第2話 男爵家のメイド事情
話は、約1週間前に遡ります。
使用人の朝は早い。
鶏が朝を告げるよりも早く、朝日が昇るより前に起床する。
手早く身支度を整えた後は、その日の業務を確認。
それぞれの仕事を着実に、確実にこなす。
全ては、屋敷の主人が何不自由なく、一日を過ごすために……
♢ ♢ ♢
「ったく、もう!なんで、あたしたちがこんなことやんなきゃいけないわけ!」
無数にかけられた真っ白いシーツが青空の下で翻る。
その横で、1人の女性の声が、裏庭に響いた。
「仕方ないでしょ、唯でさえ人手が足りないのに、洗濯担当のメイドが急に辞めちゃったんだから。」
「だからって、厨房を任されているあたしらに頼む理由にはならないわよ!」
「そうそう。今度の夜会の準備だってあるのに!」
「あのメイド長のことだから、ジャガイモ剝きがよっぽど楽しそうに見えたんじゃない?」
「まさか!」
メイドたちは一頻り笑った後、残りのシーツを掛け始めた。
ここ、ラサル男爵邸は、王国の東側に位置する町、ミアドの一角にある。
小さな鉱山の麓にあるミアドは、小規模ではあるが、鉱石が採れることでその名を広めていた。
町民のほとんどが鉱業に携わり、町の経済を支えている。
「そういや、あんたの旦那、山からやっと帰ってきたんだって?一週間ぶりの帰宅だから、積もる話が有ったんじゃないかい?」
「そうだと思ったんだけど…。帰ってくるなり、疲れた、って言って、一歩も部屋から出てこないのよ。」
「あら、そう。今回は、よっぽどのことがあったのかねぇ?」
メイドは意外そうにそう言うと、後ろを振り返って、別なメイドに声を掛けた。
「そういや、あんたんとこの旦那も、山入りだったっけ?何か、話は聞いたのかい?」
「………」
「ハンナ?聞こえてる?」
「っ!え、えぇ、大丈夫。聞こえているわ。」
ハンナと呼ばれたメイドは一瞬肩をびくっと揺らすと、今気が付いたかのように振り向いた。
「あんた、旦那から山の話は何か聞いてる?」
「……ごめんなさい、私も夫からは何も聞いていないの…。」
「そう。まあでも、何でもないっていうのが一番、ってね!」
そう言い放ちながら、最後のシーツを勢いよく掛けた。
「よし。これで終わりだよ!」
「ちょうどお昼だし、休憩にしましょ。」
「一応、メイド長に確認取った方が良いんじゃないかしら?」
「なに野暮なこと言ってんのさ。アイツに会ったが最後、二度と休憩は取らせてもらえないよ!」
再び裏庭に笑い声が溢れ、メイドたちはそそくさと、その場を後にした。
♢ ♢ ♢
― 私が何とかしなければ… でも、どうしたら…?
「あの…、ハンナさん、大丈夫ですか?」
「……え?」
ふと話し掛けられて、ハンナは意識を現実に引き戻した。
どうやら自分は、裏庭の隅にある木箱の上に座っていたらしい。
同僚たちは既に休憩に行ったようで、周囲の静けさがそれを物語っていた。
「顔色が悪いですよ?どこか、具合が悪いんですか?」
「いえ、大丈夫よ。ごめんなさいね、心配かけちゃって。」
ハンナはそう言って弱々しく笑うと、自分に話し掛けた少女の方を向いた。
青いプリント地の服を着ていることから、メイドの1人であることは間違いない。
深い藍色の瞳が、彼女を不安そうに見つめていた。
「本当ですか?洗濯物を掛けているときも、大変そうでしたし…。」
「ちょっと考え事をしていただけ。何てことないわ。」
「……ちょっと厳しいかもしれませんが、私からメイド長に相談してみましょうか?」
「っ!それは、駄目よ!!!」
この場を去ろうとする少女に、慌てたハンナは思わず大声を上げ、彼女の腕を掴んだ。
「ハンナさん…?」
「あっ…、ごめんなさい…。でも、本当に大丈夫だから。それに、誰にも迷惑かけたくないのよ。」
「……分かりました。もし何かあったら、私に言ってください。ハンナさんが体調悪いこと、私は知ってるんですからね?」
「…ありがとう。もしもの時は、そうさせてもらうわ。」
少女が頷いたのを確認し、ハンナは安心したように掴んだ腕を放した。
じゃあ、お先に失礼します、と言って、少女は裏口から屋敷の中へと消えていった。
「…危なかったわね……。」
もう少しで、あの気難し屋なメイド長と話をする羽目になるところだった。
ハンナにとってそこまで苦手な相手ではないが、今の精神状態ではきつい。
― もっと、私がしっかりしなければ…
しばらくすると、使用人専用の寮の方から、賑やかな話し声が聞こえてきた。
休憩時間の終わりを悟ったハンナは、木箱からゆっくり腰を上げた。
少し気持ちが楽になったのは、あの少女のおかげかもしれない。
心配した彼女の、頬を膨らませた顔を思い出し、ふふっと笑ったハンナは、突然、ある違和感を覚えた。
「……あんな子、うちのメイドにいたかしら…?」
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