狼狽(ろうばい)の教皇
それから一週間……。
ホルン教皇がしたことと言えば、これはただ一つ。
――動かない。
……これだけである。
王宮から毎日寄越されてくる使者にも、一切会うことはなく……。
予定されていた全ての公務は取りやめとなり、王都が誇る大聖堂の奥へと引きこもってしまったのだ。
引きこもっている、と言っても、大聖堂が立ち入り禁止となったわけではない。
何しろ、ここは主の家だ。
閉ざす門など、あるはずもなかった。
いや、より正確に述べるならば、閉ざしようがなかった、というのが正しいだろう……。
何しろ、『テレビ』を用いた元狂気王子の演説以来……。
大聖堂には連日、感謝の祈りを捧げに人々が大挙し押しかけていたのだから。
しかも、これは王都に元から住んでいた住民ばかりでなく、周辺の町や村に住んでいた人々が日ごとに合流し、その数を増していた。
こうなっては、たまらない。
何しろ時の王が肝入りで建設した大聖堂であるから、その収容人数は膨大である。
しかし、何事にも限度というものがあった。
新年の祭りもかくやという勢いで人々が押し寄せてしまっては、到底入り切れるものではないのだ。
そのため、王都に存在する聖職者たちは一丸となってこれの対処に当たり、群れ成す人々の列形成や誘導、ならびに王都各所へ存在する教会への分散を呼びかけたのである。
立ち上がったのは、聖職者だけではない。
これを勝機と見た宿の経営者や、王都の納屋衆と呼ぶべき土地持ち倉庫持ちたちも同様であった。
何しろ、旅人が集まれば必要となるのが泊まる場所だ。
王都に存在する宿はいずれも収容可能な限界まで巡礼者を受け入れ、土地持ちの豪商たちは空いている倉庫などを臨時の木賃宿として開放し、これに対処したのである。
今、王都は空前の活気ににぎわっていた……。
そして、この地に集いし人々はいずれも第三王子アスルを称え、それ以上に彼を導いたホルン教皇を賞賛していたのである。
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「なんなのだこれは!? 一体、どうすればいいのだ!?」
ホルンはこの一週間、何度となく繰り返してきた問いかけを発しながら、自身の執務室内をぐるぐると歩き回っていた。
まるで落ち着きのない飼い犬がごとき行為であるが、事実、彼はそれ以上に錯乱し己が心を制御できずにいたのである。
そんな彼を見守るのはただ一人……部屋の片隅で直立不動の姿勢を貫く腹心のみであったが、その彼も、なんと声をかけていいのか分からず沈黙するのみであった。
「どれもこれも、この……っ!
この板切れのせいだ!」
怒りのまま、例の礼拝室から運び込まれ執務机に設置された『テレビ』を指差す。
そこに映されていたのは、どこぞの室内で対峙する少女とエルフ娘の姿であった。
『では、今日の学習成果をおさらいしてみましょう。
エンテ様、こちらの単語は何を意味していますか?』
これは先日の演説を流用したのだろう、青一色に壁が染め上げられた室内で、いくらでも書き込むことができ、また、簡単に文字を消し去れる不思議な白板に書かれた単語を指差しながら少女がたずねる。
この少女……尋常な人間ではない。
着ている装束は、先日第三王子が身に着けていたそれを女性用に仕立てたもの……。
肌にぴちりと貼りつくようなそれは、露出というものが皆無であるにもかかわらず、完璧なまでに均整の取れた体つきをかえって強調していた。
顔立ちは――まさに美の化身。
美貌というものに含まれるおよそ全ての要素を、絶妙な配分で組み合わせたかのような……。
いっそ、スゴ味すら感じる美少女なのだ。
では、なぜかような美少女を人間ではないと断定できるのかといえば、これはその髪に起因している。
まるで、空に浮かんだ虹のように……。
と、例えるにはいささか派手に過ぎる輝きを放つその髪は、一本一本が絶え間なく色彩を変化させており、到底自然な存在が持ちうるそれとは思えぬのだ。
