#3 ネロネロされちゃう、これは夢である
無理やり描写があります。ご注意下さい。
(おかしいと思ったんです。私が完結王子八神君に「一緒に帰ろう」と声をかけられるなんて。何であの時私は異変に気付かなかったんだろう……)
現在私は目の前で繰り広げられている光景にひたすら驚いている。そして今日の部活帰り、八神君に帰宅を共にしようと甘い言葉をかけられ、まんまとそれ。ハニートラップという恐ろしい罠に引っかかった自分に少しだけ反省しているところである。
「だから、月野さんを俺に寄越せと言っている。月野さんは君だけのものではないはずだろう!!」
「は?めぐるちゃんは私がずっと目をつけていたんだけど。それを何勝手に横取りしようとしてんのよ。この出来損ないめ!!」
「は?お前こそ、月野さんに貼りついて何年だよ。中学部からだからかれこれ五年か。それなのに一向に完結まで導いてやれていないじゃないか。お前こそ出来損ないめ!!」
「くっ、あ、あんたねぇ!!どっちがよ!!」
現在私の目の前では信じられない事にどうみてもボソボソ系男子の八神君と美し可愛い系さくらちゃんが、お互いを罵倒し合っている。
しかも八神君は学校指定の学ランを脱ぎ捨て、ブルーの着物姿だ。対するさくらちゃんも学校指定の白いセーラー服を脱ぎ捨て、真っ白なワンピース姿。まさにどこぞのお嬢様?といった感じである。
そして問題はこの部屋である。上は突き抜け左右には壁がない空間。辛うじて真っ白な床がある。私の知っている言葉的には亜空間。おそらくそんな感じだ。そしてそこから導き出される答えは一つ。
「え、夢?夢なのか、これは?」
私は尻餅をついたまま、その場で小さくそう呟いた。
「夢じゃない!!」
「夢じゃないよ」
まるで親の仇かのように、お互い向かい合って罵りあっていた二人が私の声に素早く反応した。そしてこちらに顔を向け声を揃えた。
「あ、え?でも夢だよね?」
聞き間違いかと思った私は、もう一度だけそう聞いてみる。
「くっそ。なんでお前がついてきたんだよ。俺は月野さんだけここに呼んだんだ」
八神君は額にピキリと青筋を立て、私を睨みつけた。そんな見たこともないくらい表情豊かな八神君を「尊い」と私は正直そう思った。けれど、それを直ぐに後悔する羽目になったのだ。
「あのさ、月野めぐる。君は俺が好きなんだよな?」
自分の密かな想いを言い当てられた私は「ヒィィ」と驚いた声を出し、尻餅をついた状態のまま後ずさる。
「ちょっと、やめなさいよ。それはデリケートな問題なんだから。こういうタイミングで、そんな俺様ぶって言っていい事じゃないでしょ!!」
(お、仰る通りです。さくらちゃん!!)
八神君が私を睨みつける視線を避け私はさくらちゃんの元に逃げようと、その場で立ち上がろうとした。
するとまるで瞬間移動したように突然現れた八神君が私の体の上にズドンとのしかかり、私の体の自由を奪った。両手首を八神君の力強い男の人の手でギュッと床に押し付けられている。
(え、何?貞操の危機?でも八神君ならオッケー?え?ダメ?)
既に私の頭の中はパニックである。一体何が起きているのか全くわからない上に、憧れの完結王子こと八神君に襲われそうになっているのだ。
この状況で冷静に判断出来る人がいたら、是非とも名乗り出て欲しいものである。
私が密かにそう思っていると八神くんの顔が私のへなちょこの顔にグググと近づいた。そう、まるで今からキスするくらい近くにだ。
「君は、俺が好き。だから君は俺の役に立ちたい。そうだよね?」
「そ、そうなのかなぁ?」
私の心臓はドキドキと物凄い音を立てている。人生一番のドキドキ具合だ。このまま心肺停止に陥るのならばせめてチュッとひと思いに八神君にキスされてからの方がいいな、冥途の土産的に。ついうっかり私がそんな事を思っていると、パシリと何かを叩く音が部屋に響いた。
「ちょっと、離してあげなさいってば!!痴漢、変態、悪魔!!」
さくらちゃんが、八神君の背後に回り込み突然大声をあげ始めたのである。私の代わりにしっかりと、破廉恥な八神君を叱ってくれているようである。
(親友、ファイト!!サンキュー、さくらちゃん!!)
