#31 八神とばりのその後
私の記憶の中で八神君と私は確実に両想いになった。それは確かな事実である。証人はイケメン妖怪桂かつをさんだ。そして現在私は図書準備室で八神君と仲良く密室デート中。そのついでに推薦図書用のPOPを作っているところだ。
「八神君、いっそお隣に座っていい?」
「は?「いっそ」の意味がわからないし。いいから君はずっと永遠にそこに座っていていいよ」
八神君は視線で私に「動くな、動いたら、わかっているな」と怖い顔と共にそうアピールした。
(おかしい、八神君は私が好きなはずなのに……)
「異議あり。俺がいつ君を好きだって言った?」
「だってまやかし、かつを、記憶……いいえ。八神君は私が好きではありません。私は今日も八神君が好きだけど」
私は咽まで出かかった「だってまやかしの異世界でかつをさんが記憶を消しちゃったから覚えてないだけだよ、八神君」という言葉を辛うじてのみ込んだ。
そう、私達は両想いのはずなのに、甘いキスを寸止めされた仲であるはずなのに、前と変わらぬ日々を送っているのである。全く恋とは厄介なものである。いや、記憶を消すだなんてまやかしの異世界条例が厄介で全部悪いのである。
「そう言えば、俺、君にちゃんとあの日あった事。謝罪とかしてないよな。ごめん。あの時の俺はどうかしてた」
「あの時?八神君が妖怪化した……ように私を襲ったこと?」
(あぶない、私の馬鹿!!)
私は咄嗟にまたついうっかり八神君が妖怪化した事を口にしそうになった。私は誤魔化す為に、慌ててアッキーの赤を手に取った。
「え、何が危ないなんだ?そう言えば最近君はよく桂かつをの名前を口に出すけど、まさか俺に内緒であいつとコンタクトを取ったりしてないだろうな」
「してません。そもそもかつをさんの住所とかLIMEの連絡先とか知らないし」
もし知っていたら八神君の純粋な私への告白をなかった事にした件について文句の一つも言いに行くところだ。
「なんか最近さ、君の独り言が怪しさ満載なんだよ。限りなく黒って感じ」
珍しく八神君が私の事に興味を持ってくれている。
(だけど、今じゃないんだよ!!)
私は悔しい思いと色々バレませんようにという思い。複雑な二つが絡み合った気持ちをアッキーにぶつけ私が作成しているPOPに書いてある「秘密の恋」と書かれた文字を無駄に太く塗リ直した。
「だから、何が今じゃないんだよ」
「あ、いいえ。特に深い意味はないです」
八神君が怪しさ満載といった疑いの眼差しを私に向けている。
「そう言えば、これ、俺が置いて帰った学校図書で購入した兄の新刊。これが俺の家にあった。君が持って来てくれたんだろ?」
八神君の手元には既に朱雀さんからサインをもらった新刊「初恋は蜂蜜レモンと殺しの香り」が置かれている。八神君がきちんと朱雀さんにサインを貰って来てくれたのである。
「八神君が私への罪悪感で胸が押しつぶされて、学校を休むという卑怯な手を使った時、私がさ八神君のお見舞いに行ったじゃん。その時持って行ったんだよ。それが何か?」
「それなんだけど、君の帰りが遅くなってこんな時間まで引き留めてって俺は父に叱られたわけだけど」
「あーうん」
「よくよく考えたら、空白の時間があるんだよ」
「き、気のせいじゃないかな」
(かつを!!そこも何とかならなかったの!!)
