ホルン教皇
ロンバルド王国における教会の最大権力者――ホルン教皇の人生を端的に表すならば、これは、
――野心。
――策謀。
――姦計。
――金。
……これらの言葉に、ひとつまみの信仰心を加えたもの、ということになるだろう。
出自は、さる貴族家の庶子。
そのような身分の者が、世俗から切り離されて神に仕えるというのは、実にありふれた話であった。
しかし、ホルンがありふれていなかったのは、教会に入ってからの立ち振る舞いであろう。
神学において、抜きん出た成績を収めたことはもとより……。
彼が他のどんな神官よりも優れていたのは、金に対する嗅覚であった。
例えば、ある領地において税の横領があった時……。
下手人たる徴税管に人を介して接触したホルンは、簡単に言えばこれを強請った。
全てを明るみにされ、裁きの場に立たされるか……。
あるいは、横領した金の内いくらかを流すか……。
その選択を迫られれば、考える余地はない。
例えば、ある貴族家同士で領地争いが勃発した時……。
片方の貴族家当主に、ホルンは堂々と接触した。
果たして、両者の間でいかなる話し合いがもたれたか……。
それを知る者はいないが、ホルンはおよそ三ヶ月ほどの間に教会が秘蔵する古文書を徹底的に洗い上げ、接触した貴族家こそが正当なその地の領主であると神学的に立証してみせた。
当然であるが、そのように都合の良い古文書などそうそう存在するはずもない……。
ホルンがしたことは、こじつけであり――改ざんである。
しかし、人の世において主の言葉は……それを代弁する聖職者の言葉は絶対だ。
まして、ホルンが用意した資料は、よほどの知恵者であっても反論の余地がないほどに完璧な出来だったのである。
ホルンの働きにより、いさかいの原因となった地にまつわる人々の心は一気に片方の貴族家へ傾いた。
こうなっては、証拠を提示された側の貴族家はどうにもならぬ。
最後の手段として、戦に打って出ることは可能だ。
各貴族家の独立気風が強いロンバルド王国であるから、利権を巡っての戦は――無論、大事にし過ぎない範囲に限るが――黙認されるのが通例だからである。
だが、打って出た所でどうなるというのか?
肝心な土地勘を持つ者たちはこぞって相手方についているし、これだけの証拠を教会側から提示されて受け入れぬは、主に弓を引くも同然。
そうなれば、もはや損得勘定を抜きにして周辺領主が攻めてきかねないのである。
かくして、一切の血を流すことなく両貴族家の領地争いは収まり……。
見事、狙いの地を手にした貴族家からは、多額の裏金がホルンへ収められたのであった。
このような事例は、氷山の一角に過ぎぬ。
聖職者というものは、必然、人々の噂話や裏事情などに通じるものであるが……。
ホルンの嗅覚は、もはや魔術じみた代物であったと言えるだろう。
そのような手法で手にした資金を元に、ホルンは教会内を駆け上がった。
人の差配をするは、人であり……。
差配する人を動かすのは、金である……。
ホルンが処方した鼻薬は、そういった人間たちに劇的な薬効をもたらしたのだ。
そうやって年を経るごとに地位も高めていったホルンは、昨年……教皇を決めるための選挙へ出馬することとなる。
――乾坤一擲。
すでに四十も終盤を迎えていたホルンにとって、人生最大の大戦であったと言えよう。
投票権を持つ教会権力者たちにホルンがしたことは、大きく分けて二つだ。
一つは、裏金。
そしてもう一つは、自身が当選した場合における利権の保証。
……これだけである。
だが、選挙というものへ勝つにあたって、これ以上に有効な策は存在しない。
要するに、投票権を持つ権力者たちは皆が皆、こぞってこう言っているのだ。
――なんだ!?
――俺には何を用意する!?
――金か!?
――それとも地位か!?
……と。
なんとも悲しきことかな……主は、人という種を生み出すにあたって、欲というものを取り除かなかったのである。
また、ホルンが機を見るに敏だったのは、辺境伯領方面の教会勢力を束ねるロイル大司教へ早期に接触したことであろう。
ホルンは、ずばりこう言ったものだ。
――枢機卿の席を保証する!
近年、大いに栄えている辺境伯領であるから、この地を束ねるロイル大司教が動かせる票は当然ながら多い。
しかも、他領に比べ格段に金が物を言っている辺境伯領の気風に彼があてられていることも、ホルンは敏感に見抜いていた。
かくして、何をさておいてもまずは大魚を釣り上げ……。
その他、裏金のばらまきや密約の類も功を奏し、見事、ホルンは教会における最高権力者へと就任したのである。
まさにここから、我が世の春が始まる……。
そのはずだった。
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「主よ……!」
――自身の体重よりも重いのではないか?
そう思わせる法王のローブに身を包みながら、ホルンは一心不乱に……まだ純粋な若者だった修行時代のように祈りを捧げていた。
場所は、王都フィングが誇る大聖堂……。
その、大祭壇である。
人払いを済ませた空間には、他に誰もおらず……。
眼前には、太古の昔この宗教を指導したという偉大な聖人の偶像が飾られており、ひざまずくホルンの姿を見下ろしていた。
教皇へ就任した当時と比べると、いくらや痩せこけ顔色も悪くなったホルンが祈るは、ただ一つ……。
「どうか、お救い下され……!」
主語は、ない。
何も知らぬ人が聞いたならば、今年の飢饉から人々を救うよう祈っているように見えたことだろう。
しかし、その実……ホルンが祈っているのは、他の誰でもなく己が身を救うことであった。
その理由は、ただ一つ……。
「あれだけ……あれだけの苦労をして上り詰めたこの地位だというのに……。
なぜ、早くも追い落とされなければならぬのです……!」
……このことである。
天変地異の責任を、宗教上の最高指導者に求める……。
これなるは、遥か太古より繰り返し行われてきた人の世における理だ。
人々を代表して、その意を天に届けられなかったから……。
その任を果たせなかったのだから、退陣してもらう。
ごくごく、単純な理屈だ。
その単純な理屈に、今、ホルンは苦しめられていた。
「よりにもよって、私が教皇となったその翌年にこの大冷害……!
これは、あんまりではありませぬか……!
私はまだ、何もしていない……!
全ては、これからであったというのに……!」
今年の飢饉を受けて……。
教会の権力者たちが血道を上げたのが、新教皇ホルンに対する攻撃である。
たちが悪いのは、最大の同盟者であるはずのロイル新枢機卿までもがそれに加担していることだろう。
教会内から……。
そして、何も知らぬ無辜の民からも……。
就任するや否や、かつてない天変地異が起こった新教皇への退任圧力は強まっていた。
まさに、ホルンは進退きわまっていたのである。
「どうか……どうかお救い下さい……!」
皮肉にも、今の彼が頼れるは地位を上げるにつれかえりみなくなってきた存在のみ……。
そのようなわけで、ある意味その地位にふさわしい死に物狂いの祈りを捧げていたホルンであったが……。
「教皇! 大変です!」
不意に大扉が開かれ、その祈りは中断された。
気分転換に新作短編書いたので、よければ暇つぶしにでも。
「戦場のタオルケット」 → https://ncode.syosetu.com/n8673gz/




