宗教
一定以上の人間が集まり、生活を共にする場というものには、必ず必要となる施設が存在する。
それは炊事場であり、便所であり、湯浴び場であり……。
そして、忘れてはならないのが――礼拝室であろう。
人間は、主の導きなくして生きることあたわぬ。
いかなる時においても主への感謝を忘れぬため……あるいは、道へ迷った時にその導きを得るため、祈りの場というものは必要不可欠なのであった。
で、あるから……当然ながら王都フィングにそびえ立つ巨城、ロンバルド城においても、城内各所へ礼拝室が設けられている。
第二王子たるケイラーがひざまずき、一心に祈りを捧げているのは、そんな礼拝室の中でも王族が暮らす区画にほど近い一室であった。
他に、人はいない……。
ただ、ろうそくの明かりだけが、道に迷いし王国一の騎士を照らし出していた。
「エーデル……イヴ……」
我知らず、大騎士が口にしたのは、今は亡き妻の名であり、死産した妹の名である。
「そして、主よ……!
我が弟、アスルは生きていました……。
ばかりか、我らが一笑に付した探索を見事終えたに相違ありません……。
しかし、兄上たちの言が確かならば……あやつはその力をもって、王家に弓を引かんとしているという……。
私は、一体どうすればよいのですか……!?
どうか、お導き下さい……主よ……!」
瞑目し、祈り続けるケイラーであったが……。
果たして、彼にかけられる言葉は存在しなかった……。
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「……よし」
祈りを終え、立ち上がる。
プレハブの真白い壁に囲まれ、電灯の明かりに照らさた礼拝室というものはなんとも無機質というか……生まれ育ったロンバルド城のそれに比べると、雰囲気というものに欠けることこの上ないが、まあ、大切なのは主に感謝するその心であろう。
「お祈りは終えられましたか?」
隠れ里に設けられた、即席のプレハブ製礼拝室……。
引き戸を開けてそこから出てきた俺を、タブレットを手にしたイヴが出迎えた。
時刻は早朝……これから、隠れ里そのものが動き出そうという時間である。
いや、今日これから動き出すのは隠れ里だけではない。
言うなれば、それは王国であり、大陸であり……歴史そのものだ。
それにあたって、俺は普段よりも早く起きると、入念な礼拝を済ませていたのである。
別に、王族のたしなみとして神官位を持つからというわけではないが……。
こういった物事の節目において、遥か天上から見守って下さる偉大な存在へ祈りを捧げることは、不可欠であると俺は思う。
ビルク先生のお言葉ではないが、この世には、人間の力が及ばぬこと、また、及んではならないことが数多存在するのだから……。
「ああ、バッチリだ。
どうだ? イヴもお祈りしていくか?
まだ時間もあるし、なんなら洗礼をしてやってもいいぞ?」
半ば冗談、半ばは本気で発した俺の問いかけに、死産した妹の名を与えた少女はいつも通りの無表情で首を横に振った。
「ノー。
私は宗教行動を理解できません。
お気に障るようでしたら、実行に移しますが?」
腰まで伸びた髪を七色に輝かせる少女の言葉に、苦笑いを浮かべてしまう。
「いや、主は無理強いを望まれたりはしないさ。
ま、言ってみただけだよ」
俺の言葉に、イヴは髪の色彩を鮮やかに変化させながら思案気な表情を見せた。
「不思議なものです」
「不思議って、宗教がか?」
イヴが自分から疑問を投げかけるというのは、珍しいことだ。
どうやら、これも超古代技術の力なのか……。
イヴは俺と出会った時――すなわち、この世に生まれたその日から、実に様々な知識を身に着けていた。
まあ、人間感情の機微にはどうにもうといし、当然ながら当世の政治や経済の情勢に関しては、見当外れな意見を言うことも多いのだが……。
それでも、常に自分なりの考えや答えは持っていたわけで、ただ純粋に疑問だけを口にするというのは滅多にあることではない。
そこに興味を抱いた俺は、少しばかり深掘りしてみることにした。
「イエス。
知識としての宗教は、理解しています。
また、銀河帝国以前の人類史において、それが極めて大きな影響力を持っていたことも把握しています。
ですが、理解以上の感情を持つことができないのです」
「理解以上の感情っていうと……納得ってところか?
