#11 横小路町子の場合7
「え、何で?のっぺらぼうは?」
「くそっ、遅かったか。既にまやかしの異世界に浸りすぎて妖怪になってしまったようだ。嫉妬が絡むとなりやすい。こいつは妖怪シットンだ」
八神君が真っ白な蛇を睨みつけ、執筆パトロール隊の業務に不慣れな私にそう解説をしてくれた。
「でも蛇だけど」
「昔から女性の嫉妬心が帯に巻き付いてそれが蛇になるという言い伝えがあるんだ。って見るな。俺の帯を見るな」
嫉妬が帯にという部分で、私は迷わず隣に並ぶ八神君のシマシマの帯に視線を向けた。だから私はペシリと頭を優しく八神君に叩かれたのである。もうこれはDVではなく愛情表現の一つだと思っていいのだろうか。だって触れてくれているわけだし。
「ほらそうやって、無意識にイチャついている。あぁ、そう言えばあなたはあの忌々しい明るい子、月野みくるの妹だっけ?」
蛇になった町子さんはシューっと私を威嚇するように体を後ろに曲げた。
「私は確かに月野みくるの妹です。けど恨むなら姉を!!私は無実!!」
私は咄嗟に姉に全てをなすりつけた。事実だからだ。私は美人で人気者の姉みくるの妹にたまたま生まれて来ただけである。だから姉の色恋沙汰のあれやこれを、全く関係ない私になすりつけるのはやめて欲しいのである。
「とにかくここから帰らないと」
私の隣で八神君が小さな声でそう呟いた。
「そう言えば、八神君はどうしてここに来れたの?」
私は自分がどうしてこの場所に来たのかについて全く記憶がない。可憐な乙女らしく気を失っていたからだ。
(八神君が来れたって事は片道切符じゃないって事だろうけど……)
「まやかしの異世界と現実は繋がっている。だから俺はここに来れた。そして君を連れてここから帰る事も出来る。というか、絶対に帰るけど」
八神君が白蛇になった町子さんを睨みつけながら淡々と私に説明をしてくれた。
「う、嬉しいよ。八神君。今のめちゃくちゃ、物凄く格好良かった。私を連れて帰るってとこ。だけどさ、町子さんはどうなるの?流石にこのままじゃ帰れないよね?」
私はチラリと蛇になった町子さんに視線を送る。するとやっぱりシャーと威嚇された。その上二つに割れた舌をチョロチョロと出している。
(まずい、本格的に蛇になってきている!?)
先程より何となく動きが蛇のそれっぽくなってきている町子さん。これはまずいと私の第六感が告げている。
「もしここに彼女を残して行けば、彼女は妖怪になって人の世界から永遠に消える。全ての人からその人物の記憶を無くし消えるんだ。だから俺達はそうなる前に人間が妖怪になるのを防がないといけない。けど、残念だけど横小路町子はもう助けられない」
八神君が悔しそうな顔をして、ギュッと唇を噛んだ。
「憎い、幸せな人が憎い。両思いが憎い。幸せなお前達のせいで、迷惑を被っている者の事など微塵も考えず、自分の幸せをネットでも、現実世界でも撒き散らす。みんな死んでしまえばいい。自己中心的なあんな世界、滅んでしまえ!!」
とぐろをまいていた町子さんが、シュルシュルと紐を解くような音を立て、一本の縄のようになった。
「残念だけど、俺の力不足だ。すまない」
八神君が辛そうな声で妖怪シットン。真っ白な蛇になった町子さんに刀を構えた。
「ちょっと、ちょっと待っただよ。八神君。もしかしてそれで町子さんを斬っちゃうつもり?」
私は咄嗟に八神君の前に飛び出た。そして両手を広げ、町子さんを庇った。
(だって、シットンを斬ったら八神君が前科一犯の殺人者になっちゃう!!ってもしかしてこれが初めてじゃないパターン!?)
「人から妖怪になった者を自分の手で殺めるのは初めてだ。だけどこれは仕事。こうなってしまった以上、俺がやらなくてはならない。俺のクライアントだから」
絶対後悔していそうな、わかりやすく傷ついた顔を八神君が私に向けた。
そんなの、放っておけるほど私は強くない。好きな人は私が守るのだ。
(八神君を前科一犯の殺人者なんかに私がさせない!!)
