#9 横小路町子の場合5
そんなばかなと思った私は必死で脳みそをフル回転させ、現在までの状況を整理する事に決めた。
まず、小説というもの自体に怨念が溜まりやすい性質がある。そして中でも未完結の作品には作者や、読者の完結を願う怨念がこもりやすくそれを放置しておくと怨念妖怪エタルンになってしまう。そして誕生したエタルンをそのまま放っておくと、小説の続きを待ち望む読者、もしくは完結出来ない自分を悔やむ作者などがエタルンに目をつけられ異世界にリクルートされてしまう。
そして現在八神君と私のクライアント。花咲ゼミナールで事務をしている横小路町子さん二十八歳は、既にまやかしの異世界にリクルートされているという。
更に最悪な事に私が完結したいと願うたび、未完結に集まる怨念が私の体にまるで吸引力の変わらない掃除機のように吸引され集まってくる。そして何故か突然現れたイケメン妖怪桂かつをさんによって、私はその全然ありがたくないスキルのせいで「妖怪軍に是非」と入隊を進められている。
(そして現在私は許嫁の八神君と手つなぎデイト中。イマココって感じ)
「だから違うし」
八神君は何だかんだ言って律義な性格なのか私の心の声にそう反応してくれた。意外に優しい。
「ははは。よくわかったな。横小路町子がまやかしの異世界を作り上げる時に便乗し、お前をこの世界に誘い込んだ。俺が行ってもお前は警戒し、ついてこないだろうからな。はははは」
突然いかにも悪者っぽい、高らかな笑い声をあげるかつをさん。
「うわっ、ちょ、かつをさん!?」
私はかつをさんに突然片腕をガシリと掴まれた。そしてそのままグイグイ横に引っ張られる。
「八神とばり。こいつは我が妖怪軍東方で貰い受ける。悪いがお前は諦めろ」
「いいから行くよ、月野さん」
八神君が怒ったようにそう言うと私の手を掴んだまま、かつをさんと逆方向に引っ張った。そのせいで私は綱引きの縄のような状態になってしまった。
(人生初のモテ期到来。最愛の八神君と自称妖怪だけどイケメンのかつをさん。どうしよう。嬉しい。けど、痛い)
「いたた。やめて!!喧嘩はやめて!!二人で私を取り合うのはやめて!!」
人生初のモテ期に少しくらい体を引っ張られても我慢しようかと思った。けれど本気で痛くなったので私は断腸の思い出そう叫んだのだ。
「別に取り合ってないけど。そもそも君は俺のナビゲータなわけだし」
「確かに、取り合ってなどいない。お前は我が軍で妖怪全ての母になる。妖怪無限製造機になるのだ。ふはははは」
「え、そういうのを取り合ってるって言うんじゃ……」
思わず素でツッコミを入れる私。勿論無限製造機なんて私を馬鹿にしたかつをさんの言葉は全力でスルーした。
「ねぇ、月野さん。君の小さな脳みそでよく考えてごらん?完結させる事の出来る俺と来るか、永遠に完結出来ず、ひたすら未完結作品に集まる怨念を纏い、死ぬまでエタルンみたいな妖怪を製造するだけの人生を送るのか。さぁ、君が選んで。どっちを取るかを」
「八神君大好き。私は完結したい」
そんなの考える間もなく即答である。だって完結させたいし、八神君が好きだから。
「じゃ、そう言う事で。桂かつを。お前は今すぐ月野さんから手を離せ」
「お前は馬鹿か?俺がこんな都合のいい女離すわけないだろ?」
八神君、私を挟んでかつをさん。二人がキリキリと睨み合っている。
(主に私を取り合って)
最愛の八神君。イケメンの自称妖怪かつをさん。この時の私は人生初、二人の男性に真剣に求められていたのであった。
「出来れば痛い目に合わせたくはなかったけど」
小さくボソボソと呟いた八神君がパッと私の手を離した。両方から均等にかかっていた力の一方を失いバランスを崩した私。その結果もれなくかつをさんと私は床にドシンと尻餅をついて転がる羽目になった。
「う、お前、重いな」
「失礼ね!!標準体重より痩せてるから!!」
年頃の女子高生に向かって言ってはならぬ、体重に関する言葉を口にしたかつをさん。全くデリカシーの「デ」の字もない妖怪だと私はわざとらしくため息をついた。そして見事私の下敷きになっていたかつをさんの上から私はのそりとその身を起こし、そして目を丸くした。
(え?八神君?その刀は何かな?刀剣が乱舞しちゃう的な?)
