第172話 メルの様子を診てもらおう
沈静の魔法は案外戦闘で役に立つ。
味方を落ち着かせる効果もあるし、興奮した敵の勢いを削ぐこともできる。効果が薄く広がるため、敵味方ともに巻き込んでしまうのだけが難点だ。
魔法の効果が発動してからどれくらいの時間が過ぎただろうか。目の前にあるメルの頭に少しだけ雪が乗っている。メルを抑えておくために魔法効果に抵抗し続けていたので、恐らくは思ってるほど時間は経っていないはずだ。
興奮状態にあったメルは僕ほど抵抗できなかったのだろう。今は僕の腕の中でじっとしている。
もう大丈夫だろうか?
ニーナちゃんの沈静の魔法は、シャノンさん曰く冷水を頭からぶっかけられるみたいだ、とのこと。エリスさん曰く寝ているところをデカい鐘でも耳元で鳴らされたみたいに目が冴えるとのこと。体験した今となっても分かるような分からないような例えである。
僕曰くと続けるのなら、知らないうちに冷房の設定が最強になってたみたいな感じだろうか。こっちの人には伝わらないけど。熱が失われていくこの感じを僕は適切に表現できない。
メルの手からするりと剣が落ち、凍った大地に突き刺さった。
もう大丈夫だろうと判断した僕は、メルを抱きしめていた手を緩める。
と、メルの体が崩れ落ちそうになって、僕は慌ててメルを支えた。しかしメルには自分の足で立つ気力すら失ってしまったのか、ぐにゃぐにゃするその体をもうしっかりと抱き上げるしかない。目は開いているから寝てしまったわけではないようだ。ただ無気力になった。そんな状態であるらしい。
「メル? 大丈夫?」
「……」
返事はない。目線すらうつろでどこを見ているのか分からない。抱きかかえるのに言うほど苦労しなかったから、多分、それなりに周りに反応はしていると思う。本当に意識のまったく無い人間はこんな簡単に抱き上げられないからね。
「激高してるなら発散させりゃ良かったけど、こりゃあんまり良くない状態かもな」
エリスさんが言う。
「おい、メル、リーダー、状況は終わってねぇよ。ほれ、指示をくれや。あたしらは次はなにをすればいい?」
「エリスさん、無理を言わないであげてください。メルは今」
「カズヤ、戦いの場は心の傷を癒やす場所じゃないぜ。メル! ドラゴンの死体が残った。他の魔物がどう反応するか分からねぇ。ギルドに証拠を持って行くにしても、首だけだって運べそうにない。ここにギルドの調査員を連れてくるのが一番だと思うが、全員がこの場を離れるわけにもいかない。人選をしろ」
「いーや、その前にすることがあるね」
シャノンさんが割り込んでくる。
「こいつを食うぞ」
と、指でドラゴンの死体を指す。
それを聞いたメルの体がピクリと反応する。
「ええっ!? でもそいつは、その、人食いでは?」
「だからこそだろ。食わないと食われた人が報われないだろうが」
「異世界倫理観っ!」
僕は聞こえないように小声で言った。
「火の付くようなものを探してくるからよ。火種の魔術は頼んだぜ、カズヤ」
「肉を焼くにしたって調理器具がないですよ」
「そんなもん、お前の武器の鉄の矢に刺して火のそばに立てときゃいいだろ」
「ワイルドぉ」
使うたびに洗浄の魔術で洗ってるから毒は残ってないはずだけどね。正直、かなり嫌ではある。ピカピカに洗浄されたトイレを雑菌がいないと分かっていても舐められないみたいな感じだ。
自然と半休憩みたいな雰囲気になって、シャノンさんとエリスさんは薪になるようなものを探しに行き、ロージアさんは皆の荷物袋から水袋に水を補充していく。ニーナちゃんがこっちに寄ってきて、メルの状態を診察してくれることになった。
そうだった。この子は回復魔法使いになるために治療院で下働きをしていたのだ。
「服の上からですけど、見た感じ外傷とかはないので、心因性のものだと思います。私の鎮静の魔法が効き過ぎちゃったのかもしれません」
鎮静の魔法は、あくまで対象を落ち着かせる魔法で、そこからさらに無気力にしたり、昏倒させるような効果は無いはずだ。ニーナちゃんもそれを分かっているはず、というか、ニーナちゃんから以前にそう説明を受けていたので、この言葉は自分にも責任があるかもしれませんという気を遣った言葉なのだろう。
「今は安静を保っていてください。環境が環境なので、カズヤさんがそうしているのが一番いいと思います」
「ありがとう、ニーナちゃん」
「いえいえ、メルさんは大きな目標を達成されて、少しお休みが必要なのかもしれませんね」
よく頑張りましたね、という風にニーナちゃんはメルの頭を撫でる。そこに年齢の差は感じられない。むしろニーナちゃんがメルを包み込んでいるようだ。
僕がほっこりしていると、シャノンさんとエリスさんが山盛り枯れ枝を持ってきた。
「カズヤ、火ぃ頼む」
「いい加減火種の魔術くらい覚えてくださいよ」
「「やだね!」」
本当に仲いいな、こいつら。