#21 高梨れんのその後
「あれ、もしかして月野めぐる?」
私が父のお古の黒いスーツケースをカラカラと引きずって歩いていると、最近良く聞いていた声が私の背後から聞こえた。私は頬を緩めくるりと振り返る。
「あれ、もしかして中央小の高梨れん君?」
「うわ、覚えててくれたんだ。ってまさかこの合宿に参加してたなんて。どうしてもっと早くに気付かなかったんだろう」
不思議な表情をする高梨君。
(ま、そりゃそうだよね)
今日は一週間もあった合宿の最終日。既に閉会式も終え、今から私達はそれぞれの日常に戻るのだ。
私と高梨君はこの合宿で色々あった。けれど高梨君にその記憶はない。やはりイケメン妖怪かつをさんの力が働いているのか、高梨君はまやかしの異世界に転生した事も、それに不随するように合宿中に私や八神君と経験した色々な事を覚えていないようだった。
『妖怪なんて、何でもアリなんだろ。どうせ桂かつをの嫌がらせに決まってる』
八神君はそう言って、あまり気にしていないようだった。けれど私は高梨君と一緒に竹箒片手に掃除デートをした事や、自分のゲーミングパソコンのイルミネーションを見せて励ましてあげた事。それに砂崩しで真面目な話をした事。それを全部なかった事にされるのはイマイチ納得がいかない。
けれど高梨君は私にとって小学校の同級生である。町子さんの時のように全く知らない人に戻る訳ではない。関わろうと思えばこの先もずっと関われる位置に存在する人だ。
(だからまた、最初からやり直せばいいよね)
私はそう割り切って、今二回目の「久しぶり」を演じている。
「えーと、お互い気付かないって、なんでだろうね。ま、ほら私って影薄いし。だからかな」
「あ、なるほど。って、でもパッと見、めぐるは雰囲気変わった。勿論いい方に」
「ありがとう。高梨君も、前よりずっといい感じになってる」
私は前回言えなかった言葉をちゃんと口にする。小学校の時よりずっと高梨君は格好良くなった。見た目も、中身も、筋肉も。
「え、ありがとう、もしかしてめぐる、僕の事好きなの?」
高梨君はおどけたように私にそう言った。
「ふふ、ごめん。私もう既に夫婦みたいに親密な人が――イタッ」
私は大袈裟に痛がるフリをする。けれど内心は嬉しくてたまらない。
「ほら、帰るよ。月野さん。えーと高梨君、だっけ?」
私の隣に並んだ八神君が初めましてのフリをしてとぼけている。意外と八神君は演技派のようだ。
「うん、そう。あ、来年は多分僕が慶愛文芸部の部長になりそうだから。また色々とよろしく頼むかも。麦田文芸部の部長、八神君」
「あー。うん。こちらこそよろしく。君が執筆するゾンビ物、楽しみにしてる」
「私も、私も楽しみにしてる!!」
私は片手を挙げて、期待してる度を高梨君に精一杯アピールをした。ゾンビに対する愛はまだわからない。けれど高梨君の描くゾンビの世界はきっと愛に満ち溢れていそうである。だから私は純粋に彼の作品を読んでみたいと思った。
「え?君達もゾンビ好きなの?いいよね、ゾンビ。荒廃した世界で、好きでゾンビになった訳じゃないのにさ、健気に人を襲って。下手すりゃまだ人間の時の心が中途半端に残っていて、人を襲う欲望に抗う理性との戦いなんて最高だよ。それにさ――」
「おーい、れん、行くぞ」
「あ、やべ。羽鳥先輩、ああ見えて怒ると滅茶苦茶怖いんだ。じゃ、また!!あ、そうだ。めぐる。LIMEのアドレス今度交換して。きっと駅で会うよな?じゃ今度こそ本当にまたね!!」
やはり高梨君のゾンビ愛は本物だったようだ。羽鳥先輩が声をかけてくれなければ、延々と続きそうな勢いで語りだしていた。
「うん、またね、高梨君」
「またな」
私と八神君は隣に並んで高梨君が羽鳥先輩にポンと頭を叩かれる所まで見送った。因みにそれを見た私はBLTサンドをもれなく想像し、密かに創作意欲が湧いてきたのであった。
「ちょっと、そこの二人。私にお礼をすべきじゃないの!!」
私と八神君が振り向くと、さくらちゃんが腰に手を当てて、ぷくうと頬っぺたを膨らませていた。
「あ、そう言えば、私達みんなの前でまやかしの異世界に」
