第八章 リュウの過去と今との対峙
第八章
1
ここはどこなのだろうか、自分は何かに怯えて走って、走って走って走って走って走って・・・・
走って・・・
気がついたら、俺はベッドの上にいた。一体ここはどこなのだろうか。
「あの子供は、気がついたら私の家の前にいました」
あの子供とは、誰のことだろう。俺のことか。だが、確かに自分の記憶がない。自分は一体どこから来たのだろうか。
「あの子供は全身傷だらけで家の前にいました。ただ、どこから来たかはわかりません。この近所にはいない子供です」
意識がだんだんはっきりとしてきた。体のいたるところに痛みが走る。擦り傷だろうか。ここは病院か? 傷があるであろう場所に包帯が巻かれていた。意識ははっきりしてきたが、これまでの自分が何をしてきたか、やはり思い出せない。
その後、医師からは記憶喪失と診断された。何かショックな出来事があったのだろう。少年が混乱する恐れがあるると、医師はその後の詮索はやめることにしたらしい。
数日後、退院した彼は施設に預けられた。その後聞いた話では、至るところで親の確認をしたが、最終的には見つからなかったのだろう。大陸は広大な土地だ。あまりに遠くまで捜索範囲を広げると、キリがないためだろう。
身元不明の少年に話をしようとしても、自分の名前や住んでいた場所は何も覚えていなかった。どうやら記憶喪失らしい。困った施設の人間は身元不明の少年に新しい名前を与えることにした。色々悩んだ末、強い子という願望を踏まえ、『リュウ』という名前になった。それから数年は、施設で何不自由なく過ごす日々が続いた。
リュウは周りの子供と比べて、先天性的に身体能力に特化していた。特に格闘技の能力に優れていた。とびっきりの能力は、炎を出せることだ。最初は手品レベルの炎を出すことが精一杯であった。だが、リュウはその後炎を使った格闘術を身につけた。だが、リュウはその力を権力や弱いものいじめには使わなかった。権力を持っても虚しいだけだとわかっていた。
年齢とともに扱える炎の力が増していった。施設の人間ではとても手に負えない。どこかに引き取り手はないいかと悩んでいた。このままでは、施設を焼きかねない。リュウの意思はなくとも、周りの人間にとっては脅威であった。
その悩みがある中で、絶妙なタイミングである研究施設の人間が訪ねてきた。とある研究施設の人間は炎を扱える子供の研究をしたいと言い出してきた。施設の人間は怪しいと判断し、そのような子供はいないと追い返した。
研究者の人間は、自身の研究内容と信頼のため、学会の専門誌に掲載された本を手渡し、その場をあとにした。施設の人間は怪しいと思い、その本を物置の奥底にしまった。
記憶喪失の人間も十五歳になれば、立派な青年となる。誰の目から見てもリュウは真っ当な人生を送っているように見えた。だが、人が見ているものと本人が思っている心はまるで違う。
リュウは自分が記憶を失う前の自分に執着するようになっていた。来る日も来る日も、記憶がなくなる前の出来後の資料をかき集めていた。新聞や雑誌など、自身に何か関わりがないかと、常に漁っていた。
そんな時、学会の専門誌ではあるが、自身が記憶をなくす一ヶ月前に、ある研究施設の紹介ページが目に付いた。そのページには、研究者が二人と子供が二人いた。どちらかの研究者の子供だろうか。あるいは二人のそれぞれの子供だろうか。二人の子供は、五歳と三歳だろうか。それだけなら特に気になる記事ではない。だが、五歳の子供が自分に酷似しているとリュウは気がついた。さらに、この記事が書かれていた時、リュウの年齢も五歳であろうか。
この子供は、俺なのか。そして、この研究者のどちらかが、自分の父親なのか。記事に目を通すと、バイオテクノロジーの学会発表に向けた取り組みを特集していた。研究者の名前はライとカール。記憶喪失であるリュウには、この二人の名前は分からなかった。
リュウは専門誌に書かれていた研究施設に乗り込む決意した。元々身体能力の高いリュウであった。施設の周りに囲まれている塀を乗り越えるなど、たやすいできごとだった。
記事を見てから数日後、深夜に一人新しい世界を見つけるべく、リュウは施設を抜け出した。手にはリュウの過去を知る手がかりとなる学会の専門紙があった。
だが、リュウはこれまで外の世界をあまり見ることはなかった。それまでの彼は一人でいることは好きだったものの、施設の人の教えからか、外の世界の情報を教えることはなかった。炎術者が世界に出て炎を見せれば、世界からの格好の餌食になる。そうなれば例の研究者たちが黙ってはいないだろう。その配慮もあって、施設の人たちはリュウに外の世界のことをあまり教えなかったようだ。
