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【完結】月野めぐるは完結できない  作者: 月食ぱんな
第二章
17/83

#17 高梨れんの場合3

「夏だ、海だ、ゾンビパニック!!いえーい!!」


 私は陸にうち上げられたような活きが悪い死にかけた魚の絵が書いてある回転寿司の景品でもらった浮き輪を頭からポフリと被り腰に落とした。勿論私の水着は姉に選んでもらった上が黒、下が黒と白のギンガムチエック模様のタンキニだ。


 現在私達はホテルの部屋でこれから隣接するプライベートビーチで高校生らしく弾ける準備をしている所である。


「やだめぐるちゃん。どうしたのいきなりゾンビとか。これから海に入るのにあんまり不吉な事を言わないでくれるかな?」


 突然ゾンビと口にしだした私に訝しげな顔を向けるさくらちゃん。


 さくらちゃんの水着は下がフリルになった爽やかな水色のビキニ。白い肌にとても良く似合っている。現在さくらちゃんはその白い肌を保つ為なのか、物凄い勢いで日焼け止めを自らの肌という肌にぬりぬりしている。


「めぐるちゃんにご執心の高梨君がゾンビもの書いてるらしいよ。それも高梨君は小説家になりたいで年間ベストテン入りするほど才能あるパニック系ゾンビ作家らしいって話。まだデビューはしていないらしいけど。羽鳥先輩がそう言ってた」


 七尾さんが私がゾンビと口にした理由をさくらちゃんにそう説明した。


 そんな七尾さんは真っ赤なビキニタイプの水着。ぷるるんとした谷間を強調すべく、胸元に赤と白のリボンが垂れている。下はやはり赤と白のフリフリしたスカート型。そんな七尾さんは今でも充分ぷるるんなのに、一人鏡を占領し、これでもかと脇の肉を集めそれを胸の中央に合流させている。


(谷間が渋滞中ですぜ、奥様)


 私は密かにそう嫉妬を込めたツッコミを入れる。


「へー、やっぱ慶愛の文芸部ってレベル高いんだね」


 念入りにぬりぬりしながらさくらちゃんが感心したような声をあげる。そもそもが真っ白なのに更に日焼け止めの厚塗りをするさくらちゃん。


(海にプカプカ仰向けて浮いていたら死んだ人に間違えられるレベルで白いっす!!)


 私はさくらちゃんにも密かにそうツッコミを入れておいた。とは言え日焼けはお肌の大敵だ。私も浮き輪にスッポリとはまったまま、塗り残した二の腕の内側に持参した日焼け止めを塗り込んでおいた。


「ま、今日は私、小説から離れて思い切り海を満喫する!!そしてこの発育良好なボディで八神君を落とす。絶対に!!」


 七尾さんの気合いの入った言葉と共に、プルルンと七尾さんの胸がけしからん勢いで揺れた。全く不吉な予感しかしないと私は大きくため息をついたのであった。


 ☆


「八神君。海行こう。早く海行こうーー!!」


「え、七尾さん、もう既にここは海だけど」


 戸惑う言葉を吐きつつ七尾さんにロックオンされた八神君。私が先ずは準備体操とストレッチをしようと伸びをした隙きに本気を出した七尾さんによって八神君は誘拐されてしまった。


「八神君、えいっ」


 七尾さんが八神君にわざとらしく谷間を強調するように屈んだのち手で汲んだ海水を八神君に浴びせた。


「うわ、冷たっ。七尾さん、先ずは準備体操をしないと」


「大丈夫だよ、八神君早く泳ごう!!」


「え、ちょっと七尾さん」


 戸惑いながらも八神君は七尾さんとジャブジャブと音を立て、キャッキャウフフとまるで余暇を楽しむ恋人同士のように海の中に消えて行ってしまったのである。


「折角おへそ出したのに」


「うん、めぐるっぽくて可愛い。似合ってる」


 私がポツリとついうっかり口にした呟きに高梨君がそう律義に答えてくれた。嬉しい。けれど好きな人に褒めてもらえなかった切なさが込み上げる。


(だけどそういうのは贅沢。こんな私を褒めてくれる高梨君は神に違いない)


 私は何とかそう思いなおし、八神君と七尾さんから視線をそらす。そして横に並ぶ高梨君の方を向いた。


「ありがとう。高梨君も意外に、えーと、筋肉なんだね」


「え、筋肉?あぁ。ジムに通ってるんだ。この先一つでも多く作品をこの世に残したいから、健康のためジムに。だから筋肉はそれのせいかも」


 もりっと腕に力こぶを作る高梨君。たしかに優しそうな顔に似合わずそこだけ野性味に溢れていた。私は高梨君の筋肉を見て、さっきよりは数ミリ、高梨君に対する好感度が自分の中で上がったのを感じた。


