぎゅっと掴んだ。
僕がその目を見ると、少し不安の色が滲む瞳でメルがこくんと頷く。
うん。そうだね。
本番はここからなんだ。
「咲良社長、お部屋に入られる前にお伝えしておきます」
「うん。どうぞ」
部屋のカードキーが入った封筒を手にしたまま、咲良社長は居住まいを正す。
そうしてると本当に和服美人だなあ。
姿勢がもの凄くいいんだ。
メルもそうだから、僕は日々気を付けるようにしているけれど、まだまだ足りていないと感じてしまう。
「オリヴィアには現在身分を保証するものが何もありません。それが何故かはお話できません」
「……なるほど」
咲良社長は神妙に頷いた。
立ち入ったことを聞いてこないのはニャロさんが釘を刺しておいてくれたからだと思う。
ニャロさんにも事情は話していないのだけどね。
「なのでせっかく来ていただいたのですが、オリヴィアを咲良社長のところでプロデュースしてもらう、というのは難しいと思います」
「……代案があるのよね?」
「評価していただいているようで、まあ、ありがとうございます」
咲良社長はメルのことはともかく、僕に対してずっと値踏みをしていたのだと思う。
そりゃそうだ。
メルは金の卵だけど、僕はそこについてきたオマケだもん。
これはちゃんと客観的に見た評価のつもりだ。
だけど代案を聞いてくるということは、つまり僕がちゃんと代案を用意してこの場に臨んだと信じてくれたということだ。
つまり咲良社長は僕の話を貴重な時間を割いてでも聞く価値があるだろうと判断してくれたということだ。
レザスさんだったら金を取られてますよ。
「僕が考えてきたのは相互コラボです。近日中にオリヴィアはYoutubeやTikTokにアカウントを作成、動画を投稿したり、配信を行う予定です。オリヴィアの価値は以前に大きなバズを引き起こしていること。そしてその詳細が未だに分からず、一部ではまだ捜索が続いていることにあります」
「どうぞ、続けて」
「咲良社長の事務所にはインフルエンサーが所属していたり、現在の稼ぎ頭であるアイドルグループもYouTubeやTikTokにアカウントを持っています。そこにオリヴィアが登場するのは非常に大きな話題を生むのではないでしょうか? もちろんオリヴィアのチャンネルの紹介はさせてもらいますけれど、これはイーブンな取引になると僕は考えています。イーブンにする理由は金銭的取引を排除するのが目的です。金銭のやりとりが発生していなければ、いくつかの面倒な手続きを省略できます」
そうしとくとお互い便利でしょ?
と、僕は咲良社長へ提案する。
つまりメルが咲良社長の事務所所属タレントチャンネルへの出演するのは、あくまでメルの善意によるもので、またそのチャンネル主の善意でこちらの宣伝もさせてもらっているという体にする。
そうすれば根本的に金銭のやりとりを伴う契約では無くなる。
可能性であれば保護者の同意すら必要なくなるかもしれない。
そこは咲良社長のところで弁護士に確認してもらわないといけないかもしれないけれど。
「独占」
僕の提案を聞いた咲良社長は端的にそう言った。
「はい?」
「オリヴィアさんはウチの、つまりブリギットに所属しているタレントとしかコラボしない。そうね、今後1年間は、としましょうか」
乗ってきた!
