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【完結】月野めぐるは完結できない  作者: 月食ぱんな
第一章
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#7 横小路町子の場合3

「完結ですか?ええまぁ、もうあのサイトに投稿する気力がないので。そうでしたっけ。完結してませんでしたっけ、私」


 思いもよらない事を聞かれた。そんな顔を町子さんは私達に向けた。


「失礼ですが、何故投稿されなくなったのですか?」


「それは……仕事が忙しくなったからです。夏休みに向け、夏期講習の準備ですとか、何かと雑用が増えまして。当社には現役で大学受験を目指す生徒もおります。ですからその子達の放課後を利用し、夜授業をする日もあります。そうすると私達事務も帰宅が遅くなりますので疲れてしまって……」


 町子さんは疲れたと口にした言葉を誤魔化すように、静かに微笑んだ。けれど確かに目の下には色濃く隈が出来ていた。本人の言う通り大変お疲れのようである。


 確かに自分も放課後、塾がある日はドッと疲れて帰宅する。それはきっと塾の先生や事務の人も同じなのだ。私は町子さんの無理して笑っているような表情を見て、普段明るく接してくれている塾の事務のお姉さんの顔を思い出す。


(あ、確かに時折疲れた顔に見えなくもない?)


 私は今まで全く気に留めなかったが、塾の事務の人の苦労を少しだけ垣間見れた気がした。だから私はこれからはきちんと決められた期限までに提出物を出そうと心に誓ったのであった。


「なるほど。確かに昼間は浪人生。夜は現役生。どちらの対応もしなければならないのは大変そうですね。生徒の数も多いでしょうし」


「そうですね。一人一人志望校も違えば、苦手教科も違う。それぞれのカリキュラムを提案したりするのは大変だな、そう感じる時もあります。けれどチューターの子達も手伝ってくれますし、やはり生徒達が志望校に受かってくれるとこちらも嬉しい。だからとてもやりがいはあるんですけどね」


 町子さんはそう言って柔らかく微笑んだ。ハッキリ言って私のように地味めで目立たない人。町子さんはいわゆる陰寄りの人だ。けれど、彼女はただの陰ではない。縁の下の力持ちなのである。


(それに自分には関係ないのに、誰かの志望校合格の為に頑張れるって実は凄いことだよ)


 八神君は私の心の声に小さく頷いてから真っすぐ町子さんを見つめる。そして八神君は今までにないくらい真剣な表情になった。


「では、完結を。出来たら今ここであなたのエッセイ『雪うさぎの枕の掃除』こちらの作品の完結ボタンを押してもらってもよろしいでしょうか?」


「え?今ですか?そんな一刻を争う事態なんですか?」


「はい。今ならまだ間に合いますので」


 驚く町子さん。そんな町子さんに八神君は顔色一つ変えず完結しろと迫っている。


(町子さんが驚くのは当たり前だよね)


 前に八神君に町子さんのペンネームを教えてもらった日。実はあの日から数日ほどかけて彼女の作品に私は目を通してみたのである。


 確かに書いてある事は他愛ない事ばかり。日々の愚痴のようなものも多かった。けれど恋について書いてあるエッセイはついいいねと評価を押したくなるほど共感できた。特に片思いの切なさが。


 何処となく自分の切ない恋心を丁寧な文章に乗せ昇華している。そんな印象を彼女の作品から私は感じ取っていたのである。


 だからきっと町子さんが『雪うさぎの枕の掃除』の完結ボタンを押す時。それは今町子さんが抱えているその恋が成就した時か諦める時なのだろう。


(誰かに言われて直ぐに恋を諦めたり、告白したりなんて出来ないし)


 私だってさくらちゃんに八神君へ告白しろと迫られた。けれど大変デリケートで繊細。その上自分ではどうする事も出来ない恋心というのは、形式的にすぐ解決できる問題ではないのだ。


 だから町子さんも完結ボタンを押すことを今躊躇している素振りを見せているのである。私はその事に気付いた。けれどこの状況で八神君にそれを伝える時間は残念ながらなさそうである。


(ほんと、好きって辛い)


「は?あ、すみません。またもや邪念が……」


 私の憂いある心の呟きに八神君が反応し、さり気なく私を睨んできた。


「今ここで、押すんですよね……」


 町子さんが薄ピンク色のスマホをジャケットのポケットから取り出した。そしてスマホの画面に何処か寂しそうで、悲しそうで、名残惜しそうにも見える複雑な視線を落とした。


「出来たら、今この場でお願いします」


 八神君は「早く押せよ」と言わんばかり。身を乗り出して町子さんに完結を迫っている。


(鬼畜か!!町子さんは……町子さんは今必死に己の恋心と向きあっているんだよ。もう少し待ってあげなよ八神君!!)


