第二段階(セカンドステージ)
摂氏三十八度の熱波は、ベンチに並ぶランドセルたちすらも萎れさせている。
しかしそんな炎天下を物ともせずに公園を駆け回るのが子供である。
丸々太った少年のプラスチックバットが空を切る。
それを見て、短パンの少年はにんまりとガッツポーズを掲げた。
「っし! ジャイアン斬りィ!」
「えっなに今の球? めっちゃ曲がったんだけど」
「スーパーアルティメットハイパーボールな。オレが考えた超最強変化球だぜ」
悔しそうにしゃがみ込む太った彼の肩を叩き、小柄な少年が代わりに打席に立った。
少年は大袈裟に首を鳴らし、右手で顔を覆うと、影を帯びた表情を作ってみせた。
「我が名は魔王ハルド。このハルド空間の前ではそのような小細工は無用」
その瞬間、盛大な爆笑が巻き起こる。
「ぎゃははは。お前、ハルド空間はずるいって」
「ママが言ってたけどアレは頭のおかしい人だから、見ちゃダメだって。見たら馬鹿になるからやめたほうが良いって」
「でもアレじゃん。イレーヌのおっぱいはエッチじゃん」
「おっぱいってお前エロおやじかよ。だっせぇ」
次々と少年たちの口から出る罵倒。
短パンの少年は鼻で笑い、大きく振りかぶった。
「ハッ、ハルドとかやらせだろ。打てるもんなら打ってみろよ」
少年の投じた球はゴムボールの弾性が生み出す凶悪な変形により、プロ野球投手顔負けの変化を見せる。
まるで予定調和であるかのように、ハルドを名乗った少年のバットは空を切った。
「ほーらやらせじゃん。魔王ハルドよっわ」
「くそー、所詮ハルドじゃ駄目だったかー!」
「そりゃダメだよ。あのインチキじゃ」
「でも正直、あの配信面白いよな。やってるときはみんなビビッてシーンとしてるように見えて、実況裏サイト見たらいつも荒れまくってるし」
「本人は気持ちよさそうに話してるのがまたウケるよな。あれみんな笑いを堪えてなにか面白いこと言わないか観察してるんだぜ」
どこにでもいそうな子供たちによる、実にありふれた他愛もない会話である。
しかし、そのやりとりを十メートルほど離れた位置から聞き耳を立てて聞いていた、季節外れの目深帽の男がいた。
自らの拠点に帰るなり、ハルドは声を荒らげた。
「やっぱガキにネットなんて与えるべきやないねん! 狂っとるわ。世界は間違えた方向にいっとると再確認したで」
「あら、子供にいじめられでもしましたか? 怪し過ぎますものね、そのファッション」
「ちゃうねん!」
イレーヌはハルドが先日与えた化粧台に腰かけ、鏡と向き合っていた。
映画の主演女優ばりの長時間メイクは、もはやこのところの配信前における恒例行事である。
「ははーん。これが例の実況裏サイトっちゅうやつか。最初にあんだけ力を見せたいうのに、どうやらまだ世間のなかではハルドチャンネルはやらせいう認識がまかり通ってるらしいな」
「まあ無理もありませんね。ハルドもあれから黙って聞いてくれるのをいいことに、雰囲気ばかりで中身のない話ばかりしていましたし。では今日の配信で、その連中を血祭りにあげて分からせちゃいます?」
「いや。今更くだらんレスバトルのノリに付き合ってても仕方あるまい」
「あら? らしくないですね」
「クックック、これより人類絶望計画は第二段階に移行する」
ハルドは突然キリッとした決め顔になり、言った。
「第二段階……計画に段階があったこと自体が初耳ですけど、一体なにをするつもりなんです?」
「ハルドチャンネルの最終目標はなんや。イレーヌ」
「人類に自らの愚かさを認めさせ、自ら滅びの道を辿らせること、でしたっけ」
「せや。で、いよいよその方法なんやが、いきなり説教をしてもついてくる奴はおらん。エンターテイメントをやりながら、真綿を絞めるようにゆっくりと人類を闇落ちさせるんや」
「はい? ええっと。ちょっと言っている意味が分かりませんよ」
口で受け答えをしながらも、イレーヌの頬には目にも止まらぬ手さばきでファンデーションのようなものが馴染んでいく。
ハルドはその真後ろに立ち、声を張った。
「言ったやろ。この世界は弱肉強食、つまり弱者を蹴落とせるもんが勝ち残る世の中になってしまっとるって。つまりこの社会で成り上がった成功者の中には、裏で相当屑な行為をしているやつが沢山おる。そいつらの悪事を白日の下に晒すことで、人間どもに信じる物などないということを、じわじわと分からせてやるんや」
「ずいぶん悪趣味ですが、それがエンターテイメントになるんですか?」
「いかにも。大衆っちゅうもんはこういうの、好きやろ? 普段偉ぶってる強い奴が、自業自得で失墜していくのを見るん」
「分からなくもないですが。まるで下世話なマスコミのようですね」
「質がまるで違うわ。この第二段階でやらせ呼ばわりするピタリと輩も消え、チャンネル登録者数も視聴者数もさらに爆発的な増加が見込めるはずやで」
「だといいですね」
ハルドは例のごとくコマンドを詠唱し、バラエティー番組のセットにありそうな特大サイズのルーレットを出現させた。
その円盤部には隙間なく、ひたすらびっしり人名が書きこまれている。
「芸能人に政治家、起業家までジャンルは選り取りみどりや。こいつらの所業はすでにシミュレーションを統括するメインコンピュータのデータバンクで調べてある。標的にする人間は偏らんように、満遍なく選ぶようにするのがポイントや」
ハルドが悪い笑みを浮かべるとほぼ同じくして、イレーヌの尻尾もまたピンと立った。
「なるほど。誰から生け贄にするか、ルーレットで決めるんですね。なんていうか、悪の大魔王っぽいです」
「やろ。これも含めてエンターテイメントや」
手動でルーレットを回し、ハルドは二三歩後退る。
小指を立てたフォームから、ダーツの矢は軽快に放たれた。
「決まりましたね。おお、徳田忠治。いきなり政財界の大物ですね。これはちょっと面白いことになりそうじゃないですか」
「いや、今のはリハーサルや」
「……このくだり要ります?」
「配信中にその場でやらな盛り上がらんやろ。今のは格好よく投げる練習をしただけや」
「なるほど。命拾いしましたね徳田忠治」
「ほなイレーヌの顔面も仕上がったみたいやし、本番いこか」
メイクの完成したイレーヌは、いつもに増して自信に満ち溢れた目をしていた。
配信のたびに視聴者から容姿を称賛されることもあってか、回を増すごとにその化粧はグレードアップしている。
ガチャン。
照明は一旦落ち、刹那の暗転。
ハルドはその一瞬の間にキャラを作り、いつもの言葉を発した。
「御機嫌よう。マニフェストは人類滅亡。ようこそ、魔王ハルドのチャンネルへ」
本日も入場者数の伸び具合は上々である。
彼らはこれよりハルドチャンネルが爆発的な知名度を得るきっかけとなる、伝説の回を目にするのであった。