しかし、その教えがかえって彼の好奇心を刺激した。地方の小さな施設にいたリュウは、都会というものを知らなかった。高速に走る鉄の大きな箱、華々しく輝くネオンの看板。全てが新鮮であった。だが、今のリュウには自分の過去を知ることが全てだ。周りの街のことなど気にすることはなかった。
リュウは道に迷いもしたが、なんとか研究者の一人がいると思われる塔にたどり着いた。玄関先は警備員がいた。
リュウは兼ねてから疑問に思っていたことがある。昔の漫画みたいな泥棒など、いるわけがない。ここは研究者のように堂々としていれば、誰からも怪しまれることはない。そう、まさにランチを終えた集団がやってきた。その後ろにも別の集団がいる。共に一〇人程度の人数だろうか。部外者が一人混ざっていようと、誰も気にしないはずだ。幸い全員が私服だ。今の自分の服でも問題ないとリュウは判断した。リュウは何も気にすることなく、堂々と集団の後ろに紛れ込んだ。警備員は、何も気にすることなく会釈した。これならどこの会社でも入ることができるとリュウは確信した。
リュウはエントランスホールの案内板に目を通した。目に飛び込んできたのは、所長室だ。名前はカール所長と書かれていた。間違いない。自分かもしれない子供が写っていた研究者の一人だ。このうちの一人が所長をしている。
リュウは所長室に向かった。リュウは身体能力だけでなく頭の回転も早い。外からは堂々と入れても、所長室に堂々と入るには流石にまずい。ごく限られる人間にしか用のない部屋には流石に不審に思われる。現に所長室の前には受付嬢のような人もいる。
リュウはとっさにダクトから忍び込む方法を思いつき実行した。壁と壁との間の隙間から、リュウは所長室に向かっている。当然、警備員などわかるはずもなかった。ダクトの上から所長室を覗き込むと、誰もいないことが確認できた。資料が山積みになっていて、何の研究をしているのかわからない機材が山ほどあった。一、二分待ってみても誰も部屋には入ってこない。
侵入しても大丈夫だと確信したリュウは、天井から所長室に忍び込んで、手当たり次第に資料を漁った。しかし、リュウとわかる写真や文書は何もなかった。ハズレか? と諦めの気持ちもあったが、ある日記のようなものを見つけた。タイトルを見ると『エレクタクノロジー』と書かれていた。何のことだろうと、パラパラとページをめくっていた。そこに書かれていたのは、ライの研究成果に関することであった。
ライ・・・その名前に聞き覚えがあった。写真に写っている研究者のもう一人だ。他には、何が書かれているんだ。リュウは日記を読もうとした時、正面のドアが開かれた。
(ここは物取りを装うしかないな・・・)
覚悟を決めたリュウは、盗賊に成りすまそうとした。
見えてきた姿は、背丈は高い方で短髪の三〇代後半の見た目。印象としては銀行員のような男性であった。学会の様子が掲載された雑誌の頃よりはいくらか年は取ったが、面影は残っている。間違いなくカールであるとリュウは確信した。
「ほう、君が泥棒君か。思ってたより若いな。まだ子供じゃないか」
「お前がカールか? 悪いな、勝手にお前の家に忍び込んで」
リュウは忠実に盗賊の役を演じている。
「正式に言ってくれたら正面から迎え入れることだってしたのにな」
「そんな必要がないから、今俺がここにいるじゃないか」
「確かに君の言う通りだ。だが、この局面はどうする? 私が出向いた以上、君には何もできないであろう」
平然を装うリュウ。しかし、この時の彼の心境は冷や汗ものであった。いつ、息子が訪ねてきたのかをバレることかと。しかし、カールの様子を見ると、単なるコソ泥としか目に写っていないようだ。
「やはりハングライダーを仕込んでいたのか」
「なぜわかった?」
「若者の考えることは単純だ。単純な若者にはお説教が必要だな」
やはり単なるコソ泥にしか自分をみていないようだ。これは好都合だと思った矢先であった。それは刹那の瞬間だった。一瞬にカールはリュウの懐に忍び込んだ。すぐさまカールはリュウの胸元あたりに手を当てた。その構えは気功術のような型であった。
「えっ・・・」
何が起きたかわからないリュウ。一瞬カールの顔が見えたと思ったら、すぐに元の場所に戻っていた。瞬間移動でもしたのだろうか。このカールと言う奴は薄気味悪い。
一刻も早くここから脱出しなければ。頭ではそう思っていた。だが、体が言うことを聞かなかった。なぜ? いくら窓に向かおうとも、体が動いてくれない。リュウはその場でうずくまるしかなかった。
「き、貴様・・・一体俺の体に何をした?」
「簡単なことだ。君の体の神経をちょっと麻痺させた。気功術ではよくあることさ」