シューーッと音を立て町子さんの体が弓なりに大きくくねった。
そしてあっと思った時には、私は既に蛇になった町子さんに見事に体を噛まれていた。数秒前まで私は絶対八神君を助けるという勢いだった。けれど八神君を助ける前に自分がピンチである。本当に面目ないという、とてもいたたまれない気持ちで私は蛇に噛まれるがまま身を任せた。
「君の気持ちは嬉しい。けど、俺はやる」
キラリンと八神君の刀の剣先が町子さんと私に向いた。
(え、ちょっと待って八神君。私も一緒に斬るつもりじゃないよね?)
「ここはまやかしの異世界。俺の三日月宗近が斬れるのは妖怪だけ……のはずだ……たぶん」
(それダメなやつ!!)
私は慌てて、町子さんから何とか逃げようとモゾモゾと動く。すると町子さんが私を咥え直し、町子さんの鋭く尖った歯が私の体に食い込んだ。
「いったーーい!!」
私は大声をあげた。本当に鋭い痛みを脇腹に感じたからだ。私は痛む所を確認しようと急いで噛まれた場所に顔を向けた。
「やだ血が出てる!!痛い、痛い、痛い、離して!!」
私のゆめかわコスチュームの脇の部分はじわじわと血で染まっている。けれど悲しい事に誰も私の痛みには反応してくれない。
どうやら町子さんは私を咥えているせいで喋れないようだ。八神君に至っては思いつめた様子で「俺にはできる。月野さんまで斬ったりしない」などと全く安心出来ない言葉を吐いているのである。
(まてよ?噛まれて痛い。そして血が出ているってことは、つまりそういう事で……)
「ちょっと、たんま。八神君、落ち着いて。いや、落ち着きなさい。私は今しっかりと痛みを感じているから。つまり八神君がその刀で私を斬ったら、多分どころか絶対死ぬ。それだけはやだ。まだ完結してないし、八神君と付き合ってない!!」
「えっ、痛いの?うわ、月野さん、ち、血が出てる……だ、大丈夫?」
ようやく八神君が私の異変に気付いてくれた。けれど顔を青ざめ、刀を持つ手がプルプル小動物系になって小刻みに揺れている。
(あ、察し……八神君って血が駄目なんだ……)
そんな所も愛おしいよ。男子は月の物がないからね。血とか痛みに弱いって言うし。
私は惚れた弱み全開で全く頼りにならない八神君の全てを肯定した。そしてあんなに悲壮感漂わせ「血が、月野さんから血が……」と立っているのもやっとといった感じの八神君に今更「ヒーローみたいに助けて」と口にすることは出来ない。弱っている彼に期待するのは酷というものだ。
つまり私こと、魔法少女ミラクルメグルンが自分で何とかしないといけない。たった今その事が確定したのである。
「ミラクル、ミラクル、くるりんぱ。町子さんよ、元に戻れ!!」
「…………」
シーンである。おかしい。必殺呪文を口にしたのに何も起こらない。
私は少し焦り始める。
「ええと、私は今、町子さんを人間に戻したくて、戻したいけど方法はわからなくて。ここはまやかしの異世界で。あ、さっき――」
私はふと、先程のっぺらぼうの顔に町子さんがぼんやり浮かんだ瞬間を思い出した。確かあの時、町子さんは普段心にため込んでいたであろう、本音を口にしていた。
つまり、本音を喋らせれば……って!!今私を満足気な顔で噛みしめているから喋れないじゃん、町子さん!!
