#6 横小路町子の場合2
現在私は多分世界一ギョッとした顔をしている。何故なら横小路町子さんの勤め先、花咲ゼミナールを八神君と捜査で訪れたところ、何とそこに私の姉月野みくるがいたからだ。
「こ、こちらは、私の姉です。麦田大学の二年生。勿論内部進学組です」
「やだ、わざわざ言わないでよ。内部ってバレると楽して入ったって思われがちなんだから。じゃなくて。こんにちはー。私はめぐるの姉、月野みくる。よろしくね少年……ってこの子がめぐるの彼氏なの?」
「うん、そう!!」
「いいえ、違います」
私は見栄とそうなったらいいなという願望の籠もった言葉を発した。そして数秒立たず八神君が私の言葉をあっさりと否定した。
(チッ、こういう時は普通、はいそうですって言うんだよ。八神君はもっと空気を読むべし)
「読まないし。ええと、八神とばりと申します。めぐるさんとは同じ文芸部の部員仲間で、色々とお世話になっています」
「ははーん。なるほど。めぐるはこういう子がいいんだ」
私達に出した麦茶を乗せたお盆を持ったまま胸の前で手を組む姉。その表情は八神君と私の関係性に興味津々といった野次馬根性が見事に丸出しだった。
「お姉ちゃん、前はアキバのメイド喫茶でバイトしてたじゃん。何でいきなりこんな所にいるの?」
私の記憶が正しければ私の姉はアキバのメイド喫茶で「萌え萌えニャン」などと言ってオムライスにケチャップでハートを書くバイトをつい最近までしていたはずだ。
「彼氏がさ、メイド喫茶はやめて欲しいって言うから。で、その彼氏の紹介でここのチューターをしているってわけ。とは言え彼氏と同じ職場ってバレるとやばいから、絶対それは秘密ね」
「えー。じゃ、口止め料に今度長野フルーツパーラーのメロンパフェ奢って」
私はここぞとばかり姉にたかる。高校生のうちは駄目と親にバイトを許されていない私。だから常に金欠状態である。というわけでタダで美味しいものをゲットするチャンスは決して見逃さないのである。
「やだよ。私はパフェに二千五百円も出せません。でも私は妹思いの優しい姉だから亀田コーヒーのパンケーキ。それなら奢ってあげるけど?」
私は姉の言葉にしばし頭を悩ませる。真っ先に思い浮かべるのはやはり長野フルーツパーラーのメロンパフェだ。中に入った凍らせたマスクメロンのシャリっという食感、そして噛んだ瞬間ふわりと鼻から抜けるマスクメロンの甘い香り。あれがもう一度食べたい。
(しかしお値段なんと、二千五百円!!)
最高級の国産マスクメロンを贅沢に使用しているのだから、二千五百円の価値あるパフェには違いない。けれど二千五百円と言えば私の一か月のお小遣いの半分である。
(二千五百円を文房具換算すると……)
私は身近な物を頭に思い浮かべ、メロンパフェを諦めるべきか考察する事にする。
最近何かと機能性が向上し、それに合わせるように学生の友である文房具の物価も年々値上がりを余儀なくされている。シャーペン一つをとっても、ピンきりとは言え、私の周りで大人気なノック不要の永遠に書き続けられるタイプのシャーペンはお値段ズバリ千円超え。
(憧れの最高級シャーペン、二本分……)
確かに長野フルーツパーラは私には夢物語かも知れないと私は思い始めた。同じ屋根の下に住み、同じ両親というスポンサーに育てられている姉の「パフェに二千五百円は出せない」という意見は案外信用に値するかも知れないと私は結論づけた。
「じゃ、亀田コーヒーのパンケーキで」
熟考の末、私が長野フルーツパーラーのメロンパフェを泣く泣く諦めた瞬間である。
「ふふ、了解。今度予定を合わせて一緒に行こ?あ、何ならえーと、とばり君だっけ?あなたもどう?」
「あ、いえ。僕は遠慮させて頂きます」
即答である。そんな八神君に姉はクスリと笑みを漏らすと私に「今度詳しく聞かせて」という視線を送ってきた。私は仕方ないのでコクンと頷いておいた。というか正直私も姉に色々と恋愛的アドバイスを貰いたい。
(全ては八神君のために!!)