「そうだよ。みんなの記憶を改ざんするの、マジで大変だったんだから。今度二人にはスマバのフラペチーノを奢ってもらうから。しかも期間限定のやつ!!」
「勿論さくらちゃんには是非八神君と私で奢らせてもらうけど、記憶の改ざんって……」
まさか執筆パトロール隊も人の記憶を改ざんするなんてと少々私は引き気味だ。
「あー、それはね。妖怪にバクって夢を食べる妖怪がいるんだけど、そのバクから採取した夢喰いの実をこっそりみんなに飲ませたの。するとあら不思議。みんなめぐるちゃんたちが異世界に飛んだ事をすっかり夢だと思い込んじゃうってわけ」
「えーー!!何それ。凄い。そっか夢だと思うならまだいいね。ちょっとでも記憶が残ってるって事だし。というか妖怪から実とか採取しちゃうんだ。世の中知らない事がまだまだ一杯あるんだねぇ」
私は本気で驚いて目を丸くする。妖怪が本当にいる。それは身をもって私は知っている。けれどまさかバクから採取した実にそんな機能があるだなんて初耳だった。
「因みに夢喰いの実という名前だが、いわゆるバクのう〇こだ」
「え、嘘。やだ。無理。やだ。それは無理ーー!!」
私は八神君の衝撃的な告白に思わず耳を塞ぐ。知ってたらもう絶対飲まされたくない。最悪飲まされるなら絶対に私にバレないようにして欲しい。
「ま、世の中知らない方がいい事が沢山あるってことね」
さくらちゃんがそう言って、苦笑いをした。
「八神君ーー!!探したんだけど。ほら、スマホ忘れてたでしょ?ホテルの人が慶愛の人に渡してくれて。それで向こうは違うって。それで私に渡してくれたんだけど、八神君のだよね?」
七尾さんがそう言って黒いスマホを腕を伸ばし、八神君に見せた。
「あ、うん。多分俺の……だと思う」
八神君は一応、制服の黒いズボンのポケットを探った。そしてスマホがない事を確認すると七尾さんからスマホを受け取った。
「一応さ、りんご製のって持ってる人多いから。ちょっとロック解除して本当に八神君のか確かめてくれる?」
七尾さんが興味津々と言った感じで八神君がスマホのパスコードを入力する画面をジッと見つめた。勿論私もだ。悪い事に使うつもりはない。けれどホーム画面の背景くらいは確認したいと思った。
「ちょっと、覗かないで欲しいんだけど」
くるりと八神君は私達からスマホを隠すように背を向けた。
(やましい事があるからか……)
「ちがっ、あ、これは俺のみたいだ。うわ、ちょっと、夜桜さん!!」
七尾さんと私には万全の注意を払っていた八神君。しかし穴馬であるさくらちゃんが、スルリと八神君の手からスマホを奪い取った。そして全速力でスマホを持ったまま走り去る。
そして自分のスマホを奪ったさくらちゃんをこれまた全速力で追いかける八神君。
「え、ちょっと待って。さくらちゃん、私にも見せて」
七尾さんがパッと私の隣から消えた。どうやらさくらちゃんを追いかける事にしたようだ。
「えええええ。置いてかれたし!!というかこういう時は、逆に終点を予測して……」
私は出遅れた分をカバーする為、さくらちゃんが逃げた方と反対。裏庭へ続く道に足を踏み入れる。さくらちゃんがそのまま走ってくれば、自ずと私が現在歩む道と繋がるのである。その事は何度も高梨君と一緒に掃除した時に確認しているので確実だ。
するとパタパタと元気のいい足音が前方から近づいて来た。
「あ、丁度いい所に。ちょっとめぐるちゃん、こっちきて」
私はさくらちゃんに引っ張られ、生垣の後ろに連れ込まれた。そしてさくらちゃんに腕を強く引っ張られ、その場で強制的にしゃがみ込んだ。
すると数秒後、バタバタと走る八神君らしき足音。その後すぐ七尾さんのローファーのコツコツと石を蹴る音が私達の隠れる生垣の前を通り過ぎていった。
「私の予測が正しいと、多分ここに奴の秘密が」
さくらちゃんが恐ろしい事を言い出しながら、八神君のスマホを慣れた手つきでいじっている。
(これだから、ユーザーの多いりんご製は危険なんだよ)
私のスマホももれなくりんご製だ。しかし他人にロックを解除された場合、ユーザーの多いりんご製のスマホは、まるで自分のスマホを扱うように、いとも簡単に操作され秘密を暴かれてしまうのである。