なんせ私は両方の手首を推しにガシリと床に押し付けられているのである。はっきり言って状況は全くよくわからない。しかし今の私の心境としては嬉しいが八割を占めている。正直なところ抵抗?何それ必要ある?とすら思い始めている。これはかなり危険な状況である事は間違いない。
「いてっ、くそっ、いいか、君は今から俺のナビゲーターだ」
「え、アリゲーターですか?」
良くわからないが、いや、全く、全然意味が分からないが私は比較的アリゲーター。つまりワニは嫌いではない気がする。そもそもワニ皮のお財布なんかを売っているくらいである。だから多分ワニはいいのだ。私の中に眠るなけなしのワニに対する知識で判断したところワニはいい、多分いい。というアバウトでしかし確実な結果を私の脳は瞬時に弾き出した。
問題は八神君が「俺の」「アリゲーター」と私に向かって口にした事だ。つまりそれは……と私は言葉の意味を整理した。
(推しである完結王子八神君が私にワニになって欲しいってこと?つまり比喩的にペットになれと言っている?――悪くない。むしろ喜んでペットになる。だってこれは夢だし)
そう思った私は八神君に二つ返事で口にする。
「私、八神君のアリゲーターになるよ」
さくらちゃんの声でヒッと息を吸い込む音がした。そして今までペシペシと八神君の背中を叩いていた(ちょっと羨ましい)さくらちゃんが、ピタリとその場で固まった。ついでに青ざめた顔で口元を覆っている。
(え、何かまずい感じ?)
私が状況からそう判断する間に私の顔は八神君だけで埋まった。さくらちゃんが見えなくなるくらい、八神君で埋まったのだ。
「よし、じゃ今日から月野めぐる。君は俺のナビゲーターだ」
今日一番、素敵な怪しい笑顔で八神君が私に。そう、私に向かって優しく微笑みかけてくれたのである。それから八神君は大層満足気な顔をして、私にキスをした。
(え、ちょっと待って!!待った、待った!!やばい、夢でもそれはやばいし。何かむにっとしてるし、ちょっとカサカサしてるのが、超リアルなんだけどーー!!)
私は八神君に全身をガッチリホールドされながら、ネロネロと唇を舐められて、それからブチュッとキスをされている。
「馬鹿、めぐるの馬鹿!!」
さくらちゃんが涙ぐむ声が私の耳に届きハッとする。ネロネロされている場合ではない。親友の危機だ。いや多分ネロネロされているのは私なのだから、確実に私の危機ではある。しかしこの際細かい事はどうでもいい。親友さくらちゃんが涙ぐんでいること。それが問題なのである。
今すべき事は一つとばかり。とにかく私は八神君を懸命に自分から引き剥がそうと腕に力を入れたのである。
「うわ、やめ!!」
私の手が熱を持ち「熱ッ」と思った瞬間、ボッと私の手から火が吹き出した。そう、ファイアー。目からビームみたいな手バージョン。手からファイヤーだ。
「あちっ。わ、何これ、熱い、熱い、熱い!!」
私はブンブンと手からファイヤーの右手を振る。すると八神君はパッと私から離れた。そして私の手を自分の手でギュッと包み込んだのだ。
すると不思議と熱かった手が冷たく冷やされたように感じた。そしてシュュウと白い煙を吐いて、手からファイヤーが無事に鎮火したのである。
(やだ何?愛?愛されちゃってる的な?)