最大の懸念は話にもならないと蹴られることだった。
だけど咲良社長は交渉のテーブルに着いた。
つまりお互いに概要の同意は得られた。
後は価格交渉だ。
事実上、僕らはウイニングランをしている。
僕は思わず唇を歪めてしまう。
笑顔が隠し切れなかった。
僕もまだまだだな。
「それは独占期間が長すぎます。イーブンとは言えません。僕らはどの事務所に話を持っていってもいいんです」
僕らには事務所選択の自由がある。
咲良社長の事務所は失礼ながら業界最大手とは言えない。
ネットには強いかもしれないが、出版社やテレビ局との繋がりは薄そうだ。
「私のところに話が来たのは貴方たちにニャロと繋がりがあったからよね? 彼女との繋がりの中ではウチが一番大手よ」
咲良社長の主張は、僕らが使えるコネではブリギットが限界だと告げている。
ここで手を打てと言っているのだ。
「オリヴィアの価値を考えたら別の大手と交渉することもできると僕は考えています。咲良社長、貴女がわざわざ奈良まで来て下さったことで、僕はオリヴィアの価値に確信を持ちました」
咲良社長が当日にすっ飛んできたことで、芸能界がそれほどにあの画像の少女に関心を抱いているのだと僕は判断した。
「そうきたか。でも別の事務所を信用できる? 私にはニャロという紐がついているわよ」
咲良社長の強みはそれだ。
ニャロさんという後ろ盾は、一般的には意味が無いかも知れないけれど、芸能界に知己のいない僕らにとってはとても大きい。
僕は父さんのことを当然信用していて、その父さんが任せてもいいと思ったニャロさんが紹介してくれた咲良社長だから、こうして直接会って話をしている。
僕らを裏切るようなことをすれば、咲良社長は父さんはともかく、ニャロさんの信用を失うだろう。
調べた感じ、ニャロさんはいくつもの驚異的な再生数を叩き出しているMVで動画制作者としてクレジットされているから、咲良社長としてはニャロさんの顔に泥を塗ることはできない。
信用とは人の絆で、それは契約と同じくらい重い。
だからこそ僕は咲良社長の行動や思想を信用するし、メルを任せても良いと思っている。
「独占は1ヶ月間です」
だけどビジネスは別だよなあ。
取引というのは最も純粋な価値の再定義だ。
2者間、あるいはもっと広い領域で、とある価値について再定義を行う。
金銭的価値という果てしなく純粋な価値を付け直す行為だ。
僕は顔を歪めて笑いながら、咲良社長と交渉を続ける。
これが余裕を見せる演技なら良かったんだけど、単純に楽しいだけだよね。
だけど僕にはちゃんと余裕もある。
さっきも言ったように、これはウイニングランだからだ。
メルを芸能界に押し上げるという最低条件はすでに満たした。
「その間に僕らは別の事務所とも交渉して、ステップアップを目指します。独占、というのは動画への無償出演期間ですよね。他社と交渉することまでは禁じられないと僕は考えます」
「半年くれたら確実にオリヴィアさんのチャンネルを収益化してみせるわ」
まあ、普通ならその手札は大きいよな。
普通ならね。
「僕らは金銭的利益にさほど価値を感じていません」
そう言って僕は自分の鞄から1つの物体を取り出してテーブルに置いた。
それを見た咲良社長はきょとんとした顔をして、それからその目線がテーブルと僕の顔を何度も往復した。
みるみるその顔が青ざめていく。
話した当日に東京からすっ飛んできたかと思うと宿泊先は奈良ホテル、高級スーツを駄目にしたかと思えば、和服で仕切り直して、ずっと連続攻撃を食らっていたけど、隠し持っていた僕の一撃だって大したもんだろ?
「ごめん、ちょっとスマホ見てもいい?」
「どうぞ」
咲良社長は自分のスマホを取り出して、なにやら打ち込み、そして眉間に皺を寄せて、それを手で揉みほぐした。
咲良社長はスマホをテーブルに置こうとして、その手が震えているのに気付いて、膝の上に置き直した。
その一連の仕草を隠し切れていない。
「どうやってこんなものを……」
「僕の目的についてお話ししていませんでしたね。まあ、聞かれませんでしたし」
「……それはロハで教えてもらえるの?」
僕は思わず声を上げて笑ってしまった。
テーブルに鎮座するそれは大体25層で取れる大きさの魔石で、この付近になると地球ではもう実際の運用価値というより、それ自体が存在することに対する美術品みたいな取引になる。
この大きさの魔石は一般的に市場には出てこないのだ。
金銭で手に入れるのはかなり難しく、実力で手に入れられるとすれば、世界でもトップクラスの探索者パーティということになる。
「初回サービスですよ。オリヴィアの目的と併走する僕の目的は、全世界の人々をダンジョンに突っ走らせることです」