「詰んだ。私はまだ死にたくない。一度くらいちゃんと小説を、ルシアンとミカエルが幸せになるところ、書いて完結したかった……」
こんな時もやはり思うのは十六年生きてきて、下手だけど物語を執筆するのが好きで。だけど一作も完結出来ない自分への後悔の気持ちだった。
「月野さん、だ、大丈夫。きっと君は完結できる。だから諦めちゃだめだ。でも血が凄いけど。なんか床に垂れるくらい沢山出てるけど、こ、この状態はだ、大丈夫なのか……」
私の出血具合を実況をしてくれる八神君。そんな彼の顔が更に青くなった。これはもう終わりかも知れない。そう思った私は痛む脇腹を我慢し、町子さんに顔を向けた。町子さんは真っ赤なつぶらな瞳でこちらをジッと見ている。
「町子さん、私は完結出来ないまま人生を終えそうだから。だから最後に言っておきます。あなたはさっき、私に自分の幸せをネットでも、現実世界でも撒き散らすこの世界は滅べば良いって言ってましたけど」
町子さんがぶるりと体を震わせ、歯が脇腹に食い込んだので思わず痛みでウッと私は顔をしかめる。
「だけど、あなたのエッセイ。日刊三位を取れるくらいみんなの共感を得たんですよね?それって、この世界に愚痴や不満がある人が、あなただけじゃないって事ですよね?町子さんの置かれた境遇に近い人が世の中に沢山いるって事。それでみんな同じような思いを抱えて。だけど頑張ってるんじゃないかなって私は思うんです」
(少なくとも私は、町子さんが片想いの切ない気持ちを綴ったエッセイに共感をしたよ)
きっとみんな何かしら我慢して生きている。言いたい事を言えない人も沢山いる。だから誰かにネットで代弁してもらい、それに共感する事で安心している。私はそう思った。
(それに嬉しかった事って、言いやすいけど、人の悪口は炎上しちゃうし、不満ばかりの人って思われたくないからSNSとかではなかなか言えないし)
だからこそ、町子さんのように、ズバリ本音でエッセイを書いている人に沢山共感が集まるのかも知れない。
「私は町子さんは勇気あると思います。人のドロドロした感情をちゃんと読みやすくて、それでいて後腐れなく上手くまとめてあったから。私だって、町子さんのエッセイを読んで片想いって辛いけど、辛いのは私だけじゃないんだって思えた。だからさ、一緒に帰ろうよ町子さん」
私は自分が死ぬと思ったら、半ばやけっぱちで、町子さんのエッセイを読んで感じた事を全力で口にしていた。
町子さんはそんな私の言葉を聞いて、何故か蛇なのに満足気な顔をして赤い瞳から雫を一つ、ポロリと床に落とした。
それを見届けた瞬間、私はまた例の感覚に襲われた。
「え、何でいまあれが来るの?」
驚く私の周りがピンク色の光に包まれ、私の体には自然とパワーが漲ってきている。そしてぴかーんと一際輝いた光を発し、驚いた町子さんが口を開けた。
私はするりと町子さんの口から抜け出すと、空中でゆっくり浮遊しながら、ユメカワラブリンステッキを高く上に放り投げる。するとステッキはくるくると私の手を離れ宙を舞った後、しっかりと私の手元に戻ってきた。それを難なくキャッチした私は、ステッキを体の前でくるくると八の字に回した。
「ミラクル、ミラクル、くるりんぱ!!横小路町子さんのエッセイに星五つ!!」
ステッキの先からプワーッと七色の光が飛び出し町子さんの体を優しく包み込む。そして留まる事をしらない七色の光は、このまやかしの世界に綺麗な雨を振らせていた。
「綺麗だな、まさかこれが八神君の言ってた陽の気なのかな」
そんな風に私は自分が作りだした、ファンタジーな世界に浸っていた。すると上空にぽかりと虹色の渦巻きが出来た。そしてその渦巻目掛け、このまやかしの世界がどんどん吸引されていくのである。
「え、吸引力の変わらない掃除機!?きゃーー!!八神君助けて!!」
虹色の穴を呑気に眺めていた私。すると物凄い勢いで、私の体がその穴に吸い込まれ始めた。
「月野さん、大丈夫。ちゃんと元の世界に戻るだけだから」
いつもより少し優しい声の八神君が吸い込まれる私の手をギュツと力強く握ってくれた。
(うっ、もう死んでもいい)
八神君に優しくされる事に慣れていなかった私は、思わずそんな心境を口にした。
「それは困る。まだ俺の仕事を手伝ってもらわないとだし。君は俺のナビゲータなんだろ?」
そう言ってニヤリと片方だけ口角をあげて笑う八神君は、やっぱりどうみたって、私の大好きな、ちょっと意地悪な八神君であった。