私は思わずうっとりとした顔で八神君を見つめる。普段はぬぼーっと常に寝起きみたいなポワポワとした表情を見せる八神君。けれど今はキリリと凛々しい瞳で、そしてだいぶ怒ったような表情で私を睨みつけている。ついでに薄く形の整った、普段はボソボソと言葉を発する唇はムッとこれまたしっかりと私への怒りを溜め込んでいるようだ。
(そっか、私が夢でも手からファイヤーしちゃったから、八神君はつい怒っちゃうくらい私を心配してくれているんだ)
なんていい夢なんだろうと私はどっぷり夢うつつに浸っていた。すると怒った八神君の背後に、更に怒りのオーラを身に纏いメデューサのようになったさくらちゃんが立っていた。そしてさくらちゃんの怒りの矛先は、多分私っぽい。
「めぐるちゃん最低。一時の快楽に身を任せ、自らの身をあんな奴のナビゲーターに落とすなんてほんと最低。私が手塩にかけて、いつか私の下僕にしようとしたのに。チッ、ばーかばーか、めぐるのばーか」
「え、さくらちゃん?下僕って?夢にしてもそれはちょっと……ショックかな?」
私はシュンとした声でさくらちゃんに抗議の声をあげた。
「ねぇ、めぐるちゃん、わかってる?私は超怒ってるんだけど」
「えーと怒ってるのはわかるけど」
それ以外が全くわかりません。と私は心で言葉をこっそりと追加しておいた。
「大体、何で八神とばりなんて気色悪い男を好きになっちゃうかなぁ。陰険、陰湿、俺様で自己中で陰湿。仕事も出来ない最低な男だよ?」
「お前今、陰湿を二回も言ったな!!」
「確実に陰湿、二回言ってたね。じゃなくて。八神君は完結出来るもん。すごいよ、しかも今十万字に挑戦してるんだよ!!勇者だよ、格好いいよ」
私は彼女ぶって八神君をそう援護した。これは夢だし、私達はキスまで交わした仲なのだ。だからもう、間違いない私は八神君の彼女なのだ。
「はぁぁぁ。めぐるちゃんってほんと、頭お花畑だね。そこが可愛くて私は好きだけど。でもね、めぐるちゃんはさっきこいつのナビゲーターになっちゃったんだよ?それってもう小説を完結出来ないかも知れないんだよ?」
「え?完結できない?そうなの?」
私は目を丸くする。全く良くできた夢だ。けれど完結出来ないのは困る。いつか文芸部の部室のちゃぶ台。一の島のエリー島で八神君と肩を並べて私はキーボードをカチャカチャやるのだ。そして「次は何に応募する?」と完結した者同士、余裕の会話を交わすのである。
(そう、私は完結の先にある明るい未来が欲しい!!)
「ま、俺と契約したしな。これから精力的に働いてもらうつもりだし、完結は無理かもな」
先程までの俺様な雰囲気がなりを潜め、むしろいつものボソボソとした口調に戻った八神君がサラリと恐ろしい事を口にした。
「え、どうして八神君と契約すると……ええと、そもそも八神君と契約って何?」
私は八神君にポカンとした顔を向ける。契約書にサインした覚えはないし、そもそも未成年の契約には親の同意が必要なはずだ。
「めぐる、さっきのやつだよ。ナビゲーターになるって、あんたたち契約のつもりなのか、キス交わしてたじゃない。無駄にねっとりとしたやつ」
「えー、あれが契約なの?でも、じゃあどうして契約すると私は小説を完結できないの?」
「それはね、八神とばりは執筆パトロール隊の落ちこぼれだからよ」
「俺は落ちこぼれじゃない!!」
「そうだよ、八神君は完結王子なんだから。さくらちゃん謝って!!え、ってちょっと待って。執筆パトロール隊って何それヒーローもの?」
私はさくらちゃんの発した「執筆パトロール隊」という聞きなれない言葉にひたすら間の抜けたポカンとした顔を完結王子八神君に晒す羽目になったのであった。