「ギャップ萌えってこういう事なんだろうか」


「えっ、何?」


「あ、いいえ。素敵な筋肉だなぁと」


「ありがとう。少しは好きになってくれた?」


「あ、いやそれは……」


 無理である。私の心はもうずっと八神君に一直線なのだ。申し訳ないと思いながらも他に構ってくれる人がいないので、私は高梨君と波打ち際でボーツと遠くを眺める。


「綺麗だね海」


「うん」


 それから暇を持て余した私達は波打ち際に上がった木の棒を見つけた。


「めぐる、覚えてる?低学年の頃、良く砂場でやったやつ」


「えーと、砂崩しゲーム?」


「そう。それやろ?」


「うん」


 高梨君の閃きによって私達は二人で砂の山を作った。それから順番に好きな所から砂を両手で取り山を容赦なく崩して行く。最後に棒が倒れた方が負けというわけだ。


「めぐる、この棒が倒れたら僕と付き合って」


「え?」


 既に最初にあった山の形はえぐれまくり危険な状態だ。雪崩も起きている。順番的に次が高梨君でその次が私。けれど目の前にある山の状態を見る限り、どうしたって私にフリな状況である事は一目瞭然である。


「嘘だよ。冗談。久々会ったから懐かしくて。それにめぐる、やばいくらい可愛くなってるし。だからからかっただけ」


 私がよっぽど真剣な表情で目の前の山を見ていたせいか、高梨君がその場の張り詰めた空気を柔らかくするため「冗談」と濁してくれた。


(けど、流石にわかる。どうして私みたいなちんけな子に興味を持つのかわからないけど、高梨君は私が他の子よりは好きっぽい)


 ただそれに気付いた所で私はどう対応すべきか分からない。今までモテた経験もなく、そもそも男子となんてあまり喋った事もない。


(こんな事なら、お姉ちゃんに男性から迫られた時の正しい対処方を教えてもらっておけばよかった)


 私の心にピュウウと後悔の嵐が吹き荒れる。


「あのさ、真面目な話。俺たちって大学付属の学校に通っているから受験がないわけじゃん。そりゃ学部選抜とかのテストはそれなりに大変だけど」


「うん。まぁ。そこは恵まれてるのかも」


 私は小学校四年生から有無を言わさず大手の進学塾に通わされていた。姉もそうだったし、そういう世界しか知らなかったから。それが当たり前だと思っていた。


『ここで頑張れは、受験が終わり。もしここで駄目なら、何度も今みたいに受験勉強をしなくちゃいけない。それが嫌なら今ファイトよめぐる!!』


 母は良くそう言って私を奮い立たせた。けれど小学生にとって大学なんてものは遥か先の未来だ。私は結局「勉強させられている」と常に思っていた。だから案の定成績も志望校には程遠く、親も困り果てていた。


 そんな時、私に転機が訪れたのである。


 塾に行く前。母とスマートバックスで腹ごしらえを兼ねたお茶をしていた。そんな時ふと周りを見ると分厚くて赤い本を懸命に解いているお兄さんの姿が私の目に入った。そしてそのお兄さんが本を持ち上げた時、その赤い本の題名が「麦田大学政治経済学部〇〇年傾向・対策と過去問」という、姉が既に通い、自分が志望する中学校の付属大学の文字が入っていた。だから私はそのお兄さんに俄然興味を持ったのである。


 カリカリとシャーペンをノートに滑らせるお兄さんは必死な形相で問題を解いていた。それをボーツと眺め、私はふと母が口を酸っぱくして自分に言っていた言葉の意味「何度も受験勉強をする」その意味に気付いたのである。


『うちの親ならここで失敗したら、絶対に私はずっと勉強させられる。しかもあんな分厚い本を全部解かなきゃならないなんて無理だ』


 そこからは本当に頑張った。勿論両親の協力があってこそだけれど「二度とこんなに勉強したくない」その一心で追い上げたのである。


 そのせいあって無事に合格出来た。けれど「二度とあんなに勉強したくない」そう思って中学受験を乗り切った私は、まぁ学校で底辺を浮遊する深海魚である。


 けれど卒業さえ出来れば何処かの学部にはいけるという保証があるのは気持ち的に大きい事は確かだ。


(それに受験勉強とは違う授業は、確かに面白い教科もあるし)