カールにしてやられた。油断したのが命取りだったのか。いや、油断などしていない。それどころか、この薄気味悪い奴からとにかく逃げなければ命が危ない。本能で感じたことだ。いつも以上に緊張状態だったはずだ。にも関わらず、俺の胸にパンチしただと? 防御する間も無く。リュウは絶体絶命だと腹をくくった。
それに、カールはただの科学者だったはず。なぜこれほどの身体能力を持っていたのだろうか。意識が朦朧とする中、リュウは必死で頭を働かせた。ここから先は、リュウもよく覚えていないのが実情だ。ただ、筋肉マッチョに襲われそうになったことはよほど印象に残ったのか、そこだけははっきりと覚えていた。
リュウはひとつ確信したことがある。カールは間違いなく自分の父親ではない。それどころか、学会雑誌の写真に写っていた子供のことは、もう忘れてしまったようだ。そんな非常な父親など、いない方がマシだ。
リュウは早々にカールに見切りをつけ、もう一人の父親候補、ライの元へ向かう決意をした。手がかりとなるのが、カールの部屋から持ってきた日記のような書物だ。はて、これはまさに正真正銘の盗賊ではないだろうか。
周りの目が気にならないように、誰もいない公園にリュウはいた。あたりは闇夜に包まれており、リュウを照らす街灯だけが唯一の灯りであった。リュウはさっそくカールの書物を見た。内容はエレクタクノロジーの他にも、様々な研究が書かれていた。そして、ライの研究資料の中に、ライが現在住んでいると思われる住所が書かれていた。
「エルニア国・・・大陸の外れの小さな島国のことか」
小さな声で呟いた。そこにライが住んでいるようだ。だが、ここからは相当な距離がある。悩んだ末、リュウは鉄道に乗ってエルニア国に向かうことにした。お金には困らなかった。施設から抜け出す時に、一ヶ月は生活できるだけのお金を捕っていた。やはり、盗賊である。
エルニア国まではここから五〇〇〇キロメートルはあろうかという距離だ。ひとり旅は長い時間である。だが、これまで彼は一人でいる時間が皆無であった。リュウは自分が生まれてから今日までの日々を物思いにふけていた。
記憶をなくす以前の自分は、一体どのような子供だったのだろう。そのことを、今の自身が受け入れることができるのだろうか。記憶が戻ったら、今の自分か昔の自分か、この身体を操るのはどちらの精神になるのだろうか。様々な想いを一つ一つ整理して行くうちに、エルニア国の近くに停まる駅までの一週間の時間はあっという間であった。
街の定期船でエルニア国についたリュウ。エルニア国の印象は寂れた漁港というのがピッタリくる風景であった。ライがいると思われる場所を探していると、目に写ったのは何かの軍事施設のような建物であった。カールのように何かの研究施設ではないとリュウは思った。
軍事施設となれば、カールの時のように簡単に侵入はできない。となれば、ここの軍人のようになりすますしかない。ふと後ろを見ると、大型の軍事車両が何台も連なっていた。
これはチャンスとばかりに、リュウは荷物を運搬するトレーラーの荷台に乗り込んだ。そして、そのまま検問を突破して、構内に乗り込んだ。
ひとつの疑問が、どうしてこうも簡単に人様の建物に侵入できるのだろうか。トレーラーのついた先は、倉庫のような場所であった。リュウは荷物の中に身を隠そうとした。その結果、段ボールの隙間に身を隠した。
屈強な男たちがトレーラーに積まれた荷物を倉庫にバケツリレーのように簡単に運ぶ。その中にはリュウが入った段ボールもあったが、屈強な男たちの前にはさした重さではなかった。
『ガタン』
ドアが閉まったのを確認すると、リュウは段ボールから出てきた。あたりは真っ暗であったが、ドアの隙間からわずかに光が差し込んできた。光が射した先には、リュウの入っていた段ボールの中には軍服が入っていた。軍服を着れば、周りと同化して簡単に侵入できるのでは。リュウは早速軍服に着替えてあたりを伺った。まさに、自分が着ている服と同じ服だ。リュウは堂々としたいでたちで倉庫から出てきた。
するとどうだ。周りの兵士が自分に敬礼をしてきた。本当に、周りの人達と同化すれば、人の顔など誰も覚えてはいないものだ。木を隠すなら森とはこのことだ。リュウは何食わぬ顔で軍事施設に忍び込んだ。手法が違うだけでカールの研究所と同様に忍び込むことに成功できた。責任者の名前を確認すると、ライの名前ではなかった。軍事研究をしているから、軍事関連の最高責任者ではないのだろうか。最高責任者以外のリストを見ても、ライの名前はなかった。案内板を見ているリュウの背後に近づいてきた人物がいた。
「君は、誰だ? ここの施設の人ではないだろう?」
あっけにとられたリュウ。冷や汗が止まらなかったが、なんとかして言い訳を探ろうとしていたが
「私はここの施設の責任者だ。ここで働いている人の顔は全て把握している。だから、君が部外者だとすぐに気づいた」