『おい、絶対見るなよ。絶対にだ。月野めぐる。君にだって良心があるだろう?俺を好きなら、夜桜から必ず俺のスマホを奪え。そして君は絶対に何も見るな!!』
焦った声で八神君が私にサイコな念話でそう指示をしてきた。これは緊急事態である。
「さ、さくらちゃん。やっぱ人のスマホを見るのは、あんまり褒められた事ではないかと」
私は私なりに必死にさくらちゃんが八神君のプライバシーを侵害しようとしているのを阻止しようと声をかける。だって八神君が好きだから。「俺が好きなら」と八神君が言ったから。本当は私もこっそり見たい気もする。けれど八神君への愛があるから我慢して見ないようにしているのである。
「あ、やば。やっぱ私の予想通り。めぐるちゃん、朗報だよ。見てこれ」
私の必死の抵抗虚しくさくらちゃんが八神君のスマホをサクサク漁り、そしてあろうことか私にスマホの画面を向けたのである。
「え、駄目だって。八神君が絶対見ちゃ駄目だっ――え?ええええ!!」
私は顔に両手を当て、しかし指の隙間からしっかりとスマホの画面を見てしまった。そこにあったのは私が消去をお願いしたはずもの。八神君に誤爆した門外不出、私の水着写真だったのである。
「か、返せ!!」
私達の頭上からニョキっと手が伸びてきて、さくらちゃんが私に画面を向けていたスマホをスルリと抜き取った。
「あんたさ、例のアレちゃっかり保存してるじゃん。うわー引くわー。だいぶ引くわー。というか早く素直になんなよ。じゃないと、めぐるちゃんは私がナビゲータとして貰い受けるからね?」
「消そうとしたんだけど、ウィルスが……邪魔を……すまない」
八神君が珍しくしょんぼりした顔をして真っ赤になってスマホ画面を見つめている。そして八神君が取り返したばかりのスマホをいじって、私の写真をゴミ箱に捨てようとしているのが目に入った。
「いいよ、いいよ。もってけ泥棒。大好きな人のおかずの足しになるなら本望と言えなくはない。こんな貧相な私の水着姿が八神君の役に立つなら嬉しい。そう、むしろありがとうだよ!!」
私は八神君の手をスマホごと押さえ、私の写真をゴミ箱に捨てないよう、自由を奪って大きく首を左右に振った。それから念入りに「捨てなくていい」と上下に頷いた。
「何か色々と誤解してるし。それにあ、ありがとうって、それは何か違うのでは?」
八神君がジッと私の顔を見て、真っ赤になってそう言った。
「は?むっっりスケベの癖に何偉そうな事言ってるわけ?めぐるちゃんの気持ちを考えなさいよ。ゴミ箱に自分の渾身のセクシー水着写真がポイされる方の気持ちを!!」
「あ、ええとさくらちゃん?渾身のも違うし、セクシーも違うかな?確かにゴミ箱にポイ捨てされるのは嫌かもだけど」
さくらちゃんの気持ちのこもった私への愛に感動しつつ、少々訂正もし、私は八神君の顔を見つめた。
「きゃーー!!何?何で八神君とめぐるちゃんがスマホを二人で握り合ってるの?結婚式でよくやる、結婚した二人が最初にする共同作業みたいに握り合ってる。やだ、離しなさい。めぐるちゃん」
「あ、はいっ」
私達に合流した七尾さんの指摘に私は慌てて八神君の手ごと押さえていたスマホから自らの手を離した。
「もう、疲れたんだけど。一先ず、帰ろうよ」
私と八神君の手が離れた事で七尾さんがドッと疲れた顔をして八神君の腕に掴まった。そしてトボトボと八神君を引っ張り、ホテルの玄関に続く小道を歩いて行ってしまった。
「めぐるちゃん、もうすぐさ、きっと好きの先をかけるかもね」
「え?あ、そうかな。でもどうだか。八神君は私が好きなわけじゃないし」
さくらちゃんとゆっくり歩き出しながら、私は正直にそう答える。八神君は私が好きじゃない。それは確定事項だ。この前八神君が親指の爪ほど好ましいと言ったのは、あれは、私が高梨君こと妖怪シシュン鬼の怨念に惑わされている私を正気に戻そうとしたから。ただそれだけだ。
「あーこっちも拗らせてるんだっけ。お願いだから、早く付き合って。そしてめぐるちゃんの書く小説の続きが読みたいよ」
さくらちゃんの切望する声に私は、何となくニヒヒと笑って誤魔化しておいたのであった。
全く恋は切ないのである。
☆☆第二章完☆☆




