#12 横小路町子のその後
横小路町子、二十八歳。花咲ゼミナールの事務社員。
彼女は今、新たなエッセイを書き始めている。そのエッセイのタイトルはこうだ。
『失恋なるままに』
町子さんは前回の『雪うさぎの枕の掃除』を本当の意味で完結した。
そう、彼女は妖怪シットンからこの世界の住人、横小路町子にちゃんと戻れたのだ。
そもそも妖怪になったのに人間に戻れる。それは大変珍しい事らしい。現に八神君はこう私に教えてくれた。
『そういう事例ははじめてだ。けれど、君の体が特異体質で周囲の怨念を吸収しやすい事に関係しているのかも。桂かつをも君の事をエタルン無限製造機だと、特別視していたし』
『え、私にそんな変な特技があるってこと?いらないんだけど。何でだろう……納豆が好きだから?あっ、もしかして八神君が好きだから?』
『違うと思う。ただ今の所、詳しい理由はわからない。けれどたまに君みたいに周囲の怨念を溜め込む人がいる。それは俺も聞いた事がある』
『えー、自分の完結できない怨念でも精一杯なのに、他人のまで受け持つなんて迷惑なんですけど』
『普通君くらい怨念を溜め込んだらとっくに妖怪になってるのにね。君の場合、どうやら溜め込んだ怨念を自分自身で浄化しているみたいだ。あのさ、君は本当に人間なの?』
とまぁ、最後は私が人間である事すら八神君に疑われて、取りあえずこの件「私が人間かどうか」ではなく「私が何故そんな特異体質なのか」については保留となった。
そんなこんなで私自身の謎はとけていない。けれど町子さんの方はスッキリと解決できた。
未完結の呪いから発生した怨念がきれいさっぱり取り払われた町子さん。そんな彼女は現在、自分の恋をきちんと成仏し、今は失恋した気持ちときちんと向き合いエッセイを書き続けているのである。
(会いたい気持ちはあるけど)
私が横小路町子さんに会うことはないだろう。何故なら――。
『まやかしの異世界で起きたことはどうも綺麗さっぱり忘れているみたいなんだ。機密情報保持の観点から妖怪達が彼女の記憶を消したのかもな。あいつら今、人員確保に励んでるし。桂かつをなんて、戦いながら昨日は一睡もしてないって愚痴ってたし。そういうブラックな所はさ、やっぱ人間にバレたくなくてあいつらも必死なのかもな』
八神君が妖怪側の職場環境のブラックさと共に、町子さんにまやかしの異世界で起こった事の記憶が無いという事を私に教えてくれた。その話を聞いた私は町子さんの記憶云々よりも、本当にかつをさんの口車とイケメン具合についうっかり「はいよろこんで!!」と妖怪軍に入隊しなくてよかったとホッと胸を撫で下ろした。
そんなわけで横小路町子さんは現在前向きに一歩を踏み出した。けれど記憶がない彼女に会って「頑張って下さい」と私はもう直接言う事は出来ない。
本当は会って直接伝えたい気もする。けれど、今町子さんに私が出会ったとしても「アルバイトのチューター月野みくるの妹」であって「失恋した相手の彼女の妹」になるだけだ。そんなの会わない方がいいに決まっている。
だから私は横小路町子さんのエッセイに星五をこっそりつけておいた。
応援しているのが私だなんて、町子さんは一生気付けないだろう。
でもそれでいいのだ。私は感謝されたくて星をつけたのではない。町子さんのエッセイ『失恋なるままに』その作品に共感したから、勇気を少し分けてもらえたから星をポチリとつけたのだ。
こうして私が八神君のナビゲーターになって初めての事件が無事解決となった。そして私は現在文芸部の二の島でキーボードを打ちながら、完結を目指し、執筆活動に勤しんでいるのである。
「うーん、ルシアン様がミカエルに告白する。ここで完結に向けて告白する。でも私の中でやっぱ断られちゃうんだよ。このシーンではまだ二人は結ばれない。ミカエル様はまだ、全然ルシアンの良さをわかってないもん」
はぁぁぁぁと私は深いため息をついた。駄目だ。私自身の恋が小説の話にリンクしてしまい、願望でも主人公二人を付き合う事すら出来なくなっている。完全にスランプ状態だ。
(くそう、八神君さえ私と付き合ってくれれば、絶対完結できるのに!!)
