第244話 奈良ホテルは懐が広い
貸衣装屋の入ったバスターミナルにタクシーを呼ぶという荒技で(タクシー乗車場は無い)和服に身を包んだ僕らは奈良ホテルへと移動した。
ちなみに地元の僕が助手席に座ったけど、ここから奈良ホテルが分からないタクシー運転手いる???
バスターミナルから公園の間を抜けるわりと広い道路を南へと進む。
ここの県庁東交差点は、名古屋と奈良を結ぶ一般道という位置づけの実質無料高速道路『名阪国道』を天理インターチェンジで降りて北上し、やはり無料で大阪へ抜けられる『阪奈道路』へと繋がる交差点に当たる。
つまり大阪―名古屋間を無料で通行しようと思うと、どうしてもこの道を通ることになるため、通行量が多い上にトラックが多い。
名阪国道の通称Ωカーブはマジで重大事故が多発するから、名古屋から奈良に向けて名阪国道に初めて乗ると言う人は、自らの速度超過に加え、後ろに大型トラックがいないように注意したほうがいい。
名古屋方面から高速道路感覚で比較的真っ直ぐな道をずっと走ってくると、奈良市街に向けた長い下りで、一般道基準の急カーブが連続するので、油断してると死ぬ。いや、本当に死にます。いっぱい死んでるので、本当に気を付けて。
閑話休題。
だからこの辺はトラックが多いんだよなあと思った瞬間には、もう奈良ホテルの入り口に到着していた。
到着していたと言っても道路から建物は見えない。
緩やかにカーブした入路が奈良ホテルを外界から遮断しているからだ。
なんていうの?
例えば正門から建物までに道があるみたいな華族の屋敷シーンとかにありそうな表現が、本当にそのまま実存して現れるのがここである。
大きな看板なんかもない。
比較的小さな、石碑みたいものに小さく奈良ホテルと書かれている。
枝を払った丸太が門の代わりに建ててあり、右側に[奈良ホテル]、左側に[聖ラファエル教会]と書かれている。
聖ラファエル教会?
突然のヨーロッパ風に頭が混乱する。
奈良ホテルみたいな如何にも日本の伝統重視ですみたいなところに、聖ラファエル教会みたいな名前が混じってくるものだろうか?
僕が首を捻っている間にタクシーはゆっくりと入路を進んでいく。
教会っぽい建物は特に見えないけどなあ。
というか、送迎バスの乗降場が入路の外にあったから、別に歩いて来ても良かったな、これ。
いや、近鉄奈良駅から貸衣装屋までの距離よりちょっと遠い。
雪駄で歩くのはちょっと辛いかも。
タクシーは古風で和一辺倒ではなく、和モダンな感じの建物の前で止まる。
ワンメーターでごめんね。
いや、ここまで近いと逆に時間効率がいいかもしれないけど。
咲良社長がカードで支払って、僕はタクシーから降りた。
メル側のドアは勝手に開いたが、運転手が飛び出すように車から出て、咲良社長側のドアを手で開けた。
「ありがとう」
にっこりと笑って完璧な所作でタクシーを降りる咲良社長に運転手は一瞬見蕩れ、慌てて頭を下げた。
「ご利用ありがとうございました」
その声を背にエントランスから中に入るとその雰囲気に圧倒される。
まるで違う時代に迷い込んでしまったようだ。
こういうのって大正浪漫と言うやつだろうか。
和寄りの和洋折衷で独特の雰囲気がある。
ホテルというと洋風で、旅館が和風という思い込みが、ここで混じり合って奈良ホテルという形が完成形として提供されている。
僕らも一緒に入ってきて良かったのかな?
外で待ってたほうが良くない?
とは言え、今更振り返って出て行くのもおかしい。
「ようこそお越しくださいました」
そう言い終わってからフロントの女性が僕らに向けて頭を下げた。
咲良社長はにっこりと微笑み、女性が顔を上げるのを静かに待った。
「お昼頃にお電話で予約させていただいた花伝と申します」
「お待ちしておりました。花伝様。ご予約を確かに承っております。恐れ入りますが、ご本人様であることの確認のため身分証をご提示いただけますでしょうか?」
「免許証でいいかしら? カズヤくん、鞄から財布を取ってもらえる?」
荷物持ちと化していた僕は、女性の鞄を勝手に開けていいものか一瞬悩んだけど、ビジネスバッグだし大丈夫だろうと思って、その中から財布を取り出した。
名刺入れより一回り大きいくらいのものだけど、これ本当に財布かな?
そう思って咲良社長の顔を窺うが、にっこりと笑ってちょっとだけ手を伸ばしてくれたので、安心して渡す。
てっきり札束が入った長財布でも出てくるのかと思っていたから意外だ。
びっくりさせられなかったのが逆に意外だ。
咲良社長は財布から免許証を取り出してフロントスタッフに渡した。
スタッフは思ったよりじっくりと免許証を確認して、咲良社長に返した。
「ありがとうございます。確認いたしました。ご宿泊は本日より御一人様一泊、ガーデンビューのデラックスルームで間違いございませんか?」
「はい、それでお願いいたします」
「クレジットカードでのお支払いと伺っております。カードをお預かりしてよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
咲良社長が渡した黒いカードをフロントスタッフは受け取って、機械に通して返却した。
「ありがとうございます。お部屋の準備が整っております。お連れ様にはラウンジでお待ちいただくようにさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ。よろしくお願いします」
「ではお部屋へはポーターがご案内いたします。お荷物をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
「その前にコンシェルジュの方と話がしたいのだけどいいかしら?」
「ご用件を伺ってもよろしいですか?」
「実は先ほどスーツを鹿に汚されてしまったの。今は衣装を借りている状態で。明日のための服を手配できるか相談したくて」
「承知いたしました。ではラウンジに伺うようにさせていただきます。ポーターに案内させますので、どうぞお寛ぎください。その他についてはコンシェルジュより改めてご説明させていただきます」
よく映画で見るようなあの如何にもなポーターの服装ではなく、今にも結婚式に出席できそうな準礼服の男性がいつの間にかそこにいた。
バカな!? 僕はレベル41の斥候職だぞ!?
「こちらへどうぞ」
男性の後に付いて咲良社長が静々と歩を進めるので僕らも付いていく。
庭園の見えるガラス張りのラウンジに案内されて、僕らは席に腰を下ろした。
「お飲み物をお持ちします。ご要望はございますか?」
メニューブックはないんですかね? なんでも出てくるってことぉ?
僕は無難にアイスコーヒーを注文。
咲良社長は「季節を感じられる冷たいもの」を注文する。
マジでなんでもええんかい!!
メルは果物のジュースを注文した。
ポーターが一礼して下がっていくけど、もうポーターの仕事じゃないよね。気付け!!!!
こんなに色々要望が通るかどうかは分かりません。
これは架空の奈良ホテルです!!!!!!!」
あと聖ラファエル教会は結婚式用のチャペルだぞ。




