最初の石
騎士階級を始めとする武官たちや、物資の扱いには欠かせぬ算用官ら文官勢はもとより、末端の侍女や下男たちに至るまで……。
皆が皆、即座に行動を開始するのは、これを従えるラフィン侯の人柄が大きく影響しているのだろう。
必然、ミサン城の中は様々な人々がせわしなく行き交う、人間潮流とでも呼ぶべき様相を呈し……。
その中で、騎士叙勲すら受けておらぬ木っ端の兵が一人城を出るくらいは、たやすいことであった。
無論、中にはこちらを見とがめ行き先をたずねる者もいたが……。
適当な人間の名を出し、その用命であると言えば簡単に納得してくれる。
大きな組織ともなれば、必然、全員が顔見知りとはいかなくなるものだ。
まして、多少は怪しく思えても上司の名をよどみなく答えられたならば、顔を知らぬだけの身内であると案外簡単に納得してしまうものなのである。
ここら辺は、事前に侯爵家内部の人間について調べ上げてくれた我が親友に感謝だな。
そのようなわけで、城を脱出し、ソアン一行の到来に対し様々な推測を交わし合う人々の間もすり抜けていき……。
ようやく人気というものが見当たらぬ路地裏に姿を隠した俺は、兵舎からくすねた皮装備類を脱ぎ捨てた。
装備を統一すれば、大量発注により予算も抑えられるし、同じ装備に身を固めた兵たちの士気高揚や、これを治安の証と見定めての市民受けも狙える。
が、悪~い人間からすると、こういう弊害も生まれてくるわけだな。
悪い人間って、どんなだって?
そうだな……例えばこの俺、アスルみたいな人間のことさ。
「ぷー……。
なんだか、『マミヤ』に保存されていたスパイ映画みたいでドキドキするね」
隠れ里を出る時にはお馴染みとなりつつある旅人姿となった俺は、そんな独り言をつぶやきながら素早くその場を立ち去る。
表通りに戻り、人の流れに混ざりながら、先ほどの光景を思い出した。
「それにしても……さすがは、即断即決山賊爵。
話が早い人は、好感が持てるね」
そう……先ほど、ミサン城は謁見の間において、納屋衆筆頭ソアンさんとラフィン侯スオムスが交わしていたやり取り……。
俺は侯爵家の兵士に扮し、我ながら大胆にもその場へ立ち合っていたのである。
仮にも組織の長とあろうものが……と、思われるかもしれないが、今回の謁見は『マミヤ』の超技術を始めて公的な場へ出す歴史的な転換点だ。
これは、是が非でもこの目に収めたかったのである。
それに、ラフィン侯の協力を取り付けられるかどうかは、今後に大きく関わってくる重大な要素であり、こればかりはリアルタイムで結果を把握する必要があった。
余人に携帯端末を渡すわけにはいかない以上、これを扱いこなせて、かつ、単独での潜入能力と戦闘力に優れている人間が紛れ込むことは必須だったのだ。
まあ、要するにあれだ。エルフ自治区でエンテを救いに行った時と同様、俺以外に実行可能な人間がいなかったのである。弱小組織はつらいね。
それに、仮に見つかったとしても、侯爵家に俺を止められるほどの実力者はいないというのもある。
ラフィン侯は強いっちゃ強いけど、俺ならブラスター抜きでもあしらえる程度だからな。
しかも、この身はそれこそ『マミヤ』で見たスパイ映画の主役よろしく、様々な素敵グッズを隠し持っている。
ナノマシン技術を応用し、瞬時にライジングスーツを着れるペンダントなど、実を言うとちょっと披露したかったくらいだ。
「ま、戦闘用の装備なんて使わないに越したことはないか。
代わりに、こっちは役に立ってくれたしな」
言いながら、袖から小さな筒を取り出す。
直径にして、わずか八センチ程度……。
特徴的なのは、先端部にごくごく小さなレンズが取り付けられていることだろう。
これなる品の正体は、カメラである。
解像度バッチリ。バッテリー持ちもよく、このように隠し持つには最適という優れ物だ。
二つ取り付けられているボタンの片方を押せば、事前にリンクさせてある懐の携帯端末に録画した動画データを送信するよう設定してある。
そうやって端末に取り込むのは、言うまでもなく先ほど行われた謁見の光景だ。
喜べラフィン侯。この隠し撮り映像は、歴史的瞬間として未来永劫保存されること請け合いだぞ。
「あとは、動画データを向こうに送信すれば任務完了、か。
元より心配はしてなかったが、やはり首尾よく事が運ぶと気分がいいな」
――山賊爵。
……などと、不名誉なあだ名を付けられているラフィン侯スオムスであるが、それは主に顔と言動が原因であり、利があることにはきちんと耳を傾ける懐の深さを持っている人物だ。
出所は死ぬほど怪しいものの、民を救うには十分な量の食糧が供給されるとなれば、他の全てを捨て置いてでも協力してくれるだろうと踏んでいた。
それにあの――カップ麺。
あれが侯爵に与えた衝撃たるや、絶大なものがあるだろう。
ぶっちゃけた話、民を救うためだけならばああいった嗜好品まで用意する必要は薄いのだが、権力者に話を通す上では便利極まりない贈り物である。
いつの世においても、美物というのは有効な交渉道具たりえるということだ。
「何より――値千金、ソアンさんの交渉術!」
山賊爵というのはラフィン侯の本質を知らぬ者のたわ言に過ぎないが、逆に言えば、そう呼ばれるくらいにはおっかないおじさんということでもある。
並の騎士ならば縮み上がるだろう侯爵のスゴ味に対して、こゆるぎもせず終始手玉に取り続けるとは……。
直接の面識はないが、さすがは我が兄弟子ということだろう……大した方だ。
謁見ではうそぶいていたが、彼が今回の件に対して投じた金は明らかに儲けというものを度外視してくれている。
いつか……いつかはきちんとした場を設け、正式にお礼を言わねばなるまい。
そして、俺たちが師事した人物の立派な最期についても……。
「いかん、な……。
ついつい、後ろを向いてしまっていた」
ミサン城では、あれだけ派手に人々が動き回っているのだ。
必然、それは噂話となり、駿馬が駆けるかのごとき勢いで人々に伝播していく。
先の見えない飢饉に下を向いていた市民らが、徐々に徐々に……上を向いて行き交い始めるようになった街路を歩みながら、晴れやかな青空を見やった。
――先生。
――いよいよ始まります。
きっとそちらから見守ってくれているだろう人物に、心中でそう告げる。
国興しというものは、無数の石を積み上げ石垣と成すような作業であるが……。
今、最も大きな石の一つを積み上げた。
だが、いくつもの石が積み上がった先で……俺は師の忠告を守ることはないだろうと、そう直感できたのである。