「な・・・」
言葉につまるリュウ。もはやこれまでかと覚悟を決めた。
「それで、これから俺をどうするんだ。処刑する気か?」
「そんなことはしないさ。侵入者を殺害しようだなんて、私はそんなに器の小さな人間ではない。さぁ、外までは私が案内しよう」
その言葉に半信半疑のリュウであったが、ここは身を引くしかないと悟った。その責任者の先導でリュウは施設の門まで通された。命が助かるだけでもマシかと判断したリュウであった。
「去る前に君に一言。エレクタクノロジーを巡る争いがこの二年の間に起こるだろう。それまでに君はエレクタクノロジーの情報収集とエレクタクノロジーの継承者の私の息子『リブ』のことを頼む。二人ともエレクタクノロジーの継承者なのだから」
「何だって! じゃあ、お前がライ? そして、俺の親父なのか?」
「おっと、そこの君。この少年は迷子になってこの施設に迷い込んだらしい。外まで案内してくれ」
責任者がリュウの話を遮るように、門番にリュウの身柄を引き渡そうとした。
「おい! ちょっと待て、俺にはまだお前に聞きたいことが!!」
「では、頼んだよ」
「おいっ!!!」
リュウは軍事施設から追い出された。
2
「それじゃあ、リュウは僕の兄だってことになるのか?」
「まぁ、そうなるな・・・」
リブの頭は混乱でいっぱいであった。リブの兄はリュウであること。リュウにもエレクタクノロジーの能力があること。カールは父と共同でエレクタクノロジーを研究していたこと。父はあらかじめこの騒動を予言していたこと。リュウは一度エルニア国に来ていたこと。まだ会っていない父から、リュウに自分のことを頼まれたこと・・・
「一体、何が何だか、わからなくなってきたよ。僕に突然兄がいただなんて。そんなこと、父はともかく母からは一言も聞いてなかったよ」
「このことはトップシークレットにしたかったのだろう。正直、俺もライが自分の父親だとははっきりとした確証がない。だが、ほぼ間違い無いだろう」
「じゃあ、リュウは僕が弟だとわかって最初から近づいていたんだね」
「確証はなかったから最初は伏せていたけどな。だが、さっきのカールの話で確信した。お前は俺の弟だとな」
次から次に真実が明かされる。エルニア国で平然と暮らしていたのが嘘のようだ。
「それに気になることがある。エレクタクノロジーは僕だけじゃなくて、リュウにも備わっているのか?」
「ライの奴の話ではそういうことになるな」
「僕とリュウが共通している能力でエレクタクノロジーに関係あることって・・・」
「炎術者だな」
やはり、想像した通りであった。リブは幼少から使える炎について疑問を持っていたが、これで疑問が晴れた。この力はエレクタクノロジーが関係していることを。
「炎術者って言えば、エイも使えるはずだよ。となれば、彼女もエレクタクノロジーの能力を備えているというのか」
「その可能性は十分にあるな。エレクタクノロジーが千年前の能力を使っていると証明されているから、おかしくはないな」
エイにエレクタクノロジーの能力が備わっていると疑問を抱いてから、ひとつの仮説が出来上がった。さっきのカールの話だと、エレクタクノロジーはユウトがある人物にエレクタクノロジーの能力を植え付けたって言っていた。となると、炎術者のエイは、もしかしたら、ユウトがエレクタクノロジーを植え付けた人物って、エイじゃ無いのか? ただ、エイ自身にエレクタクノロジーの力があると自覚しているとは思えない。むしろ凶暴の力を毛嫌いしている。謎は深まるばかりである。
「それで、リュウはそれから今日までどうしていたんだ?」
「・・・今は話したく無いな」
きっと人には話せない日々を送ってきたのだろう。
「気になったんだけど、カールが回想で語っていた盗賊のリュウは、嘘だったってこと?」
「それはあのふざけたヤローの脚色だな。あまりに見当外れだったんで、黙っていたがな・・・さて、昔話はここまでにして、どうやってここから脱出するかだな」
先ほどから脱獄方法についてあたりを見回していたリュウ。
「ここは古典的な方法で充分じゃないか?」
リブには考えがあった。さすがは投獄三回の大ベテランである。
「うわ――――!!」
突然の叫び声が牢屋に響き渡る。当然、看守が叫び声の聞いて見回りをする。すると、いるはずの囚人の部屋に囚人がいないことを確認した。異常を察した看守二人が牢屋の鍵を開けたときである。
「甘いな」
天井に張り付いていたリブとリュウ。看守が鍵を開けたタイミングで勢いよく飛び降り、看守の首の後ろをチョップによって気絶させた。看守はなすすべもなくその場で気絶してしまった。
「悪いな。さて、ドアが開いたおかけでここから脱出できるな」
「これでここから逃げられる」