今まで私の手を離さないとばかりギュツと握っていてくれた八神君の右手。その右手には先程まで何処にもなかった、シュルリと上に向かって伸びた大きな日本刀が握られていた。
「まさかあれは、名刀松竹梅……」
「月野さん、松竹梅って、それ日本酒の名前だから」
「あ、確かに。お父さんがたまに飲んでたからつい」
「そのついの意味がわからないけど。当たったらごめん。というか当たる前によけて?」
「え、よけて?」
私がポカンとした顔をしていると、いつの間に床から起き上がったのか、かつをさんが「お前はどいてろ」と怖い声で私に言った。そして私の肩をポンと押し、横に弾き飛ばしたのである。
「うおっ」
恋する乙女とは程遠い声をあげ、私はまたもや軒先の硬い木の床にお尻を強く打ち付けた。痣確定の痛さである。
「八神とばり。その刀を出すとは。ようやく本気を出しやがったな。おもしろい。俺が相手になってやる!!」
かつをさんが興奮した声でそう言うと腰の脇に差した鞘からこちらもシュルリと刀を抜いた。その瞬間キラリと刀身が赤く輝く。
「さぁこいっ!!」
かつをさんがニヤリと笑い目を爛々と輝かせ八神君に向かって刀を構えた。
「天下五剣に宿りしかつての英雄よ。我、名刀三日月宗近の現在の主なり、この世に残存する怨念を浄化すべく、我に力を与えよ!!」
八神君がまるで時代劇と特撮ヒーロが合わさったような、少し厨二病が混じったようなお決まりの台詞っぽい言葉を快活に口にした。すると八神君の持つ刀の刀紋部分がボワンと青く光った後、キラリと輝きを放った。
「そうこなくちゃな」
ぺロリと唇を怪しく舐め、それからかつをさんはタンと床を蹴って飛び上がると、八神君の頭上めがけ長い刀身を迷わず一直線に振り下ろした。
「きゃーー!!八神君頑張って!!」
そんな私の熱い声援を掻き消すようにカキンといい音が響く。八神君が自分に振り下ろされたかつをさんの刀を横に弾いたのだ。かつをさんは人間離れした身体能力を生かし、くるりんと一回転し八神君の横に着地した。そして間髪を容れず、今度は下から剣を八神君に向かって振り上げたのだ。
カキンと高い音がぶつかり合う。
八神君は何とかギリギリセーフといった感じ。辛うじてかつをさんの振り下ろした刀を刀身で受け止めた。
ギギギーと刃物同士が擦れる嫌な音がして、私は思わず鳥肌が立った。
(うお、寒い、やだ。金属の擦れる音こわい!!)
実のところ、私は金属が擦れる音が大変苦手なのである。銀のプレートに乗るカレーライスに銀のスプーンが添えてある店に当たったりした場合、もれなく私はスプーンに全集中。最後まで何とかカレーソースを盾に金属同士が触れ合わない努力をしながら食事をする羽目になるのである。
(金属と金属のぶつかり合い、反対!!)
私は一人そう抗議する。抗議プレートがあったら国会前で行進したいくらいである。
しかしそんな私には勿論誰も構まってはくれない。八神君とかつをさん、二人は睨み合ったままそのまま刀を交差させ、ぐるり、ぐるりとその場でゆっくりと回り始めた。
「どうしよう、八神君がバターになっちゃう」
「ならないでしょ」
聞きなれた声がして私はハッと横を向いた。するとそこには――。
「お姉ちゃん!!なんでここに?」
「それがさ、何かよくわかんないけど横小路さん、えーとめぐるとあんたの彼氏が会いに来た社員さん。覚えてる?清楚で真面目そうな人」
「流石に覚えてるよ」
私は姉に馬鹿にされたのでジロリと睨んでおいた。
「そっか。じゃ、話は早いね。めぐるも邪魔だからさ、こっ、ちに、おいーーでーーよーーお」
姉の言葉が最後、間延びしたレコードのようになった。そしてみるみるうちに、姉の顔から全てのパーツが抜け落ちたのである。一般的にいう所、のっぺらぼうというやつである。
「ぎゃーー!!」
仰け反った私はまた尻餅をついた。今日だけで三回目だ。しかも今回は生まれたての小鹿のように体が震えて動かない。動かないけどのっぺらぼうになった姉から目が離せない。
(やだやだ、人間本当の恐怖が迫ると、腰が抜けちゃって、視界に入れたくないのに、つい見ちゃう性質があるんだ)
知らなかった。だけど知らなかったのは当たり前だ。だって私と同じ体験をした人はみんな、既にお亡くなりになっているに違いなにのだから。
「ムカつく小娘の、妹。ムカつく。私はずっと永山君が好きだった。なのに若いってだけで、ちょっと美人だからって、ムカつく。消えちゃえ、消えちゃえ」
のっぺらぼうで口がないのにしっかりと私に分かる言葉を喋って、それがきっちり私に伝わっている。怪奇現象が怖い。
(だ、だけど、こういう時って、多分八神君が助けてくれる。そんな気がする)
『ごめん。俺それどころじゃないから。自分で何とかして』
「えっ?」
私は震えながら目の前に迫るのっぺらぼうから視線を逸らした。そして頭を振り八神君を探す。すると今や中庭に降り、しかしまだグルグルと睨み合ったまま回っている八神君とかつをさんを見つけた。
(け、けど、一体どどうしたら)
『ここは横小路町子が頭の中で想像するまやかしの異世界。のっぺらぼうに見えるけど、それは横小路町子だ。そして空想の世界では、何でもあり。わかるよね?』
頭の中に八神君の声が聞こえる。言っている事の意味としてはよくわからない事が多い。けれど何でもあり。そこが重要なのだと、それだけは私にもわかった。
(ええと、こういう時最強なのって……)
私は必死で考えた。十六年の人生の中、敵に襲われた時に最強だと思えるものを必死で考えた。
(あ、あれかも!!)
そう閃いた瞬間。むくりと体が勝手に起き上がり、ふわりと床が地面から離れた。そして両手をぶらりと下ろし、私はその時を待つ。不思議とそんな気分になった。
ボンッ!!
何かが弾ける音がして、私の体はピンクのキラキラとした煙に包まれる。
(やった、成功!?)
私は自分の体を包む虹色の光に既視感を覚え、そしてニヤニヤとしてしまう。
虹色の光の中、昭和からスタイルチェンジをしていない我が校の良く言えば伝統がありあまる制服。白いセーラー服に紺のヒダスカートがみるみるうちに可愛らしく変化をしていく。
「うわ、ミラクルメグルン!!めちゃくちゃ可愛い!!本物だ!!」
そう、私はかつて子供の頃、初めて自分が空想し執筆し、未完結のまま放置してある作品『魔法少女、ミラクルメグルン』に変身したのである。