第205話 お婆さんと話をしよう
「母さんなら、今はこっちの庭で編み物をしているわ。是非とも会ってあげて」
というわけでローレンスさんのお家の庭に僕たちは出てきた。
そのお母さんは探すまでもなく、すぐに見つかった。
庭には1本の木が植えられていて、ちょうどこの時間に木陰ができる場所には木製のベンチが置いてあった。
色とりどりの夏の花が咲いたその中で、年配の女性が編み棒をゆっくりと動かしている。
ただそれだけの光景に、なぜか胸が締め付けられるほどに目を奪われた。
人の外見に対して感じる美しさや、雄大な自然に対して感じる美しさのどちらでもない。
この光景を作り出している、彼女の人生という積み重ねられたものを、僕は美しいと感じたのだ。
僕はこのお婆さんのことを何も知らない。
どんな人生を歩んできたのか。
どんな性格か。
何を好み、何を嫌うのか、何も知らない。
ただ先ほど出会ったばかりのローレンスさんの母親というだけだ。
まだ声すら聞いていない。
だけど彼女がただそこにいるだけで、説得力があった。
平凡で、でもたくさんの喜びがあって、たくさんの苦しみを乗り越えてきた人生の集大成が、この庭で編み物をしている昼下がりなのだ。
「こんにちは、お婆ちゃん。はじめまして。私はメルシアって言います」
僕がそんな風に衝撃を受けているとは知らないメルが、彼女らしくごく自然にお婆ちゃんに話しかける。
「こんにちは。メルシアさん。私はイルテミシアよ。長い名前だから皆からはミーシャって呼ばれているわ」
「じゃあミーシャさん、私のこともメルって呼んでください。こっちは、えっと、カズヤくんと、ミコトちゃん」
僕のことをいつものようにひーくんと紹介しかけたけど、水琴も柊姓なので慌てて修正したのだろう。
なにげにカズヤくんって呼ばれたの初めてな気がする。
くん呼びかぁ。
年下の女の子から○○くんって呼ばれるのいいよね。
そういう意味ではメルの僕へのひーくん呼びはずっと刺さってる。
僕の性癖はどうでもいいか。
僕と水琴もそれぞれに自己紹介して、話は隣の家のことに移った。
「今日はね、お婆ちゃんのお家を見に来たんだ」
気がつけばメルはもうお婆ちゃんの隣に座っている。
相変わらず初対面での距離の詰め方がエグい。
「おやまあ、それじゃメルちゃんたちが住むのかい?」
「お婆ちゃんが良ければ借りたいなって、ね、いいよね、ひーくん」
「ずっと住むわけじゃないんですけど、たまに来るために借りておこうかと思っています」
「そうかい。若いのに余裕があるんだねえ」
「私たち冒険者なので稼ぎがいいんです」
まあ、一名まだ冒険者になってないのがいるし、僕の稼ぎの大半は日本からの転売によるものだけど、分かりにくいからヨシ!
「そうか。イェッタやルガルドは知っているかい?」
メルは首を傾げる。
多分人の名前だと思うのだけど、メルが知らないのに僕が知るわけも無い。
「そうか、名を残すと言っていたんだけど、叶わなかったみたいだね」
「お婆ちゃんの知り合い?」
「親不孝なバカ息子どもだ」
不動産屋さ~ん、こういう大事な情報は先に教えておいてくださいよ。
知ってたら行商人として接触してましたよ。
「別にあんたたちを責めてるんじゃないよ。バカだったのはあの子たちなんだから」
そう言う横顔は怒りでは無く、悲しみに暮れていた。
僕も心が痛い。
僕が行方不明になったときも家族はこんな顔をしていたのだろう。
「バカたちがいつか戻ってくるかも知れないと思って、ずっと家の手入れをしてきたけど、私も年だし、旦那も先に逝ってしまった。かと言って売るのはしのびなくてね。大事にしてくれそうな人に貸して、そのお金で修理しようと思っているんだよ。まあ、私が動けるうちは庭だけ手を入れさせてもらうけどね。そうしたらあのバカどもでも、私の家だって分かるだろう」
「タグは、見つからなかったんですか?」
冒険者は証明書代わりのタグを首からぶら下げている。
もしダンジョンで誰かのタグを見つけたら、持って帰ってギルドに提出するのが、冒険者としての義務だ。
それを受けて冒険者ギルドは、そのタグの持ち主が死亡したと判断する。
だけどタグが必ず見つかるわけではない。
ダンジョンの魔物は死体を食べるようなことはしないけれど、弄ぶことはあるし、純粋に金属であるタグを持ち帰る場合もある。
ダンジョンの環境によって見つからなくなったり、失われる場合もあるだろう。
アーリアの冒険者ギルドではタグが見つからない限り、その冒険者が死んだとはしないものの、預けているお金は2年以上出し入れがなかった時点で冒険者ギルドの所有物となる決まりだ。
つまり2年間、冒険者ギルドに顔を出さない冒険者というのは実際的に死んだと見なされる。
またアーリアの町としても人頭税の支払いが無いことで、自動的に市民と見なされなくなる。
現代日本ほど戸籍制度がちゃんとしているわけではないから、そうして『消えた』冒険者はたくさんいるのだ。
お婆さんはゆっくりと首を横に振った。
ああ、そうなんだろう。
タグが見つかっていればまだ踏ん切りが付いたに違いない。
終わりを迎えられたに違いない。
だけどタグが見つからないから。
2人は消えただけだ。
いつか戻ってくるかもしれない。
そのためだけにミーシャお婆さんは、ずっとあの家の庭を綺麗に保っているんだ。
「私、慰めは言いません」
メルが言う。
僕はミーシャお婆さんへの慰めの言葉を探していた。
「私の両親もタグが見つからないままです。誰もがパパとママを死んだと言います。だけど私は諦めたくない。どんな現実を突き付けられても、私は信じているから。きっと凄い奇跡のようなことが起きて、もしかしたら別の世界に行っちゃって、パパとママはそこで今も生きているって、世界中の皆に否定されても、私はそう思い続けます。だからミーシャさんもお家を大事にしてください」
そのメルの決意は僕も初めて聞くものだった。
それは希望の光なんかではない。
一生、死ぬまで囚われ続けるのだと、自ら選択した深い暗闇の道だ。
確かにメルの言うように慰めの言葉ではなかった。
メルは前ではなく、後ろを向いて、でも未来へ進み続けるのだ。
見えない、消えた光を探して彷徨い続けるのだ。
そんな未来をミーシャお婆さんへ提案しているのだ。




