侯爵の決断
「さて、ただ今、皆様方にお召し上がりいただいたカップ麺……」
スオムス侯爵が二杯目を食べ終え……。
謁見の間に集う、彼の主だった配下もこれを存分に堪能し終えたのを見て、ソアンが口を開いた。
「……これなるは、当方が今回運び込みたる品々の一端に過ぎませぬ」
それを聞いて、謁見の間にどよめきが広がった。
この、美味で……あまりにも美味で、それでいて不可思議極まりない食品……。
――これが、ほんの一端に過ぎぬと言うのか!?
口にはせずとも、皆が皆、同じ思いを抱いていたのである。
「レトルト食品、缶詰め、スナック菓子……」
これが大商人の話術というものか……。
十分に動揺が広がったのを見て取ったソアンが、おそらくはカップ麺と同等かそれ以上に美味く、不思議に満ちているのだろう食品の名を口にしていく。
「そして――米。
我らが目的はただ一つ。
これを広く国内に流通させ、此度の飢饉に困窮し苦しむ人々を救うことにございます。
そのために、なにとぞ……なにとぞ、閣下のお力添えを頂きたい」
「それで、通行税の全面免除を望むわけか?」
スープ一滴に至るまで余すところなく飲み干し、空となったカップ麺の筒をもてあそびつつ、上座から侯爵がこれを睥睨した。
そして、こう断じたのである。
「話にならぬな」
……と。
その口調も眼差しも、山賊爵の異名に恥じぬ迫力を有しており、ひざまずく者たちを心胆から寒からしめた。
ただ一人、風に吹かれる新緑のごとくこれを受け流しているのは、ソアン……。
「勘違いしてもらっては困るが、貴様らを足止めしようとか、追い返そうとか、あるいは……」
そこで侯爵は一旦口を閉じ、じろりとソアンの瞳を覗き込んだ。
「――ここで皆殺しにし、運び込みたる品のことごとくを略奪しようと考えているわけではない」
そして、にやりと笑ってみせる。
その笑みは豪快にして粗野な、侯爵位にある者が浮かべるとは思えぬ代物であり、たった今口にした言葉を、心中では真剣に検討していると暗に告げていた。
「なんといっても、ここはラフィン侯爵領であり、その領都ミサンであるのだからな。
この地は、ロンバルド王国の商路が集中せし要衝……。
行き交う商人たちを守り、助けてやるのは先祖代々から受け継ぎし我が使命よ。
しかし、しかし、だ……」
そこまで言い切ると、スオムスは手にしたカップ麺の筒をぐしゃりと握りつぶしたのである。
彼もまた、王国経済の心臓部で丁々発止のやり取りを繰り広げてきた者……。
いかようにすれば、己の意を通し切れるか……それを理解しぬいた振る舞いであった。
「これなる品を売り払って貴様らが得るであろう利を思えば、通行税をまけてやることなどまかりならぬ。
商人たち……ひいては民草を守るのも救うのも、何かと金がかかるものなのでな。
これを適切に徴収するのは、我が権利であり義務よ。
そうであろう? 納屋衆筆頭?」
侯爵の問いかけ……。
それはすなわち、この場における手番を明け渡したことを意味する。
それを受けて、ソアンはうやうやしく口を開く。
大商人の剃り上げられた禿頭には、汗の一滴たりとて浮かんではいない……。
「いかにも……で、ございますな」
上座から、豪奢な椅子にどかりと腰を下ろし、睨みつけるようにする山賊爵。
対して、ソアンはと言えばひざまずき見上げている姿勢だ。
しかして、その言葉にも所作にも媚びの色は一切なく、はたから見ている者らは、全く対等に話しているようにも錯覚してしまった。
「しかし、恐れながら申し上げれば……。
閣下の主張は、我らがこれにより利を上げるという前提に根差したもの……」
「何が言いたい?」
じろりとした視線を向けるスオムスに、ソアンはいかにも当然というような、涼やかな表情で続く言葉を言い放ったのである。
「我らは、これなる品々で対価を受け取ることは致しませぬ。
困窮しあえぐ人々に、無償でこれを配布して回る所存にございます」
「なんだと!?」
これには、さすがのスオムスもくわと目を見開いた。
言うまでもなく……。