『おう! そんなの簡単だぜ!』
不可思議な髪の少女と比べると、いささか露出が多く健康そのものな肌を惜しげもなく晒したエルフ少女が、元気に手を上げながら答える。
『答えは、リンゴだ!』
『イエス。
そして、この果物をシンボルマークとした古代地球の一大IT企業と言えばなんでしょうか?』
『いや、そんなわけわかんないもの分かるわけないだろ!?』
エルフ少女が、抗議の声を上げた。
あれから……。
『テレビ』は夕刻時になると、様々なものを映し出すようになった。
例えば、今やっているような読み書きを教える催し……。
例えば、昔王宮で見かけた覚えもあるトサカ頭男による調理の実演……。
例えば、第三王子が発見した古代の技術を用いた恐るべき農作の風景……。
ツンデレ系バーチャル狼耳美少女ホーバンちゃんによる超余裕ナイフプレイ動画などは、ゲームというものの意味が分からないホルンでも状況を忘れて楽しみ、ぜひ、本人と会ってみたいと思うほどの出来だった。
そして、各催しの最後には必ず付け加えられる文句がある。
『では、本日の読み書き教室でした。
この番組は、マスターをお導き下さったホルン教皇のおかげで放送できてます』
『みんなも感謝してやってくれよ! まったなー!』
能天気にこちらへ向け手を振るエルフ少女とは裏腹に、ホルンは頭を抱えた。
「まただ! なぜだ!?
なぜ、王子は全ての手柄を私になすりつけようとする!?」
叫んでも、答えられる者などいようはずもない。
新教皇となり、此度の大飢饉が起きてからホルンが迎えてきた危機は、ひとまず脱したと言って良い。
いや、それ以上だ。
恐る恐る、窓から外を見やれば……。
もう夕刻となり、礼拝の時間も終わろうとしているのに教皇の名を讃える信徒たちがいまだ列を成しているではないか!?
おそらく、このような光景は王都のみで見られるものではあるまい……。
間違いなく、ホルンは歴代教皇でも屈指の人気者と化しているのだ。
「我が退任を願う声など、もはや王国のどこにも存在すまい!
どころか、敵に回っていた枢機卿ですら積極的に協力してくる有様だ!
一体、王子は私をどうしたいのだ!?
王宮からの登城要請も、断り続けるのは限界があるのだぞ!?」
再三に渡るその要請を、ホルンは押し寄せる信徒に対処するためとして断り続けていた。
しかし、それもいつまでも続けられるものではあるまい。
なんとなれば、この身はその信徒たちの前にすら姿を現していないのだから……。
「信徒も王宮も、気軽に出て来い話を聞かせろと言うが、私に何が語れるというのだ!?
何もかも、身に覚えがない話なのだぞ!?」
腹心たる神官のみが控える執務室で、ホルンは誰も答えられぬ問いを叫び続けるのであった。
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「――そろそろ、こんな感じでホルン教皇がわめいている頃だろうな」
『マミヤ』の談話室で、愛する妻――ウルカの入れてくれたお茶をすすりながら、俺は自分の想像する光景を語り聞かせる。
「アスル様、悪い顔をしてらっしゃいますよ?」
「あっはは、まあ、悪だくみってのはやってみると案外楽しいもんだな。
幸い、相手ははめても良心の呵責を感じない相手だし」
「そのような相手を取り込んで、大丈夫なのですか?」
キツネのごとき耳を愛らしく動かすウルカに、俺は大丈夫と即答した。
「むしろ、そういう相手だからいいのさ。分かりやすい。
それに、こうは言ったが俺は人間としてのホルン教皇は案外嫌いじゃない。
権力というものは己の才覚と金と運の全てを賭けて掴むもので、彼はそれを果たした人物だ」
さて、と言いながら立ち上がる。
あれから一週間……。
ファーストインパクトを浸透させるには、十分な時間が過ぎた。
そろそろ、次の手を打つべき頃合いだろう。