自分の中に、上手く落とし込めないような?」
「そう考えて頂いて、相違ありません。
私の認識では、神とは人間が発明したものです」
「そいつはまた、大胆な意見だな。
世の神学者が聞いたら、泡を吹いて異端認定してきそうだ」
苦笑しながらも、しかし、同時に感心も抱く。
神とは人間が作り出したもの……それは、物心ついた時からごく当たり前に教会で祈りを捧げ、ミサに参加し、洗礼を受け、神官位を授かった者としては思いもよらなかった発想である。
「人間は、自分たちの力だけで解決できぬ困難に出会った時、それをもたらした何者か、自分たちを不幸にした存在を求めました。
つまり、八つ当たりの対象です」
「ふむ……まあ、宗教にはそういう側面があるな」
例えば、愛する妻を失った時……。
例えば、待望した妹が死産した時……。
恐れ多くも主に呪いの言葉を捧げるのは、人間の心理である。
「また、それとは逆に思いもよらぬ幸運に巡り合った時、人はそれを感謝するための存在が欲しくなりました。
私は神とはその両面が合わさって生まれた人間の発明品であり、それ以上のものではないと考えます。
それに振り回され、時に多くの死者を出すというのが理解しきれないのです」
「なるほどなあ……」
腕を組みながら、イヴの言葉を咀嚼した。
さて……『マミヤ』を発見する前の俺であったならば、どうしただろうか?
おそらく、不敬のひと言でもって嫌悪感を露わにしたにちがいない。
しかしながら、俺は今……『マミヤ』から得られた数々の知識によって、聖書と現実の相違点を目にしてきている。
何しろ……我が血族は主の手によって生み出されたものではなく、古代に生きた人間の手によって生み出されたものだしな。
そこを踏まえた上で、しばし沈黙し……そして、どうにか自分なりの答えを導き出した。
「俺の意見は、少し違うな……。
神とは発明ではなく、発見であるのだと思う」
「発見、ですか?」
長き髪をきらめかせながら、こくりと首をかしげる少女に続ける。
「俺はやはり、この世を統べる大いなる存在はあると思う……。
何しろ、俺たち当世の人間には神の御業にしか思えない超技術を誇った古代文明も、今となっては滅んでいるくらいだ。
どうあったって、人間の力が及ばないところがこの世にはある……。
そのことを見い出した人々は、それなる存在に神と名付けたのさ」
「申し訳ありません。
やはり、納得しかねます」
「はは、それでいいさ。
主が人間のように物を考える存在だとしたら、全員が全員同じように考えるなんて気持ち悪いと思われるだろうよ」
そこまで言って、さてと続ける。
「ともあれ、人間は宗教というものを時に利用し、時に振り回されてきた……。
まさに今、イヴが言ったようにな」
「イエス。
かつて、地球と呼ばれた人類発祥の地においては、宗教的な聖地を巡り、百年以上もの長きに渡って複数回の戦乱が巻き起こったほどです」
「マジか。
俺らのご先祖様、ガッツがあるな」
いずれ、その辺りの歴史も勉強してみたいものだが……。
今、やるべきことは他にある。
「まっ……。
俺もそれにならって、大いに宗教を利用し、それで人々を振り回すとするかね」
それから、イヴを伴い歩き始めた。
ひとまず、冷害を巡る騒動は収まりつつある……。
次に成すべきは、宗教勢力の囲い込みだ。
そのための手段は、亡き我が師――ビルク先生が考案してくれたのである。