「逃げる? 何を生ぬるいこと言ってるんだ? せっかくカールに恨みを晴らすチャンスがやってきたのにノコノコと逃げられるか」
リュウは何を言いだすんだとリブは思った。リブにとってはエルニア国の村人を救うことが第一である。こんなところはさっさとオサラバしたいのだ。
「それにいいのか? せっかく父親の情報を得るチャンスだというのに、ここで逃げたら二度とその情報を得ることはないだろうな」
リュウのいうことは的を射ている。リスクは高いが、やはりカールから情報を聞き出すのは懸命である。
収容所のような部屋から脱出したリブとリュウ。確かに建物は研究所のような作りであった。一体誰が、この研究所に収容所があると想像できるだろうか。メインフロアに出れば、研究者たちで賑やかだ。案内図を見ると、このフロアは四五階に位置している。収容所がある場所には『特別危険動物管理センター』と書かれていた。単なるカムフラージュか、単にリブとリュウが危険な動物だとカールに判断されたのか。
「カール様、申し訳ありません。例の二人が脱獄した模様です」
「ふん、やはり逃げ出したか。だが、奴らはこの私の元にやってくるだろう。それも計算づくだ」
カールと警備の責任者であろうか。しかし、カールはリブたちが脱獄することを予め想定していたようだ。
「それに、彼らをさらう時にいた二人組ももうすぐこの建物にくるだろう。その時には、丁重にお持て成しをさして上げろ」
「はっ、かしこまりました」
3
「ようやくついたわ、あの塔にリブがいるのね」
「本当だね、ここまで思えば長かったよ」
「そうよね、二人で来たこの道はこれまでとちょっと違うよね」
「あのカフェでのことは、忘れられないよ」
マスとエイがラブラブな会話・・・もとい、必死になってカールの塔にたどり着いた。でも、この会話じゃラブラブなバカップルそのものである。
「にしても、遠くから見ると不気味な塔だったけど、いざ入り口に来るとちゃんとした研究設備だな」
マスの言葉通り、エントランスには大きな自動ドア、清潔な床、いたるところにある苗木、笑顔が眩しい受付嬢、そのどれもがエルニア国のような小さな島国にはないものばかりだ。もちろん、千年前の人間であるエイは、どれも見たことのない設備ばかりである。
「ここは一体何の設備なのかしら。とても殺伐とした雰囲気とは言い難いし、争いごととは無縁の環境よ。千年前にはこんな設備はないけど、ここは、戦いを求めている人たちではないことは、私でもわかるわ」
エイの言葉にマスも同感の様子だ。本当に何かの研究施設以外言葉が思いつかない。二人は想定外の建物に困惑したが、リブがここにいることは間違いないと睨んである。
「にしても、あのガダルがこの塔に来いっていいっても、一体どこに行けばいいのかしら」
二人は建物内の探検にでた。スーツ姿で談笑する集団、ファイルを片手に談笑する三人組のOL。白衣をつけて難しい顔をしている人・・・とてもこれから戦いの場になる空気にはとても思えない。どこにでもあるオフィスそのものだ。
左手に大きな案内図がある。そこには、ほとんどの場所が研究施設でることがわかった。所長の名前を見ると『カール』と書かれていた。
「カール、カフェのマスターが言っていた奴か」
「間違いなくリブの誘拐に関わっているはずよ、聞きだしに行かなくちゃ」
所長に会おうとすれば、何かわかるかもしれない。そう思った時であった。
『お客様のお呼び出しを申し上げます。マス様、エイ様、館内におりましたら、四〇階の専務室までお越しくださいませ』
突然の館内放送に、自分の名前が呼ばれたことに驚くマスとエイ。何事かと思ったが、間違いなく、この建物にリブがいる。まさかご丁寧にお持て成しを受けるとは思わなかった。
「相手が熱烈的な歓迎をさせてくれるなら、その手にのろうじゃない」
エイは意気揚々と敵陣に乗り込もうとした。一歩進んだ時に、改めて意気込みを発した。
「さて、四〇階には、一体どう行けばいいのかしら・・・」
受付嬢に聞いて四〇階に案内してもらったマスとエイ。四〇階まではエレベーターで案内された。高速で高層階に登る機械の前に驚きを隠せない二人。一体どういう原理でこの四〇階まで来たのか未だに理解できなかった。受付嬢から案内された場所は専務室であった。
「ようこそ」
案内された場所には、マスもエイも知っている人物が立っていた。
「ガダル・・・」
エイが小さな声でつぶやく。
「やぁ、遠いところをご足労いただいたね。まさか本当に来てくれるとは思わなかった。本当に光栄だよ」
職場だからか知らないが、初めて対峙した時とは打って変わって、丁寧な口調になっているガダルである。
「よく言うぜ。俺たちの友人をさらったくせに」