商人というものは、物を運ぶことで対価を受け取り、利ザヤを得るのが生業な人種である。
それが、肝心の対価を受け取らぬとは……。
「此度の大輸送へ従事する者らには、すでに辺境伯とわたくしから十分な報酬を与えており、また、完遂し帰還した暁にはもう半金を与える旨、約束しております。
そして、もし輸送先で人々から代価を受け取ったことが発覚したならば、命をもって命に背いた罪を償わせることも、よくよく言い含めております……」
「むう……」
すらすらと述べられた言葉に、スオムスは思わずうなり声を発した。
果たして、辺境伯とこやつとで、どの程度の割合ずつを負担しているかは分からぬが……。
これほどに大規模な輸送隊である以上は、いかに王国屈指の大商と言えど簡単に工面できる金ではあるまい。
また、それは辺境伯に関しても全く同じことを言える。
「この度、王国を襲いましたるは未曾有の危機……。
辺境伯もわたくしも、かかる事態に対して、これまで貯め込んできた財貨を惜しみなく使い、人々を救うべしという結論に達しています。
もっとも、わたくしに関しては『損して得を取る』という考えがないではありませんが……」
ここで初めて、ソアンが涼やかな表情を崩し、口元に薄い笑みを浮かべてみせた。
なるほど、今回の飢饉に対し人々を救ったという実績があれば、その名声はうなぎのぼりであろう。
この男ほどの商人ともなれば、それを利用して今回投じた以上の利益を上げることも、不可能ではないのかもしれない。
「とはいえ、辺境伯もわたくしも、蔵の大きさには限度というものがございますゆえ……。
そこで閣下には、なにとぞご温情を頂き、今回の……そして、これからも続々と訪れる輸送隊の通行税を、全面免除して頂きたいのです」
「これからも、続々とだと!?」
かかる言葉に、スオムスが再び驚きの声を発する。
今回、領都ミサンを訪れた輸送隊……。
それだけでも、今年の冷害を思えば信じられぬ規模のものだ。
だが、これだけで終わらず……続々と食糧を満載した輸送隊が訪れるというのか……。
「……いいだろう。
その願い、聞き入れよう。
いや、それだけに留まらず、ラフィン侯爵家の総力を結集し、彼ら輸送隊にふりかかるあらゆる困難を排除すると約束しようではないか」
このような時、ラフィン侯スオムスの決断は早い。
まずは、力強くそう確約し……。
続いて、これまであえて脇に置いていた疑問を投げかけたのである。
「それにしても、だ……。
本題と外れるゆえ、あえて触れることはしなかったが……」
そこで、手の中でつぶれひしゃげているカップ麺のから容器を見やった。
「国内のどこもかしこも不作にあえいでいる中で、これだけ大量の……しかも、摩訶不思議極まりない食糧……。
一体、辺境伯殿はいかなる魔術を用いてこれなる品々を用意したのだ?」
それは、この場にいる全ての者を代表した質問であり、聞いて当然の疑問である。
果たして、ソアンがどう答えるのか……。
総員が傾聴し、次なる言葉を待ちわびたが……。
「さて、アレをどう説明したらよいものか……」
苦笑しながら納屋衆筆頭が告げたのは、残念ながら疑問の答えではなかった。
「確かなのは、これを用意したのが辺境伯ではないということ……。
そして、辺境伯はこうおっしゃっておられました。
――いずれ分かる、と」
「いずれ……いずれ、か。
面白くない答えだが、どのみち、今はそれを気にする余裕もない。
わしらがすべきことは、どこからかやって来た食糧をとどこおりなく行き渡らせ、民草を救うことのみ……というところで納得してやろう」
そこまで言い切り、山賊爵が立ち上がる。
そして、手にしたカップ麺のから容器を高々と掲げながら、こう言ったのだ。
「聞けい!
辺境伯領攻めは取りやめだ!
これより、我らは総力を挙げて辺境伯殿の大事業を支援するぞ!」
自らが、侵攻を目論んでいたことを隠そうともしない……。
その豪快にして、ある種実直な宣言に、謁見の間へ集った者たちは歓声を上げたのであった。




