第193話 メルの両親について聞こう
オリヴィア。
不思議なもので、それまでその女性のことを「メルの母親」という概念でしか考えたことがなかった。
一個の人間だとすら思っていなかったのかも知れない。
会ったことがないから。そうかもしれない。
すでに故人だったから。そうかもしれない。
彼女はメルの過去を彩るオプションだと思っていて、現実を生きた女性であるという観点が完全に抜けていた。
だけど名前を知ったことで、突然そのあやふやだったものに輪郭が生まれた。
この過酷で救いの無い現実を生き、抗って、破れ散った女性だ。
愛する人と結ばれて、愛の結晶をこの世界に残した女性だ。
「教えて、メル、オリヴィアさんのこと」
「うん。だけど知ってることってそんなに多くないんだ」
そう前置いてメルは話し始める。
「私にとっては優しいお母さん、ただそれだけ。だから私がお母さんについて知ってることのほとんどは人から聞いた話なんだ」
どこかの農村からダンジョンに夢を見て何人かでアーリアにやってきたオリヴィアさんは比較的スムーズに冒険者としての階段を上がっていったそうだ。
だけど順調すぎた。
上手く物事が進んでいるときは足下が疎かになるものだ。
臆病者で慎重だと自負している僕でさえ、調子に乗ってしまうことはある。
オリヴィアさんの地元の仲間と組んだパーティはダンジョンのどこかの階層で全滅する。
生き延びたのはオリヴィアさんだけだった。
そこから何があったのかを知る人はいないが、とにかく次にオリヴィアさんがギルドに現れたときには、すでに別のパーティに加わっていたらしい。
そしてそのパーティメンバーのひとりと結ばれて、結婚。
メルが生まれる。
家も買って、何もかもが順風満帆に思えた。
1年ほどはメルを育てるために冒険者を休んだが、近所の同世代の子どもにいる女性にメルの世話を頼んで、冒険者に復帰。
そして20層でパーティメンバー全員が消息を絶った。
「優秀な冒険者だったんだね」
アーリアの結婚年齢や、メルの当時の年齢からすると、恐らくは20代前半、下手すると10代後半、農村出身の冒険者が20層に至れる早さではない。
レベルや資金、階層を進むたびに立ち塞がる障害を、それこそ最短で乗り越えていかなければ届かない。
僕らは、ほら、ずるをしたからね。
「どうかな。慎重さが足りなかったんだよ。だから上手く行ってるときは優秀に見えただけかも」
メルの言うことも事実だろう。
「でもお父さんのこともお母さんのことも尊敬してるから、もしも使えるならこの名前がいい」
「分かった。じゃあその名前にしよう。ちなみにオリヴィアって名前に愛称はあるの?」
オリヴィアってあんまり馴染みの無い名称だし、日本人的にはもうちょい短いと助かる。
「お父さんはお母さんをリヴって呼んでた」
「じゃあカメラに撮られるのはメルじゃなくて、オリヴィア、リヴだ。……本当に大丈夫?」
「大丈夫。お母さんの名前をこっちで有名にしてくれるんでしょ?」
メルはそう言って笑う。
少しだけ陰を感じるが、それでも精一杯に開く花のような笑みだった。
「任せて。全力を尽くすよ」
メルは前向きに母親の名前を使おうとしている。
僕はそう判断する。
絶対に成功させなくちゃいけなくなったな。