鋼鉄船
ハーキン辺境伯領は領都ウロネスといえば、王国でも随一の港湾都市として知られている。
辺境伯領の特産品と言えば、これは領内の八割を覆う森林地帯から得られる木材を置いて他になく……。
各地で加工された木材は、領内を東西に二分するイルナ河によってウロネスまで運ばれ、ここから王国各地へと船舶輸送により出荷されていくのだ。
必然、ウロネスの港湾部には大小様々な船が入り乱れることとなる。
最も多数を占めているのは、奴隷の労働力に物を言わせ海を突き進む船――ガレー船であるが、中には先代辺境伯の代から肝入りで開発されてきた風を動力とする船――帆船の姿も見られた。
その他、木っ端のごとき小さな漁船は数知れず……。
まさに――船舶の見本市。
ロンバルド王国の……いや、人類の海にかけてきた情熱と英知の全てが、この港には結集しているのだ。
それはつまり、これなる巨大船が、人類史の外側から突如として現れたことを意味していた。
巨大……そう、巨大である。
その全長は六十メートルを優に超すだろう。
しかも、船体には木材のもの字も存在せず……。
全てが鋼鉄によって形作られており、これでなぜ海に浮かぶのか……見る者は首をかしげざるをえぬ。
船尾はさながら、砦のごとき様相を呈しており……。
これの全高はといえば、軽く十メートルを超えていた。
反面、船腹部は靴底のごとく大きくへこんだ構造をしており……。
その中央に鎮座する城門のごとき構造物は、果たして何を目的に設置されているのか……これを一目で看破できる者などいようはずもなかった。
船首はいかにも流麗な形をしており、これが海原を突き進む様は、海面を切り裂いているかのようである。
船体にでかでかと描かれた『米』という不可思議な記号は、これなる船が所属する組織を表しているのだろうか……?
その記号にもまして不思議なのは、この船が、果たしていかなる手段によって航行しているのかだ。
ガレー船ならば、人力によるオール。
帆船であるならば、マストが受ける風。
それぞれ、はた目にも明らかな形で推進力を得ている。
だが、これなる鋼鉄船は……外側から見たいかなる箇所にも、海を進むための仕掛けが見当たらぬのだ。
だが、遥か北西からウロネス目がけて突き進むその船足は、ロンバルド王国が誇るいかなる船舶よりも速く、圧倒的な力強さがある。
それをもたらしているのは、どうやら船尾のようであった。
果たして、海中で何が起こっているのか……。
まるで、泳ぐ人間がバタ足をした時のように、船尾の底から海面が白く泡立っていくのである。
オールでないことは間違いないが……。
なんらかの方法で海水をかき、それで推進力を得ていると推測できた。
大きさも、船体を構成する素材も、海を進む方法に至るまでも……。
全てが異様であり、異形……。
物の怪じみた巨大鋼鉄船が、ウロネスの港へと訪れていた。
――ボォーウ!
――ボォーウ!