「ほらまた桂かつをの名前を出してる。最近君は無意識のうちに結構かつを、かつを、かつをと俺が夕飯に鰹が食べたくなるくらい、心で連呼しているんだけど」
八神君は結構しつこいようだ。確かに私もかつをさんの名前を恨みを込めて最近連呼しがちである。けれど、前の八神君だったらそこまでしつこく私の事なんか気に留めなかった筈なのである。
(やっぱり、まやかしの異世界の後遺症……)
「だから、まやかしの異世界の後遺症って何?」
「え、いや、そ、そういう事もあるのかなって。た、例えばまやかしの異世界に飛ばされて妖怪化した人は、妖怪化するほどの問題を抱えていたのに、こっちに戻ってきたら問題に対してみんな前向きになれているわけじゃないですか。だから、ええと、全て忘れたわけじゃなくて、まやかしの異世界であった事をちょっとは覚えてたりするのかなって」
だから、八神君も私の事を好きだと気付いた気持ちのかけらくらいは残っていたりしないかな。と私は期待を込めた顔で八神君を見つめる。
「さぁどうなんだろう。それこそ桂かつをに聞かないとわからない。けど、そもそも妖怪化するくらい濃い怨念を纏っていた人だから妖怪化してまやかしの異世界に転生しかけた。けど君が浄化してその怨念を取り払ったわけだから、向こうに行く前よりもその人の持つ本来の気質や性格に戻ってはいるんじゃないか」
「そっか。そうだよね。まやかしの異世界に行っちゃうくらいなんだもん。確かにおかしかったよ。八神君も」
私に暴力的なキスをしたのも、怨念が溜まっていてだいぶおかしくなっていたからなのだ。
(と言う事は、今のしつこい八神君が本来の八神君……)
それはそれで厄介ではある。そんな風に私が思っていると突然八神君が私が作業していたPOPカードの上に手を置いた。作業の邪魔をしてきたのだ。
(かまって欲しいのかな?八神君は寂しがり屋さんだし。むふ)
「は?別に俺は寂しくもないし、君にかまってもらいたくもない。あのさ、さっきからまるで俺がまやかしの異世界に行ったみたいな口調だけど一体なに?」
「き、気のせいかと」
私は八神君がギロリと私を睨んできたので、視線を慌ててそらす。私は八神君に顔を向けたまま目の玉を出来るだけ右に向けてみた。そうすると八神君がぼんやり視界に映るけれど、はっきりとは見えないので怖くはないという夢のような状況を再現できたのである。
八神君がちょっと見える、だけど怒っているかどうかはわからないというスキル「目に映り込んでいるだけ」を瞬時に編み出した。天才かも知れない。
「何してんのさ。というか、まさか俺って妖怪化しかけたのか?」
「えっ、そ、そんなわけあるじゃないですか。あ、いいえそんなわけあるわけないじゃないですか」
私は目玉を右に向けたまま、大慌てでそう誤魔化す。するとガタンと音を立てて、真剣な顔をした八神君が私の元に歩いて来たのが私の視界にバッチリと映り込んでしまった。
(わ、悪いけど無理)
私は危険を察知し慌ててアッキーを放り出し八神君から逃げる。とは言えここはとても狭い図書準備室。そして禁断の密室なのである。
(まさかの既視感!!)
壁際で立往生する私に八神君がバンと音を立てて私の顔の両脇に両手をついた。
そう。例の暴力的なキスをされた時と全く同じ状況だ。
「俺は妖怪化しかけたのか?」
「いいえ、してません」
私は思い切り八神君から顔を背けて「してません。してません」と連呼した。けれどふと思った。別に隠しておく必要があるのかと。
(そもそも記憶を消す行為は、妖怪軍の規定なわけで、それって私達には全く関係ないよね?)
それに八神君は妖怪がこの世に存在する事を既に知っている。だったら今更色々と隠す事はないのでは?と私は今までの自分の努力を全て水の泡にするような事実に気付いてしまった。
「実は、夜桜さんが本部との連絡を絶って、もう十五時間以上経過している。だからもしかしたら俺たちも動く事になるかも知れない」
「えっ、さくらちゃんが?だ、大丈夫なの?」
私は驚いて、八神君から逸らしていた顔を正面に戻し、顔を上げて八神君をしっかりと見つめる。
「大丈夫かどうか。それもわからない。執筆パトロールは妖怪相手の任務な上に、国民には公に出来ない仕事だ。だから、俺は君に捜査に関わる事、妖怪に関わる事について君に隠し事をして欲しくない」
「うん。確かにそうだね」
「俺は君の親御さんから信頼されて君をナビゲータとして預かっている。だから、君に何かあったら……俺は自分を許せない」