 私は乙女心が全くわかっていない冷酷ダメ人間の八神君に激しく抗議の声を心であげた。


『君は俺を邪魔する為にそこにいるのかな、月野めぐるさん?君は俺のナビゲーターだよね?』


 少し苛ついた八神君の声が私の頭に響いた。


(うっ、確かに私はこっち側……)


 私は町子さんの片思い独特の辛くてやるせない気持ちが手に取るようにわかる。けれど今はこっち側。八神君のナビゲータなのだ。つまり八神君が町子さんにして欲しいこと「完結ボタンをポチリ」を全力で応援する側にいなければいけないのである。


 その事に気付いた私は助っ人とばかり、会話に参入してみる事にした。私のボス八神君は事務的になりすぎるきらいがある。私は町子さんの乙女な恋心を無事成仏させるためにも、出来たら穏便に自らの意志で完結ボタンを押してもらいたい。そう思って勇気を出したのだ。


「よ、横小路町子さん、実は私、あなたのエッセイを読みました。大人の話で分からない事も沢山あったけど、あなたが恋について執筆している部分は凄く共感出来ました。それで救われたわけじゃないし、今も暖簾に腕押し、絶賛片思い中ですけど」


 思わず私はそこで言葉を区切り、隣にいる八神君に顔を向けた。スキル愛の押し売りだ。


「いいから続けて」


「はい。ご主人様」


「え、それやめて。誤解されるから」


 八神君が焦った顔を私に向けた。非常にレアな八神君の表情を引き当てた私は俄然やる気に満ち溢れた。ご褒美はやる気に直結するのである。


「ええと、それで何が言いたかったかと言うと、片思いっていいですよねって思いました。私の姉、あ、ご存知のアレですけど。見た目が派手なので異性にモテるんです。だから姉は自分から告白をした事がないと思います。勿論片思いも。けれどそれってちょっと可哀相だって思うんです。だって私は片思いこそ恋愛の醍醐味だと思ってますので。一人でモダモダして、モダモダしてる自分最高って思いますから」


 多分今の私はドヤ顔だ。自分的に上手く話をまとめて口に出来たと確信しているからである。


(そりゃ、好きな人とキッスもしたいけれど。いやむしろ既にしたけれど、またしたいけれど)


 心でしっかり願望と事実を述べた私は隣に座る八神君に顔を向けた。


「断る」


 今回の八神君は町子さんに顔を向けたまま、私をちらりとも見ず即答である。


「なるほど、そうなんだ。月野さんはふふふ。わかった。完結を押すわ。はい。これでいいのかしら?」


 町子さんは私の説得が功を奏したのか、それとも私の切ない片思いの相手が八神君で、その八神君が私に全く脈がない事を知って憐れに思ったのか。そのどちらかなのかは私にはわからなかった。


 けれどあんなにスマホの画面を切なそうに見ていた町子さんは、呆気なく完結ボタンを笑顔でポチッと押してくれた。それからその画面を証拠とばかり八神君と私にスマホを向けて見せてくれたのだ。


(おー。確かに完結済みになった)