「その点については悪かった。謝ろう。私はてっきり逃げ出してこないものだと思っていたからね。まさか本当に助けに来るとは思っていなかったよ」
「仲間捕らわれて、はいさようならって言う奴がどこにいるってんだ」
「そうね、どうやらあなたには仲間を想う心が失われてるみたいね。だから、私たちがここに来ることが想定外だったようね」
受付嬢も秘書もいない中、三人だけの会話が始まる。専務室というばかりに、広い個室に山積みの資料、高層階から世界を見渡せるかのような広い窓と景色。とても犯罪に手を染めるような組織とは思えない。一体なぜリブを誘拐したのだろうか。二人は問い詰めることにした。
「そうだな、強いて言えばエレクタクノロジーの研究のためだな」
「何ですって? なぜあなたのような人がエレクタクノロジーを研究しているの」
「いや、私というより所長の方だな。私は雇われているだけにすぎないが」
全てがつながったとエイは判断した。やはり背後に潜んでいたのはエレクタクノロジーであった。
「なるほど、エレクタクノロジーを持つリブをさらうのは、納得できるわ。あの力を研究しようとする気持ちはわからないでもないわ。だけど、どうしてリュウまでも狙ったのかしら」
「それは私にもわからないな。あのお方が考えることは一般人には理解不能な部分があるからな」
淹れたてのコーヒーを口にしているガダル。秘書に頼んだのだろうか、テーブルにはコーヒーが二人分置いてあった。ガダルが進めるようにコーヒーを指差している。
「ところで、あなたは一体何を研究しているのかしら。これだけの研究設備があるなら、相当なものを研究しているわよね」
「そうだな、私が研究しているのは、軍事産業と言うのがしっくりくるかな。専門は軍人の戦闘能力の向上だが。そこで研究しているのが、幻覚現象だよ。君たちも体験していると思うが、一種の催眠術だよ」
「それが、あのカナルとかいう人物ね。一見実在しそうな人物が実は虚像であったのは、心外だったわ」
千年前の時代でも、幻覚現象を使う人物はいなかった。もっとも、ガダルにエイが千年前の時代から来たとは言っていないが。だが、マスが何かに引っかかったように口を開いた。
「おかしいな。何でお前の必殺技をわざわざ教えているんだ? 黙っていれば、俺たちを簡単に倒すことができたんじゃないか? どうにもしっくりこなくてな」
エイもマスの意見に同調した。こんな簡単にタネを明かすなど、他に何か罠があるに違いない。
「幻覚現象は、所詮まやかしに過ぎないのさ。幻覚現象を使わずとも、君たちを簡単に戦闘不能にさせることはできる。さて、ひとつゲームをしようじゃないか。リブとリュウに会いたければ、この私を倒していけば、感動の再会を果たしてあげようじゃないか」
コーヒーを飲まない二人に業を煮やしたガダルは、核心に迫ることを口にした。
「その言葉は本当でしょうね」
「もちろんだ」
その言葉を信じるしかないと判断したエイ。だが、一端の研究室でどんぱちを起こせば建物が崩壊し、周りの人にも危害が及ぶ。そのため、ガダルは二人をある部屋に案内することにした。受付の人が来たが、ガダルが丁寧に断った。ガダルの研究室からエレベーターで五階ほど上に上がった。エレベーターのドアが開き、通された部屋にはは『特別危険動物管理センター』と書かれていた。
「どうやら、私たちは危険な動物というわけね」
「間違いではないかもな」
二人の会話を聞いていたガダルは、あながし間違いではないと思っていたが、口にはしなかった。
「ここでは、君たちがどれだけ暴れても、耐えることができるのさ。もちろん、私も、ね」
「それだけ頑丈な設備なのかしら。この施設は本当に大暴れしてもビクともしないのね。なら、私が暴れてこのビルを崩しても恨むことはないわよね」
高さ一〇メートルほどはある体育館のような空間。確かに危険動物を保護できる環境だ。にもかかわらず、エイはこの設備を壊すこともいたわないというのか。
「そこまでの能力が君にあるとは思えないが・・・まぁ、壊しても構わないがね。もっとも、壊せたらの話だが」
「その言葉に二言はないわよね。じゃ・・・」
エイはガダルの承認を取ったのち、大暴れをすることにした。まずは野球ボール級の火の玉を思いっきりガダルにぶつけることにした。ガダルは何の苦労もせずエイの火の玉を蹴飛ばした。蹴飛ばした先は天井であったが、建物はビクともしなかった。
「やるわね。では、次は・・・」
エイはガダルの力を確認したのち、サッカーボール級の火の玉を思いっきりガダルにぶつけることにした。ガダルは何の苦労もせずエイの火の玉を蹴飛ばした。蹴飛ばした先は建物を支えている柱であったが、建物はビクともしなかった。
「本当にやるわね。では、次は・・・」
