米の旗
――『米』。
これなる記号……いや、文字の意味を解さぬ者など、もはやこのロンバルド王国には存在しないだろう。
それは何も、大人たちに限った話ではない。
子供たちですら、そうである。
なんとなれば、十字に四つの点を加えたこれなる文字は、自分たちを飢饉から救ってくれた作物を表すものであり、それをもたらしてくれた者たちの旗印でもあるからであった。
――『米旗隊』。
ここ二か月ほどの間、『米』と書かれた旗を差し、縦横無尽に王国内を駆け巡った者たちに人々がつけた名前だ。
初期こそ、それは辺境伯領から派遣された者たちを示す言葉であったが、その意志は各領で生きる行商や志ある者たちへと伝播していき……。
今では、そういった者たちにも旗と物資が託され、より効率的かつ、地域に根差した食糧支援が行われているのである。
無論のこと、中にはそれを得てよからぬことを企む者も存在した。
人間という生き物の本質は善であるが、とかく、この世には邪道へといざなう誘惑が多いものなのである。
だが、それらは全て厳罰により処された。
実行したのは、辺境伯からお付きとして派遣された正騎士であり、もしくは、各領において監視の任を領主から与えられた者たちである。
厳罰とはすなわち――死刑。
人々の間で特に語り草となったのは、なんと言ってもラフィン侯爵領は領都ミサンにおける処刑であろう。
引っ立てられたるは、米旗の者を巧みに騙し不当な供給を得たばかりか、それを転売して利益を得ようとした不心得者……。
縄を打たれ、ミサンが誇る中央広場に連行された下手人に対し、この地を治めるスオムス侯爵は愛用の剣を高々と抜き放ったものである。
そして、衆人環視の中……。
「――むうん!」
それを真っ向から、振り下ろしたのだ!
――真っ二つ。
……で、あったという。
山賊爵の異名に恥じぬ剛剣は、罪人を縦二つに分かったのだ。
広場にはすさまじい血臭が立ち込め、ちょっとした好奇心から集った人々の肝を大いに冷やしたそうである。
しかし、それと同時に、いまだ姿を見せぬ救い主に対する感謝の念と、それを裏切ること決して許さぬ騎士道の表れも人々に感じさせたのだ。
かくして、米旗を差した者たちの規律は保たれ……。
正義の意志が下、救いの食糧は人々の手元へと届けられていった。
配給された食糧の内、最多を占めるのはその旗にふさわしく米だ。
いかなる脱穀法を用いたのか、一粒一粒が真珠のように美しいそれらは炊き上げられるとさらに輝きを増し、その風味と食いでで王国民をたちまち魅了していった。
――もし、種もみが手に入るのならば。
自らの手でもこれを育ててみたいと考える農民は、数知れずであるという。
そして、米旗の者たちが辺境伯領から運び込む食糧は、米だけではない。
例えば――缶詰め。
水の一滴すら入らぬほど完全密封された金属製の容器は、しかし、いかなる細工を用いているのか……蓋に取り付けられたプルタブなる金具をつまめば、簡単に開口することができた。
中に詰められているのは、調理されたイワシや鶏肉などであり、独特の風味がある調味料を用いた味付けは慣れるとやみつきになる。
また、単なる鉄とは明らかに異なる金属で作られた容器の外面には、中身の料理やプルタブの使い方などが絵図で記されており……。
これを気に入り、食した後に洗浄して保管したり、別用途で再利用する者が続出した。
例えば――袋菓子。
紙とも皮とも異なる素材で作られた奇妙な袋に収められたるは、薄切りにして揚げた芋などである。
それそのものは、古来より愛されてきた嗜好品であったが……袋を開くだけで、出来立ての温度こそ存在しないものの、パリリとした食感も楽しいそれを味わえるというのだから驚きだ。
また、この包装材も実物そのものかと思うほどに鮮明な中身の絵図が描かれており、やはり、食べ終えた後に保管する者が後を絶たなかった。
例えば――レトルト食品。
包装材として用いられている素材は袋菓子のものとよく似ているが、こちらはより分厚く頑丈な作りをしている。
最大の特徴は、これをそのまま湯せんにかけることが可能ということ……。
そうすることで、中身の煮つけ料理などが温められ、そのまま開封し器に盛ることで出来立て料理のように味わうことができるのだ。
煮つけの味付けに用いられているのは、缶詰めなどと同じ独特な風味がある調味料であり、その味がしみた根菜や鶏肉は絶品である。
食べ終えた後、その包みを人々が保管したことはもはや言うまでもない。
そしてなんと言っても――カップ麺!
お湯を注ぎ、わらべ歌を歌い終えるほどの間待つだけで……これまで味わったことのない、素晴らしい麺料理が味わえる。
油断すればたやすく口内をヤケドしてしまうほど熱いそれは、此度の冷害で冷えきった人々の心身に熱を入れてくれたのであった。
こちらの容器に関してなのだが、食べ終え洗浄した後……保管してあったなけなしの小麦を使い、自分たちで作った出来損ないの麺料理を詰め直す者の姿も見られたという。
当然ながら、そんなことをしても元のように保管することはできず、挑戦した者は首をかしげることになったそうな。
これらの食品は、決して数が多かったわけではない。
あくまでも、添え物のごとき存在としてまぎれ込まされていただけである。
それがゆえ、一度でもこれを食したことのある人間はこれを熱望し、再度『米旗隊』が訪れた際には、サイコロ遊戯などを用いての熾烈な取り合いが発生したという。
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今日もまた、米の旗を差した者たちが飢えた民たちに食糧を分け与えていく……。
広大なロンバルド王国であるから、中には輸送することが困難な僻地も存在するわけであるが、そういった地方には謎の覇王率いる一団が現れこれを救って行ったという……。
彼らが残していくのは、食糧のみではない。
『テレビ』なる、謎の道具もまた残されていった。
そして、彼らに関する報告は当然のことながら……ロンバルド王家の耳にも入れられることになったのである。




