第164話 家族を異世界に連れて行こう
転移には何の負荷も無い。平衡感覚とかに影響があってもおかしくない気がするのだけど、不思議と転移先では自然な姿勢になっている。だから初めて転移を経験した家族も、気持ち悪くなったりはしていないようだ。ただ景色が突然切り替わったことに目をぱちくりしている。
「えっと、そっちが玄関だから、靴を手前の絨毯のところに置いておいてほしい。こっちだと家の中でも靴を履いているのが自然なんだけど、僕は転移の都合上、靴を脱いでいることが多いから、部屋は土足禁止なんだ」
家族が恐る恐る絨毯の上に靴を置いている間に僕は窓を開け放つ。窓とは言っても、板がかかっているだけだ。衝立棒で窓が落ちてこないようにして、家族を手招きした。
「これが僕にとってもう1つの世界。アーリアという町だよ。っても暗くてよくわかんないね」
僕は苦笑する。アーリアの夜は暗い。今日は月が出ているからまだマシなほうだ。レベルアップで視力が強化されている僕はある程度見えるけれど、家族は皆、何も見えていないかも知れない。
「ちょっと歩くけど、酒場に行ってみよう。メル、あの2人は呼んでくれたんだよね?」
「カズヤの奢りで飲めるんならって、飲み比べとかしてそーだけど……」
「まあ、2人ともウワバミだから多分平気だと思う。思いたい」
なんだかんだで、しっかり者だから大丈夫だろう。喧嘩さえしてなければいいけど。
僕はランタン――というか提灯のほうが近いかもしれない――に魔術で火を灯すと、靴を履いて部屋を出た。
「日本と比べると治安がいいとは言えないから気を付けて。一応、僕らは顔を知られているから、絡まれることはないと思う……」
「この町のゴロツキくらいなら私だけでもなんとでもなるよ」
メルは腰に提げた剣をポンと叩く。
「メルさんって強いの?」
「一応、この町では上位層には属してるだろうね」
水琴の質問に僕が答える。
実力がそうかと言うとまた別問題だろうが、レベル的にはそういうことになる。僕らが大金を叩いてパワーレベリングしたのは有名なので、余所者でもなければ僕らに絡んでこようとはしないはずだ。
そもそも冒険者を襲う旨みはあまりない。大体の場合、資金はギルドに預けてしまっているだろうし。
「足下に気を付けて。日本みたいに平らな道路ってわけじゃないから」
アーリアの地面はそれほど整備されているわけではない。石畳すらない。土がむき出しの地面だ。ただ硬く踏み固められていて、歩くのに不便というほどでもない。排水が悪くて、雨の日は水たまりだらけになっちゃうけど、幸いここ数日雨は降っていないようだった。
この時間に出歩くアーリア市民はほとんどいない。町を照らすのは月明かりだけで、それでも地面にうっすらと影ができるほどに明るいけれど、やっぱり治安があんまり良くないんだよね。
当然ながら開いている店など限られている。いま向かっている酒場はその少ない例に当てはまっていて、日が沈んだ後は店主の親父さんが1人で切り盛りしている。まあ、調理するようなものはこの時間にはもう出てこないんだけど。
店に入るとカウンターの中にいた親父さんが僕の顔を見るやいなや、店の一角を顎で示した。
あー、やっちゃってんな、これ。
そう思いながら、親父さんの示したほうに行くと、シャノンさんとエリスさんがおでこがぶつかりそうなくらいの勢いで、ガンを飛ばし合っていた。
良かった。まだ手は出てないみたいだ。
だが一触即発という雰囲気ではある。
僕が手を打ち鳴らしたら、それが開戦の合図になりかねない。
そこで僕は金貨を床に落とした。
2人の首がぐるりと金貨のほうを向いた。この2人、お金に苦労していた時期があるから、お金が落ちる音にすっごい敏感なんだよね。落ちたのがどの金種なのかも分かるって言ってたし。素直に怖い。
僕が金貨を拾い上げると、2人はようやく僕を認識したみたいだった。
「おい、カズヤ、聞いてくれよ」
「いーや、こいつの話は聞くな。ポイズンフロッグより臭ぇからよ」
「あ?」
「はいはい、2人とも頭から水を被りたくなかったら、そこまでにして」
僕の代わりにメルがパンパンと手を打ち鳴らして、2人を押しとどめる。今のメルは水系統の魔術で言ったことを実行することができる。それを知っているから、2人ともとりあえず振り上げた拳を下ろした。
「でもよぉ」
「2人とも自分のお金でお酒を飲んでるなら好きにしていいよ。でも今日は違うでしょ! お酒は呑んでもいいって言ったよ。でも限度があるよね!」
まあ、別に顔も赤くなっていないし、言動も行動もいつも通りだから飲み過ぎたって感じでも無いけど、メルは多分意識的に怒ってるな、これ。
「えっと、カズヤの家族が来てるんだっけ? 後ろの人らか?」
「僕の両親と妹だよ。えっと、こっちがエリスさんで、こっちがシャノンさん」
「ま、座りなよ。カズヤには世話んなってる」
おずおずと言った感じで家族はそれぞれ席に着いた。当惑の理由は2人がどうのというよりは、この酒場で交わされている知らない言語を理解できている自分に対してだろう。
「スキルが身についたから言葉に不自由はしないはずだよ」
僕は意識して日本語で言う。
父さんが少しもごもごさせた後で、その口を開いた。
「カズヤの父です。失礼ですが、カズヤとはどんな関係で?」
「そうだなあ。お金を介した関係?」
「シャノンさん、言い方ァ!」
「パーティメンバーってヤツだよ。カズヤが企画して、メルがリーダーのパーティにあたしらは参加してる。お陰で今ではこの町では稼いでいるほうだ。カズヤには敵わんけどな。で、今日は何の集まりなんだ?」
「運営告知について話をして欲しくて来てもらったんだ。僕の故郷には運営告知は届いて無くてね。メルに話をしてもらうよりは2人から話をしてもらった方がいいんだ」
僕の家族はあっちの世界でメルと親交を深めているし、僕との関係性もそれなりに解釈しているだろうから、メルの話がそのまま信じてもらえるかどうか分からない。
「よく分からんけど、そういうこともあるのか。いいぜ。何から話そうか」