心の叫びと共に、グッと腕を握ると、私の隣に座っている八神君がピクリと肩を震わせた。そして小さな声で「だからそういうの、いきなりはやめてくれ」とぐったりとした声で私に告げた。
「そう。じゃ、めぐる、ごゆっくりどうぞー」
「あ、すみません。あの、もしかしてみくるさんの彼って、麦田大学三年の永山晴斗さんですか?」
「うん。そうだよ。ってえ?何で知ってるの?あ、そっか。彼ミスター麦田の最終選考に残ったもんね。ま、イケメンだけど惚れるなよ、めぐる!!ってめぐるは大丈夫か。ははは。じゃーねー」
私の姉、みくるは自分の言いたい事だけズバズバ言うと、パタリと部屋と扉をしめ、部屋から去っていった。
(つまり今、私は八神君と密室に二人きり)
「何もないから。というか、君のお姉さんってなんと言うか……」
八神君はそこで悩まし気なけしからんレアな顔を私に向け口を噤んだ。必死に私の姉を表すのに最適な言葉を選んでいるようだ。
「キラキラしてて美人でしょ?まぁ、私と正反対。お姉ちゃんは私達と同じ学院生だったけどテニス部だったし、美人で頭も良くて、いつだってスクールカーストの頂点にいる人だから。体育祭で張り切っちゃう人達の側」
私と違い見た目良し、性格良し、文武両道。天が全てを与えた姉は私なんか足元に及ばないくらい、友人に囲まれ、男子にモテモテの人気者だ。
(きっとあれだよね、お母さんのお腹の中にいる時、私の分のキラキラもお姉ちゃんが持って行っちゃったんだ。だから私は地味で、根暗で、モブCなんだ)
「そうかな。君だって、充分明るいと思うけど。クラスではどうなのか、それは流石に俺にもわからないけど。少なくとも俺といる君はこっちが疲れるくらい、能天気で明るい気がするんだけど」
「え、それって誉めてくれてる?」
「別に褒めたわけじゃない」
八神君はもっさりとした長い前髪の奥、おでこに皺を寄せるとぷいっと横を向いてしまった。
(へへへ、褒められた)
「だから褒めたわけでは――」
八神君が私を頑なに褒めてないとツンデレのツンが全開になりかけた時、コンコンコンと部屋をノックする音が聞こえた。私と八神君はサッとソファーから立ち上がる。
毎日学校で授業開始の際、先生が教室に入って来たら席から立つ。それをもう義務教育から数えて屈折十一年。ほぼ毎日繰り返し自然に身についた所作である。ある意味我が国における教育の賜物だと言えるだろう。
そしてガチャリとドアノブが下がり私達のいる部屋の扉が開いた。
「お待たせしてしまい申しわけございません。花咲くゼミナールの教室事務担当、横小路と申します。こちらを」
町子さんはそう言って、既に手に持っていた名刺の両端を持って八神君に差し出すと頭を軽く下げた。八神君は差し出された名刺を受け取ると胸ポケから黒い手帳を取り出した。そしてその手帳を片手で持ってパカリと縦に開いたのである。
「初めまして。私は国家公安執筆パトロール隊、第九班一係の八神とばりと申します。彼女は私の助手、月野めぐるです」
やばいと私は即座に思った。というのも八神君の自分を少し恰好つけたように大人ぶって「私」呼びする所とか、私の事を助手と言った後私のフルネームを口にした所とか。それから母がよく見ている刑事ドラマのように黒革の手帳をパカリと開いて、中にある金のやたら意匠の凝ったバッチを見せつける所とか。やばい、どうしよう物凄く恰好いい。
「月野……めぐる…さん。あら、もしかして、月野みくるさんの妹さん?」
「あ、はい。あ、あ、姉がいつもお世話になっております」
私は八神君「すき」という思考からすぐに現実世界に戻り、ぺこりと町子さんに頭を下げた。
月野みくるとめぐる。この少々変わった、ともするとキラキラネームでしかない名前は完全に親の趣味である。言っておくが私の意見は一ミリたりとも入っていない。何故なら、私は名付けられた当時「おぎゃー」と泣く事しか出来なかったからだ。