エイはガダルの力を確認したのち、直径五メートルはあろうかという熱気球級の火の玉を思いっきりガダルにぶつけることにした。ガダルは何の苦労もせずエイの火の玉を蹴飛ばした。蹴飛ばした先はマスであった。マスはビクともしなくなった。
「まさか、ここまでとはね。驚いたわ。なら、これは・・・」
「俺はどーでもいーのか!!!」
マスの悲痛な叫びが響き渡る。
「こいつは驚いた。まさか君のような少女にこれだけの力があるとは思わなかった。これは油断してはこちらにも要らぬ被害が出るな」
ガダルの意外な発言に驚くエイ。その言葉が本心かは別だが、こうした相手を評価する敵は決まって手強いものだ。
「そういってもあなたはまだ本領を発揮していないのは丸わかりだけど。その言葉はあなたが本気を出してからにしてもらえないかしら」
マスはやや焦げた服の煤を払いながら、会話に参加することはなかった。というより、二人とは次元が違うため参加できなかった。
エイは先ほどの特大な火の玉をはじき返さたため、別の手を考えていた。まずは、ガダルの懐に入って裏拳を繰り出した。しかし、ガダルは難なくかわす。どうやら、ガダルは肉弾戦も得意とするようだ。しかし、ここで引き下がるエイではない。すかさず、ガダルの胸元に炎の球をぶつけようとした。
(この技は千年前の戦国時代での得意技だったわ。だから、初めて会うこの男には絶対に破れないはず――)
「ほう、私の胸元に炎をぶち込むというのか。随分と古典的な手を使うのだな」
ガダルに先を読まれていたことにエイは驚いた。この男は、どこまで格闘のプロなのだろうか。千年前の時には今ガダルにぶちかまそうとした技は誰一人としてかわすことができなかった。それが、古典的な技だと言われたことにショックを受けたエイである。さらに、千年の間にはそれほどの格闘技術が向上したというのか。
「やるじゃない、あなた。これだけの格闘技術を一体どこで身につけたのかしら。この平和な時代にこれだけの戦闘技術を身につけても使う場所なんてないのにね」
「そうだな。突然変異とでも言っておこうか。幻覚現象を含め私の戦闘能力はカール所長の手術によって私は無限の力を手に入れたのだ」
何やら怪しい実験の成果であろうか。だが、この大型な研究所であれば大掛かりな実験ができるだろう。
「じゃあ、あなたはそのおかしな実験を受けてその特殊な能力を身につけたのね」
「その通りだ」
その実験の賜物がガダルというわけか。そうして、この化け物みたいな特殊な能力を身につけたというのか。
「さて、ここら辺で古風なお嬢ちゃんには退場してもらいましょうか」
どこかで聞き覚えのあるセリフのような・・・そうだ。幻覚現象で気絶させられる前のセリフだ。
「その手には乗らないわ!!」
エイはガダルを視界に入れず炎を飛ばした。
「おっと」
幻覚現象を出そうとしたガダルが不意をつかれたように驚き、よろめいた。エイの炎を避けるのにやっとであったようだ。
「やるな。どこでこの幻覚現象の対処法を見つけた」
「あれはきっと催眠術の一種、すなわちまやかしに近いもの。だから、あなたの存在を私の中で消してあげたのよ。あなたは私に気絶しろと何かしらの信号を送っていたのでしょうけど。あなたの存在を私が認めなければ、きっと幻覚現象にかかることはないと思ったのよ」
「だからといって、炎を飛ばすのは、いささかやりすぎなのではないのか?」
「あなたにはこれくらいのことをしなきゃこっちの身が危ないわ」
ガダルは自信を危険に思ってくれることは光栄ではあるが、同時にエイを只者ではないことをより確信した。
「しかし、幻覚現象は所詮まやかしだ。だが、単純な戦闘であっても君たちを簡単にやっつけることができる」
かかってこいと言いたいエイであったが、ここまでの手練れは千年前の世界にも正直いない。あのユウト様と互角に戦えるだけの能力をこのガダルは持っている。正直、自分だけの力では難しいとエイは判断した。そこで、エイは一つの結論に達した。
「マス、私に力を貸して」
「え、お、俺が?」
一体何のことだろうか。マスは頭が追っつかない。なんか自分の名前が呼ばれたようだ。そしてこの強敵を倒すのに協力しろと。できるわけがない。
「それでも協力しなさぁぁい!!!」
「わあぁぁ!! 見透かされてたのかぁ!!」
戦闘に熟練している二人の間に入れるものか。マスは若干放心状態ではあったが、自分なりにどうやってこのガダルを倒すのか必死で頭を働かせていた。
「いい、マス。あなたの剣術としてはそこそこ役に立つわ。その剣術に私の炎をミックスさせれば、かなりの強力な武器になるわ。簡単に破れるはずがないわ」
エイの提案に渋々のマスである。だがどうやって自分の剣と炎をブレンドするというのか。そもそも、このレジェンドソードに耐火性なんかあったっけ?