『出来ないだろ』
今日も軽快に八神君の声が私の頭の中に響く。私の心の声ばかり拾われて不公平な気もする。けれど八神君との会話が前より二百倍くらい増えた気がするので、一方通行な気持ちの駄々洩れ。機密情報漏洩問題について、私はもう潔く諦める事にした。
「あいつに聞いた。めぐるちゃんの特異体質な件。それに桂かつをに目をつけられたってこと。何だかんだで上手くやってるみたいだってことも」
さくらちゃんが自滅の刃の五巻を、ってまだ読み終わってないのか……ってそうじゃなくて。さくらちゃんは相変わらずまだ、私が八神君のナビゲーターになった事を怒っているのである。けれど、無視するなんて大人げない事はしてこない。ただ少し、いつもよりツン度が高いだけだ。
だから私はいつも通り二の島だけに響く声でおのろけた。
「えへへ。まぁね。手も握ったしーー。何なら手も握ったしー。」
「えへへじゃないよ。私はもうずっと前からめぐるちゃんの特異体質に目をつけてたから、いずれ私のナビゲーターにしようとしてたのに」
「えー。そうなの?まさか私の体質のことは有名なの?指名手配されてる的な?」
「まぁ、要注意人物としてマークはされてた。だってめぐるちゃんが怨念を自己浄化できているうちはいいけど、その機能が停止されたら、すぐ妖怪になるか、もしくは他人をまやかしの異世界に送るか。どっちにしろ問題児だもん」
「も、問題児……って、もしかして、それは八神君も知ってたのかな?」
「知ってたよ。だからこうしてめぐるちゃんの近くに二人も捜査官がいるわけだし」
「ええええええ!!!まさかの私の体が目当て!?」
私はバンと音を立てちゃぶ台に手の平をつけて、そのまま膝で身を乗り出した。
「ちょっと、めぐるちゃんうるさい。執筆の邪魔するなら部室から出て行って。ね?とばり君もそう思うでしょ?」
七尾さんが私の顔をキッと睨みつけた。そしてすぐに向かい側に座る八神君に甘い顔を向け同意を求める言葉を発している。
「…………あ、ごめん、何か言った?」
わざとらしく耳からうどんを外して「えっ」という今気づいた的な顔を七尾さんに見せる八神君。けれど八神マニアの私にはわかるのだ。かれは今内心「チッ面倒だな」という気持ちで一杯のはずだ。というか、是非そうであって欲しい。
(うそつき)
『うるさい』
私は八神君に短く「君の犯行はバレているのだよ」と心の通信で知らせながら、静かにまたちゃぶ台に置かれたパソコンの前に正座をした。
現在、八神君も私もお互いの顔を見る事無く、一の島と二の島にわかれて執筆活動をしている。状況的には私から少し離れた横に一の島の八神君。二の島で向かい合うさくらちゃんの少し離れた横が七尾さんだ。
(八神君。あのさ、私の特異体質が目当てだったの?)
『まぁ。そうだ』
(さいてい)
『俺は人を妖怪にさせたくない。そのためには手段は選ばない。だからどうとでも言えばいい』
カチャカチャとキーボードを鳴らす音を止めず、八神君は冷たく私にそういい切った。けれどよくよく考えたら前に「どうして私をナビゲーターにしたのか」そう八神君に聞いた時も「自分を好きだから裏切らない」だとか「完結出来ない人の気持ちがわかる」だった。
つまり最初から私が期待するような八神君が私に向ける好意なんてものは全くなかったわけで。だとすると、まぁ、体目当てでも一緒にいられるからいいかと私は納得したのであった。
「八神君、今どのくらいかけた?」
七尾さんが八神くんにエリートな言葉をかける。
「三千文字は超えたかな」
「わーすごい!!私はまだ二千文字。よし、頑張るぞ!!」
七尾さんがこれ見よがしに私に対し文字数でエリートアピールをしてきたので、私は八神君との会話をやめた。
(エリートめ!!いつかあっちの島に移住して「えっ、三千文字?私は四千書いたよ?」とでも言ってやる)
今はまだその時ではないけれど。私は自分の一向に進まない小説が映し出されたパソコンのディスプレイをボーッと見つめる。何度も読み直せば何か閃くかも知れない。そう悪あがきをしているのだ。
「あーあ、ショック。私もめぐるちゃんとナビゲーター組みたかった」
相変わらずさくらちゃんは私にその事をアピールしてきた。けれどごめん。まず無理だ。
「無理だよ。だってさくらちゃんとキスできないもん。ゆりっこは無理だよ。私はや……ミスターYが好きだし」
「キスなんかしないわよ。そういう趣味は私にはないの」
「じゃぁ、ナビゲーターになれないじゃん」
「だって別にキスしなくてもなれるし」
えっと思った私はさくらちゃんに顔を向ける。それはおかしい。キスしないなんて有り得ないのだ。
「で、でもさ、マイクロチップみたいなやつ、あれは粘膜濃厚接触しないとダメだよね?」
「別に?注射すればいいし」
さくらちゃんの回答があまりに衝撃で私はクラリと眩暈がした。と同時に、もしかしてと一つの可能性が即座に頭に浮かんで私の心に満開の花が咲き乱れる。
「え、じゃあやっぱ、やが……コホン、ええと、ミスターYは私の事が好きだから、あんな風にキッ……したって事?」
私は一の島、エリー島にいる七尾さんを気にしながら言葉を濁す。そしてチラリと八神君をうかがうと、耳からうどんを垂らし、けれど何故かその耳は熟れたいちごのように真っ赤に染まっていた。
(あれは確実に、私が好き)
『違うから!!』
(けど、さくらちゃんがいうには、キッスじゃなくてもいいって)
『あれは、あの状況で確実に君を俺のナビゲーターにすべく取った行動の結果であって、別に深い意味はない!!』
(ちえっ。でも大好き。完結王子、八神君)
私はとっても甘えた声であざとく八神君に愛を囁いた。すると八神君はいつもは軽快にカチャカチャと音を鳴らしているノートパソコンのキーボードのリズムがあからさまに乱れていた。
その乱れた音を聞いた私は、前よりはずっと八神君に近づけた。その事に気付いて八神君の全てが許せる、そんな神様みたいな気分になっていたのであった。
☆第一章完☆




