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第171話 メルを落ち着かせよう

 天候は雪。大きな雪が音も無く、そして絶え間なく降り注いでいる。


 白く染まった世界に、ぶちまけられた濃い緑色の血液がぶちまけられている。非現実的な光景だ。魔物の死体は本来消え、返り血も消え失せるはずなのに。


 雪によって音の遮られた世界を切り裂いたニーナちゃんの悲鳴に僕らの視線はまずニーナちゃんに向いて、それからその目線の先を追った。それは残らないはずのドラゴンの死体の向こう側で、僕らは少し移動しなければならなかった。


 ドラゴンの頭部側にメルはいた。

 緑色の返り血に染まり、ドラゴンの頭部にその剣を突き刺すように振り下ろしている。何度も、何度も、何度も。

 それは念のためにドラゴンの止めを刺している、という様子ではなかった。念入りに、というようりは執拗に繰り返している。そしてその表情は怒りに染まっていた。


 僕の思考は状況に追いつかない。


 ドラゴンを発見したとき、あるいは対峙したときに、メルが暴走するのではないかと、ほんの少し疑っていなかったかと言えば嘘になる。

 なにせこのドラゴンは恐らくはメルの両親の仇であり、彼女はそれを退治するためにこれまでの人生を賭けてきた。憎き仇を前にメルが冷静を保っていられるか分からなかった。


 だけどメルは冷静だった。そう見えていた。彼女は彼女が語ったように、ただ人々の迷惑になっているからドラゴンを退治するのだと、僕は思い込んでいた。


 だけど視線の先にいるメルは憤怒の形相で、死んだドラゴンの頭部に剣を突き入れ続けている。何かを言っているようだったが、雪に遮られて僕の耳には届かなかった。


 僕は慌ててメルのところに駆け寄った。しかしその苛烈な雰囲気に圧され、5メートルほど手前で足を止めてしまう。だけど声は聞こえるようになった。


「なんで。なんで。起きろ。起きてよ。こんなもんじゃないでしょ。こんな。こんな。こんな弱いヤツに……」


 僕は一瞬で理解する。僕の失敗を理解する。


 このドラゴンはメルにとって両親の仇だ。そしてメルにとって人生を賭して倒さなければならない敵だった。両親、そして彼女の人生はこのドラゴンに捧げられていた。言い方を変えれば、メルはこのドラゴンのために生きてきたのだ。


 メル自身も気付いていなかったように思うが、彼女が求めていたのはドラゴンを倒すことではなく、両親の仇を討つ物語だった。


 偉大なる冒険者の両親を殺害したイレギュラーの強敵、ドラゴン。

 階層に対し適正なレベルの冒険者では歯が立たず、深層に挑む冒険者からは見向きされず、誰に倒されることもなく、生き残ってきた古強者。


 彼女の思い描いていた物語では、そういうことになっていたのではないだろうか。いや、それ自体は事実なのだ。


 だけど僕らはそのドラゴンに圧勝した。いや、その言葉でも生温い。それどころか、接敵後、すぐにこのドラゴンは逃げようとさえしたのだ。


 弱く、哀れで、情けない敵。

 因縁のない相手であれば見下して終わりだ。

 だがメルとこのドラゴンとの関係性を考えれば、物語としては不適切だ。


 両親の仇を討つために冒険者になった少女の物語であれば、これはクライマックス。最後にして最大の戦いだ。対峙するべきは、相応に格のある敵でなければならない。そうでなければ偉大だと持ち上げてきた両親の姿と整合性がとれない。

 このドラゴンの格は、そのまま両親の格なのだ。だからこのドラゴンは強敵でなければならない。

 メルが苦戦し、敗走を選びそうになる中、両親の遺した傷や武具みたいな、その痕跡を受け継いで、辛くもドラゴンに勝利する。


 メルに必要だったのはそんな物語だった。


 だが現実はそうではなかった。ドラゴンは30層のそれより弱く、僕らは強くなりすぎていた。つまりメルの頭にあった物語と現実が乖離しすぎていて、彼女はそれを受け入れられないのだ。


 両親を殺したドラゴンがこんなに弱いはずがない。死んでいるわけがない。


 メルの思考を埋めているのはそんな思いだろう。


 僕はやり方を間違えたのだ。20層のドラゴンを倒すという点では正しい判断だったと思う。だけどそれがメルを傷つけたのだ。つまり目的と手段をはき違えていた。


「メル! 終わったんだ! もうそいつは死んでる!」


 しかしメルに言葉は届かなかった。声が聞こえていないはずがない。だけど今のメルにとってはただの雑音にしか聞こえないのだろう。


「放っておいてやれ」


 シャノンさんが言う。


「誰だってなんか抱えてる。ああやって発散しなきゃなんねぇこともある」


 それはそうかもしれない。だけど……、だけど、僕はこんなメルを見ていられない。僕の我儘だけど、メルにそんな顔をしていて欲しくない。


「メル。……メル。……メル!」


 僕は呼びかけながらメルに近付いて行く。彼女は振り返りもしない。ドラゴンに剣を突き立て続けている。


「メル!」


 僕はその後ろから両手で強く抱きしめた。抱きしめたなんてロマンチックな表現では正しく言い表したとは言えない。抑え付けたが正しい。


「終わったんだ。もう終わったんだよ」


「終わってない。死体が消えてない!」


 メルは僕を振りほどこうとするが、後ろから組み付いたこともあって、なんとか抑え込めている。それでも足をバタバタとさせて、死んだドラゴンの頭部を蹴ろうとする。


「死んでる。そいつはもう死んでる。メル、君はやり遂げたんだ。もう終わっていいんだ」


「終わってない! きっと他にもいるんだ! そうに決まってる!」


 冒険者ギルドは一応とは言え、このドラゴンの調査は行ったと聞いている。当時、このドラゴンが受肉しているとは思われていなかったが、単体であることは確認されている。そんなことはメルも知っている。僕よりも知っているはずなのだ。


「ニーナちゃん、沈静の魔法を! 僕ごとでいいから!」


「あっ、はい!」


 ニーナちゃんが魔法を発動させて、僕の中にあったメルをなんとかしなければという焦燥感が薄れていく。一方でメルの暴れ方も落ち着いていく。僕は気力でメルを抱きしめ続け、沈静の魔法が完全に効果を発揮するのを待った。

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