まるで、竜種が雄叫びのような……。
野太く、耳の奥底にまで響くような轟音が鋼鉄船から響き渡る。
聞く者の意識を強制的に引きつけるこれは――警告音だ。
その巨体と、圧倒的推進力……。
これに衝突されてしまえば、群れ集う一般船舶など文字通り海の藻屑と化してしまうだろう。
おそらくは、それを回避するための警鐘として、これなる轟音を鳴らしているのだ。
どうやら、その意図は正確に伝わっているらしく……。
港湾部を行き交う諸々の船舶が、鋼鉄船の進路を塞がぬよう立ち回っていく……。
それはさながら、王が行く道を開ける臣下のごとき光景であった。
まさしく、威風堂々。
ウロネス港のにわかな支配者と化した鋼鉄船が、ゆるりとふ頭へ迫る。
辺境伯家が新造する帆船のために整備した岸壁も、これなる巨大船を迎え入れるにはぎりぎりの水深であった。
と、いうよりは……。
鋼鉄船の方が、測ったかのようにぴたりと喫水が合う設計なのである。
竜種も上回ろうという巨大な船体が、すべるように岸壁へ沿っていき……見事、接岸に成功した。
「来たぞ!」
「待っていたぜ!」
これを見て歓声を上げたのは、港湾部で立ち働く水夫たちだ。
「事前に取り決めていた班は、急いで積み荷の搬出に迎え!」
彼らを束ねる長たちが指示を出すと、食べ物へ群がる働きアリのごとく、赤銅色に肌を焼いた男たちが鋼鉄船へ群がって行った。
『ただ今より、荷降ろし作業を開始します。
水夫の皆様方におかれましては、くれぐれもケガをしないようお気を付けください』
すると、驚くべきことに……鋼鉄船から女性の声が響き渡る。
朗々としたその声は、どうやら船体各部に取り付けられたラッパのごとき品から発されているようであり……。
生類ならぬ物から人の声が響くというのは、どこか不気味で空恐ろしい。
「おう! 分かってるぜ!」
「安心して荷を降ろしてくんな!」
しかし、水夫たちはといえば慣れたものだ。
その態度と、船から十分に距離を置く配慮からは、鋼鉄船の来訪が一度や二度ではないことを感じさせた。
さて、そのようにして水夫たちが待ち望んでいると、だ……。
船の甲板に、数人の……人間とおぼしき者たちが姿を現す。
おぼしき、となってしまうのは、致し方がないだろう。
彼らは、いずれもが金属とも皮革とも異なる材質で作られた全身鎧に身を包んでおり……。
さらには、頭部ばかりか襟元まできちりと覆う兜を被っている。
この兜は特徴的なことに、頭頂部を獣耳のような形に加工しており、のみならず、顔に当たる部分が黒いガラスで覆われていた。
果たして、いかなる人相なのか……黒ガラスの下をうかがうことはかなわぬ。
腰から下には、マントを装着しており……。
加えて、反りが入った大小の美しい剣を下げていた。
かろうじて、体格から男性であると推察できる謎の全身鎧たち……。
そのうち一人が眼下の様子を確認すると、船体中央部に備えられた城門のごとき建築物へ手を振った。
すると……おお……これは……。
謎の建築物が、いかなる力を用いているのか自在に動き……いかにも頑丈そうな鋼鉄製の綱を、先端から船底へと垂らしていく。
待つこと、しばし……。
今度は、鋼鉄製の綱が巻き上げられ、そこに取り付けられた積み荷を引き上げた。
その力の、なんとすさまじいことだろうか……。
積み荷の重さは、牛数頭分にも達するだろう。
しかし、綱を巻き上げるその速度には、一切のよどみがない。
十分に引き上げられたところで、先の全身鎧が再び指示を下し……。
建築物の先端が、体を伸ばすヘビのごとくスルスルと伸びていく……。
それは、鋼鉄船が接岸した岸壁の上にまで達しており……。
全身鎧の指示に従い、再び鋼鉄製の綱が……すなわち、その先に取り付けられた積み荷が陸へと降ろされた。
甲板の上から、全身鎧が水夫たちに向かって手を振る。
それが合図だったのだろう……。
「よーし! フック外すぞ!
くれぐれも、ケガしないようにな!」
水夫たちが、降ろされた積み荷へと群がっていく。
彼らが固定用のフックを外すと、再び鋼鉄製の綱が巻き上げられていった。
後に残るのは、積み荷のみ……。
頑丈な素材で作られた荷台の上へ、透明の被膜を何重にも巻き付けることで固定されたそれらは――小麦袋にもよく似ている。
似ている、が、これも見たこともない不思議な光沢の素材を用いていた。
袋に描かれた絵を見るに、これはどうやら食糧なのであろうか……。
「よし! 運べ運べ!
くれぐれも、鎧の人らを待たせちゃならねえ!
ウロネス男の意地を見せるぞ!」
水夫たちが短剣で被膜を破り、次々に袋を運び出して行く……。
同様のやり取りを、何度も繰り返し……。
謎の鋼鉄船は、実に大量の荷を降ろしたのである。