「ご協力ありがとうございます。これで一件落着です。今日はお忙しい中、お時間を取って頂きありがとうございました」


 そう言って八神君が立ち上がったので私もそれに倣った。そして二人で丁寧に頭を下げ、横小路町子さんの職場。花咲くゼミナールを後にしたのである。


 ☆


「お疲れ様。今日は月野さんのお陰で簡単に解決できた。ありがとう。はじめて君をナビゲーターにして良かったと思った」


「最初の事件で既にそう私に感謝するならさ、もう付き合っちゃおうよ」


 私はしつこく八神君に自分をアピールする事を忘れない。今日の私は八神君の役立ったのだ。それくらい主張しても罰が当たらないと思ったからである。


「は?それは無理。さ、帰ろう。早く帰って現文のレポート書かないと」


「えー、もうお開き?折角最初の事件を解決に導いたのに。助手の私に何か――」


 ご褒美ないの?と私は閃き、そこからいい事を思いついた。私は慌てて既に数歩先を歩く八神君の前にバッと両手を広げ通行の邪魔をした。


「今度はなに?」


 物凄くうざそうな顔を私に向ける八神君。けれど私はめげない。いい事を思いついたのだ。これは神のおぼし召しに違いないのである。


「あのさ、八神君って内閣の偉い所の社員だよね?」


「社員じゃない。どっちかっていうと職員だろうな」


「わかった八神君は職員。つまり職員は給料を貰えるわけだよね?」


「そうだね。俺は無駄働きはしない主義だから」


 早く帰りたそうに一歩足を踏み出す八神君。けれど私はそんな八神君に体当たりをする。


「じゃあさ、私にもお給料を頂戴」


「え?」


「だって私は八神君に雇われたナビゲーターなわけでしょ?だとすると私もお給料が欲しい」


「あー。確かにそうだな。今度ナビゲータの給料の相場を調べておくよ」


「いいえ、それは完全に間違ってるよ、八神君」


 私は待ってましたとばかり、両手を腰に手を当てゆっくりと首を左右に振った。


「え、だって給料が欲しいんだろ?」


「うん、欲しい。だけど私のお給料は現物支給でいいよ」


「現物支給?」


 八神君は眉間に皺を寄せ、こちらを思い切り訝し気に見つめた。


「それはね、一回事件を解決する毎に八神君が私にキッスを――いたっ!!」


 私の壮大なる閃き「いいこと」は言い終わる前に八神君の愛ある脳天空手チョップにより無残にも儚くその命を終えた。無念だ。


「断る。大体さ、君は俺を好きだという物好きだけど、俺は君が好きじゃない。そんな、自分の事を好きじゃない男からキスされて嬉しいわけ?」


「うん。嬉しい。八神君なら嬉しいから。だからキスして。ご褒美に」


「君は痴女か?というか、もっと自分を大事にしておいた方がいい。本当に好きな奴が出来た時後悔するぞ?」


「え、でも私は八神君が好きだし、もう既に八神君にファーストキッスを奪われ済みだけど?」


 何をおかしな事を言っているんだ八神君。そんな気持ちで私は八神君の顔をのほほんと見つめた。


「いいか?今君が俺を好きな気持ちはただのまやかしだ。小説を完結させる事が出来ない自分を悔しい、情けないと君は思っている。だから完結できる俺が羨ましい。その羨ましいを好きだと勘違いしているだけだ。そうだろ?」


 八神君はそう言って長い前髪の向こうから私をきつく睨みつけた。


「えっ、けど、完結できるのは凄いし。それに八神君はやさし……くない。け、けど、八神君は明るく……もないけど、でも恰好いい……人は見た目だけならもっといるような……」


 私はいちいち自分の発する言葉に自信が持てず、自らの言葉に反論して頭を大混乱させていた。すると八神君は「ほらな。そういうこと」とボソリと口にした。そしてテクテクと私を置いて早足で駅の改札の中に入って行ってしまったのだ。


(だけど好きって気持ちはあるんだよ。本当に)


 最後の抵抗とばかり、私は八神君に心で通信しようと話しかけた。けれど私のその言葉に八神君からの応答はなかったのである。


 ☆


 その日私はお風呂の湯船に浸りながら激しく自己嫌悪に陥っていた。


(八神君に好きの押し売りをすると、もしかして八神君を傷つける事になるのかな。けど、私は完結王子八神とばり君がすき)


 言葉で説明すると難しくて、モゴモゴと口籠ってしまう。けれど私の心は「八神君がすき」で溢れているのだ。


(むぅ、片思い、難易度たかっ!!)


 顎までしっかりと湯船に浸り、私はひたすら八神君の何処を好きなのか、具体的に考察していた。今度会った時に、ちゃんとコレコレこういう理由で八神君が好きですと論理的に説明する為だ。


 けれど私は結局答えが上手く出せないまま、お風呂でのぼせて溺れそうになった。それを救出しに来てくれた母に「馬鹿ね、ダイエットなんてしなくていいの、育ち盛りなんだから」とお小言を言われてしまった。


 そして布団に入って思った。横小路町子さんが何故完結ボタンをすっきりとした顔で押せたのか。


(確か町子さんはお姉ちゃんの彼氏、永山晴斗さんが好きって極秘の捜査資料に書いてあった)


 つまりそれは、永山晴斗さんは月野みくると付き合っている。我が国において一夫多妻は認められていない。という事は、横小路町子さんはその時点で失恋をした事になる。だから叶わぬ恋と諦め、そして自分の恋の完結ボタンをスッキリと押すことが出来たのだとしたら……。


(私も失恋したら、八神君に好きな人や彼女が出来たら諦められるのかな……ん?八神君に好きな人っているの?)


 いやいやそれはない。彼に女の影を感じたのは町子さんが初めてだ。でも絶対にないとは言い切れない。どっちだ、どっちなのだ!!と私は悶々としていたら、いつの間にかぐっすり寝ていたらしい。起きたら妙に頭がスッキリとリセットされた感じだった。


(さ、今日も八神君に愛を囁くぞー!!)


 朝から元気が復活した私はまだこの時、恋の怖さを知らない甘ちゃんだった。


 何故なら、横小路町子さんの抱える恋の想いが、やはりそんな簡単に一筋縄で決着がつけられるものではないという事に全く気付いていなかったからだ。

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