 何より、受験勉強をしない事で有り余った時間を部活に専念。つまり好きな小説が書ける事。それは本当に恵まれているし両親に感謝もしている。


「付属の生徒ってさ、受験がない分、将来の事を既にもう具体的に考えてるやつ、多くない?」


「あー。うん。そうだね」


 確かに自分の周りも「メガバンク系に就職したいから政経に行く」だとか「公認会計士になりたいから商学部に行って国家試験を受ける」と言った明確な目的がある人が多い。それは確かに付属ならではなのかも知れない。


「僕は小説を書くのが好きだ。だから将来出来たら小説家になりたいと思っている」


 今までで一番凛とした声と顔で高梨君が私にそう告げた。少しだけ恰好いいと思ってしまった。


(ごめんね、八神君。浮気だ。完全に今私は不倫をしている)


『は?一体君は何をしてるんだ。ってやめろ、七尾さん。それはまずい。視覚的にまずいだろ……』


 八神君の焦ったような声が聞こえたので、私はふと海で泳ぐ人達の中から八神君を探す。すると八神君は青ひげ危機一髪のように浮き輪の中でぴょん、ぴょん跳ねていた。よくよく見ると、七尾さんは八神君が真ん中に入った浮き輪の輪っかの部分にこれ見よがしにたわわな果実を二つ、むにゅっと乗せて楽しそうに泳いでいた。


(変態ですね)


 私は薄目になりながら八神君にそうサイコな念話を通し、冷たく言い放っておいた。


「だけどさ、もしプロになるとしたら、それで食べて行かなくちゃならないわけで。そうなると趣味で好きに書いている今の、ただ小説を書く事が楽しい気持ち。それがいつまで続けられるのかって最近ちょっと悩むんだ」


 高梨君の顔が少しだけ悲しそうな顔になった。


「私は凄いと思うよ。そうやって先の事もちゃんと考えて悩むってことが凄い。高梨君はほんと凄いと思う」


 私は咄嗟に思った事を口にする。


 高梨君の悩みは完結のさらに先にある悩みのようである。ある意味人気作家さんのような悩みだと私は感じた。完結できないとそのレベルで悩む私には高梨君の悩みは高貴な悩みすぎた。だから高梨君の言葉に私は「すごい」を連発する事しか出来なかったのである。


「おっ、れん。いい感じだねぇ。ええと、月野さん。そう、月野めぐるちゃんだよね。どうれんは?お薦めだよ?」


 突然背後から声をかけられて、私は肩をビクリとさせた。


「かける先輩。僕はずっとフラれっぱなしなので。傷をえぐらないで下さいよ」


 高梨君が先程までの真面目な雰囲気をすっかり崩し、おどけた様子で羽鳥先輩にそう言葉を返した。


「そうですよ。羽鳥先輩。めぐるちゃんにはちゃんと好きな人がいるんですから」


 羽鳥先輩の後ろから顔を出したさくらちゃんが、私の秘めたる恋心を明かし加勢してくれた。


「えー、それって八神君だろう?だけどほら。彼は女性らしいスタイルの七尾あみかちゃんと楽しそうに戯れているよ?」


「いいえ、あれは拉致されているだけです。先輩」


 さくらちゃんが、すかさずフォローをしてくれた。全くその通りなのである。あれは拉致である。


「確かに只野賞作家、八神朱雀の弟もいいけどさ、我が慶愛文芸部の次期エース。高梨れんも将来有望という点では負けてないと思うけどなぁ。ただれんはマイナージャンルが好きだから、そこは減点だけど」


(ん?只野賞作家?八神朱雀?兄?)


 私は羽鳥さんの口から飛び出した言葉に「?」が並ぶ。確かに只野賞と言えば、昔から続く名誉ある文学賞だ。その賞を受賞した作家と言えば、それはもうニュースにも取り上げられるし、書店ではその作家のコーナーが設けられたりして沢山の人に読んで貰えるようになる。


(そんな人が八神君のお兄さん?え、ちょっと初耳なんだけど!!)


『言ってないし。別に兄貴は兄貴だし。俺には関係ないから』


 八神君の不機嫌な声が頭に響いた。もしかして何か確執でもあるのだろうかと私が勘ぐった時、突然高梨君が静かに、けれどとても苛々しているような声をあげた。


「マイナーって何ですか?異世界転生ものを書ける人が偉いんですか?僕はゾンビがいる荒廃した世界が書きたいだけです。それの何処が悪いんですか!!」


 高梨君は怖い顔をしてそう言うと、先程まで私と二人でそっと崩していた山をバサリと乱暴に崩した。今まで山の中央に辛うじて刺さっていた棒がその場で無残に倒れている。


 それを見た私は何だかとても嫌な予感がしていたのであった。

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