という事情はさておき、みくるとめぐる。似た感じの響きに加え珍しい「月野」という苗字。大抵の人は外見では気付かない。けれど名前で姉と私の関係には気付くのだ。
「ご姉妹だったんですね。よく見るとみくるちゃんに似てるかも。あ、ごめんなさい。どうぞおかけになって下さい」
そう言って八神君と私は良く見かける、座面と背もたれがダイアの模様になった黒い皮のソファーにむにゅっと腰掛けた。
「それで、先ほどの、執筆パト―ロールというのは?」
横小路町子、二十六歳。眼鏡をかけた長い黒髪を一つにまとめた大人し気な女性だ。部屋の中で働いているせいか色白で痩せ型。塾の事務という事もあり、白いワイシャツに紺のベスト。それにタイトスカートといういかにも事務ですといった見た目の制服を着用していた。
「執筆パトロール隊は昨今、ネット上で未完成の作品を狙う犯罪が多発しており、その取締り、調査をする部署です。聞きなれないとは思いますが、何卒ご協力願います」
「未完成の作品を狙う犯罪……ですか?」
八神君はさりげなく妖怪エタルンの事を上手く濁し説明したなと私は密かに感心していた。けれど、やはり今の説明では納得できなかったらしい町子さんが、怪訝そうな顔を私達に向けた。
(でも妖怪なんて言ってもねぇ。普通の人は信じないよね)
私の心の呟きに八神君がこちらをチラリと窺い、怖い顔をした。
『いいから、黙ってて』
「え?八神君?あ、えっと。何でもないです」
突然自分の頭の中に八神君の声が響いたので私は思わず背筋を伸ばした。まさかこれも、お互いの力が八神君曰くリンクしたせいだろうか。
(とすると、スマホいらず?通信料を気にせず、八神君とお話しし放題。つまりそれはもう、家族割――)
「コホン、コホン、ええと、未完成の作品が犯罪にという件でしたね。あまり表向きには公表されていないのですが、未完成の作品。それはつまり作者が放置している事を意味します。そこに目をつけたハッカー集団が、巧みにその作品にウィルスを仕掛ける。するとその作品のURLを踏んだユーザーが、何らかの不幸に見舞われる事がある」
「それは、個人情報を抜き取られるとか、でしょうか?」
「ええ。大体そうですね。最悪の場合、個人情報を抜き取られ、何処か遠くへ飛ばされる……なんてことも」
(異世界転生ですね!!)
「人身売買ですか。まさか未完の作品にそんな恐ろしいウィルスが仕掛けられているなんて」
(いえ、異世界転生です!!)
「コホン。月野さん?黙って。ええと、失礼。邪念が頭の中に響いて。あ、いや、ええと、全ての未完の作品。と言ったわけではないのです。失礼ですが横小路町子さん、あなたはペンネーム「花咲く雪うさぎ」というお名前で小説投稿サイト「小説家になりたい」に投稿されていますよね?」
私の的確な指摘に対し、八神君はワザとらしい咳をしたのち口を閉じるよう私に言った。残念だけれど仕方がない。だって睨まれたから。
「えっ、まぁ、はい。確かに私が「花咲く雪ウサギ」です。といっても拙い文章のエッセイを細々と書いているだけですけれど」
町子さんが自分のペンネームを言い当てられた事に驚いた声をあげた。けれど昨今、情報開示請求がなされた。そんなニュースを目にする事が多いせいだろうか、どうせ調べられると思ったかどうかはわからないが素直に自分のペンネームを認めた。
「いえいえ、日刊三位を獲得された事もおありだ。拙いなどと謙遜なさらなくても。それでですね、単刀直入にお窺い致します」
八神君がそこで思わせぶりに言葉を切った。
「あなたはそのエッセイを完結するつもりはおありですか?」
完結という言葉に私の心はビクリと大きく動いた。なぜならば八神君が町子さんに問いかけた言葉。それは未完の女王である私にとって、そのまま自分の心に痛いほど突き刺さる問いかけだったからだ。