「細かいことはいいから、早く私の提案に乗りなさぁぁい!!!」
「わあぁぁ!!!」
マスのうじうじした態度に業を煮やしたエイ。徐々に戦国時代の本性が出てきているようにも感じられる。しかし、ガダルの態度はどのような作戦が来ても自身を倒すことなど微塵も感じていないからか、高みの見物を決める余裕を見せていた。
エイは考えていた。このガダルには遠距離からの攻撃は皆無。ならば、近距離の肉弾戦に勝機を見出そうとした。しかし、肉弾戦でも難なくかわされてしまう。なら、少々販促ではあるが、肉弾戦で剣を持てば、こちらにかなり有利となる。それに、マスの剣術は決して劣りはしない。その剣術に私の炎をブレンドすれば、たとえ剣筋をかわしたとしてもその炎で何かしらのダメージが残るはず。もちろんマスにもダメージがあるかもしれないけど、彼は頑丈だから二の次でいいわ。
「だから声が聞こえているんだって!!」
マスの悲痛の叫び声が響き渡る。
「とにかく行くわよ! マス、ガダルに剣を向けて!!」
マスはやけくそ気味でガダルに突進した。レジェンドソードを上に大きく向けていた。その剣目掛け、エイが炎を放った。すると、レジェンドソードが何倍にも大きく見えた。レジェンドソードとエイの炎が共鳴しているのか。炎が勢いよく上に上にと登っている。それは、『特別危険動物管理センター』の高さ五階建てのビルの半分はあろうかという炎の剣となった。
「うおおぉぉぉ、な、なんだこの力は? この力があればガダルを一撃で倒せるぞ! いくぞガダル!!!」
マスがガダルに向けてレジェンドソードを大きく振りかぶった。さすがにこれは危険と察したガダルは、剣を受け止めることなく、左によけた。レジェンドソードを振りかぶると、剣先からレーザービームのように炎のレーザーが放出された。その炎の剣先は壁にまで達していた。炎の勢いが強いためか、かわしたはずのガダルの皮膚や服がやや焦げていた。
「こ、これはすごいや! この力を使えば簡単にガダルを倒すことができるぞ」
「そいつはどうかな。現に私はこの炎の剣の対策をすでにたてているのだよ」
「へっ、減らず口を」
マスは内心ガダルが焦っているのだと思った。この炎の剣を前にビビっているのだと。この熱き戦いの前に自身の敗北が迫っていることを認めたくはないことを。ん、熱い・・・そういえばさっきから手が熱いような・・・間違いない、レジェンドソードは熱伝導が非常に優れているのだ。つまり、持っている柄がだんだん熱くなってきた・・・
「あち―――――――!!! や、やけどする――――!!!」
マスはあまりに熱くなったレジェンドソードを持っていられず、手を壊れたおもちゃのようにブンブンと振り回していた。
「これが対策なのだよ。あれだけ強力な炎を剣が耐えられるはずがない」
「やっぱりレジェンドソードは耐火性ではなかったわね。作戦は失敗だったようね」
「関心するなー!!!」
まるで他人事か、実験を観察しているかのようなふるまいのエイである。こんな奴らがエレクタクノロジーのカギなのかと思うと落胆せざるを得ないガダルである。
ただ、ガダルは気になっていたことがあった。炎を出す人物。つまり炎術者である。かつてカール所長からエレクタクノロジーの継承者の証として炎を司る者であると聞いたことがある。カール所長が目をつけていたリブはエレクタクノロジーを発動させた本人で、もちろん炎を操ることができる。
だが、その炎の能力だけなら、目の前にいる小娘のほうが数段強力な能力を秘めている。もしかすると、この小娘もエレクタクノロジーの継承者なのではないだろうか。だが、カール所長の研究成果では注目されていない人物である。これほどの炎術者なら、とっくにエレクタクノロジー候補にリストアップされているはずだ。謎が深まるばかりのガダルである。
そんなガダルの思惑など意に関していないエイ。実は千年前の世界からタイムスリップしてきたといえばこの問題は解決できるのだが、ガダルの疑問が解決することはないだろう。