八神君はとても辛そうな顔を私に向けた。口では「親御さんが」とそう言っているけれど、その顔は明らかに私をこの世から失うのが怖い。そんな怯えた表情だった。などと私は勝手に都合良くそう思い込む。だって両思いだし。
「や、八神君は妖怪レットウ漢になりかけたんだよ。それで私は八神君のまやかしの異世界に行って八神君にとりついた怨念を浄化したの」
私はこれ以上八神君を心配させたくなかった。だから正直に八神君の身に起こった事を口にした。
(かつをさんには悪いけど、でも言っちゃ駄目とは言われてないし)
「……そんな事だろうと思った。それで俺のまやかしの異世界はどうだった?」
「え、自分ではわからないの?」
私は八神君がサラリと口にした言葉に驚いた。あそこは妖怪化しそうな人が自分で自由自在に空想している理想の場所が具現化した世界だと思っていたからだ。
「自分じゃわからない。ただ今までの傾向だと、妖怪化する対象者にとって好ましい事や者が現れる傾向に――まさか」
八神君はハッとして私の顔をジッと伺うように見下ろした。
(ごめん、八神君。水着とか私とか何も見てないし、別に八神君が私を好きだなんて全然知らない)
八神君は真っ赤になって私からバッと離れると片手で口元を覆った。そしてそのまま私の方を向いた状態で後ろに後退した。
「あ、八神君。そのまま行くと」
「うわっ」
私の忠告虚しく八神君は出っ張った段ボールの角に踵を引っ掛けて後ろに転びそうになった。しかしそこは八神君。咄嗟に文化部、インドア派、非力な私の腕を掴んで道連れにしようとしたのである。
「ちょっと、それは無理!!きゃーー!!」
私は八神君のせいで、八神君を下敷きにして彼の上に乗っかる形で転んだ。非常にまずい状況である。しかも八神君が私の腕を引っ張ったのち、抱え込む体勢になったので、密着度が半端ない。
(うわ、八神君生きてる!!ドキドキ心臓の爆音がすごい!!生きてる!!)
「そりゃ、生きてるし。いてて」
八神君は頭を庇ったせいで背中を酷くぶつけたようである。私を八神君の上に乗せたまま、力なく床に倒れ込んでしまった。
「だ、大丈夫?」
私は名残惜しい気もした。けれど、八神君の胸から顔を離しそのまま上に体を伸ばして八神君の顔を伺う。
(うわ、目が、目が日の光に全開で晒されている!!)
八神君のお父様がイケオジだったこと。朱雀さんがイケメン眼鏡だったこと。そしてお母さまの八神京子さんがとても可憐な女性だった事。それらを鑑みた結果、八神君はヴィジュアル的に優秀な遺伝子を持っていてもおかしくはないのである。というか実は相当なイケメンなのである。
「だめ、だめ、八神君、早くその美しい顔を隠さないと。全く七尾さんだけでも相当厄介なのに、これ以上八神君が目立っちゃったら、まずいんだってば!!」
私は慌てて八神君の全開になったおでこを隠すべく、四方八方にパラパラと散らばった髪の毛を真剣な顔で寄せ集める。そして一生懸命八神君の長めの前髪を無事復活させたのである。
「ふぅ、危なかった。八神君の良さは私だけが知ってればいいからね。陽キャにでも八神君の存在がバレたら、私に勝ち目ないし。全く焦ったよ」
私がそう安心していたら、念には念を入れてと八神君の前髪を整える私の手をガシリと八神君の手が掴んだ。そして気づけばいつの間にか八神君が長い前髪の向こうからしっかりと私を見つめていたのだ。
「あのさ、今ここで、君にキスしていい?」
「えっ?」
だって八神君は私の事が好きじゃないはず。そう思いかけたけれど、私はすぐに「いいよ」と言って目を閉じた。
だって八神君は覚えてないけれど、私が好きなのだ。そして私も八神君が大好きだ。
つまり断る理由なんてないって事。
八神君が私の後頭部にもう片方の手を添えて、自分の顔にクグっと私の顔を近づけた。私の視界は八神君の顔で塞がれる。世界が全部八神君になったみたいだ。
それから八神君はとても満足気な顔をして本当に優しく私の唇に触れた。
本当はこれがお互い初めての好きのこもった大事なキスのはず。なのに、なんだかもう何度も唇が重なるという経験したせいで、八神君の唇がちょっとカサカサしている事も私は既に知っていた。
だからそれがとても変な気分で、だいぶ幸せで、私は思わずキスをしながらクスリと笑ってしまった。
「な、なんだよ」
「別に」
私の頭を開放した八神君は私の下敷きになりながら、真っ赤になってプイと横を向いてしまった。
全く可愛い大好きなのである。
私はいつになく、最高に幸せな気持ちで八神君をとても柔らかい笑顔で見下ろしていたのであった。
☆☆☆完☆☆☆




