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スオムス侯爵

 寒い……。

 なんとも寒い初夏であった。


 それは何も、例年に比べ肌を撫でる風が涼やかに過ぎるからそう感じられるわけではない。

 ロンバルド王国民の心胆を寒からしめるているのは、作物の……とりわけ麦の実りが、あまりに貧弱であるからだった。


 いや、実り少なくとも、収穫できる穂はまだいい……。

 王国の畑には、収穫期まで生き延びることができず、枯れ果てる麦の姿も散見されたのである。


 通年に比べ、その収穫量はおよそ四割から、五割程度……。

 とてもではないが、王国の台所を賄いきれる量ではない。

 これは国内に、種々様々な混乱を巻き起こした。


 ある領主は、民の飢えなど知ったことではないと例年通りの年貢を課し……。

 都市部においては、市民による食料の買いだめと、業者による売り惜しみで市場に大きな混乱が生まれる……。

 地方においては、自分たちの食い扶持(ぶち)を確保するため、街道を行く者を襲う賊へと変じる農民の姿も見られるという……。


 まさに……。

 まさに、地獄絵図である。


 農というものが国家の根幹であると、痛感させられる事例であると言えよう。


 かように混乱をきたしている昨今(さっこん)の王国政情であったが、実の所、国内でも明確に明暗は別れていた。

 すなわち……。

 ロンバルド王家直轄地や、ハーキン辺境伯領を始めとする統治者が事前に対策を講じていた土地……。

 対して、統治者が迫る冷害を察知することができず、または対応が後手に回りすぎた土地の二つにである。


 こうなると生まれてくるのが、各地における政治的駆け引きであった。

 いや、駆け引きと言えば聞こえはいいが、その実態は懇願(こんがん)であり――恫喝(どうかつ)である。


 金品などを差し出すことで、望む物が得られる状況ならばよかった。

 しかし、此度(こたび)に大陸を襲った冷害はあまりに度が過ぎており……かろうじて対策に成功した貴族家であろうとも、取り引きに応じられる食糧の蓄えは存在しなかったのである。


 今のロンバルド王国においては、例え黄金(こがね)の山を用意しようとも、それを麦と引き換えにすることはできないのだ。

 ゆえに、持たざる側の貴族家は持つ側の貴族家に懇願(こんがん)し、あるいは恫喝(どうかつ)する。


 いや……言葉をにごすのはやめよう。


 食糧を求める側の貴族家は、したためた書状や使者から語られる言葉の中に、武力行使をちらつかせていたのだ。

 いつの世であっても、外交政策の一形態には必ず戦争行為が含まれているということである。


 しかし、世も末であるのは……それが対貴族家のみならず、忠誠を尽くすべきロンバルド王家にすら向けられていることだ。

 王家は今、急速に力を失いつつあった。

 国を(おこ)し、これを(さか)えさせてきた歴史など、今はなんの役にも立たぬ。

 そんなものよりも、パン一つ、小麦一粒こそがこの時世で求められているものなのだ。


 長き平安の世を築き上げてきたロンバルド王国は、今、内乱寸前の緊張感に包まれていた……。




--




 ラフィン侯爵家といえば、王位継承権すら有する貴族の中の貴族であり、その所領は王家直轄領やハーキン辺境伯領にも匹敵する大領であった。

 侯爵領最大の特徴は、


 ――国内交通の要衝。


 ……であることだ。

 北はハーキン辺境伯領、東はロンバルド王家直轄領と隣接し、西には弱小貴族家が群立する中部地帯が存在する。

 そして、南にはこれも名だたる貴族家の所領が連なっているわけであるから、これはもう、ロンバルド王国を人体とみなした場合の心臓部に位置していると言って過言ではなかった。


 その領都ミサンは東西南北へ至る四つもの大街道が接続しており、隆盛ぶりたるや王都フィングのそれに勝るとも劣らない。

 市場では、国中から集った商人たちが丁々発止(ちょうちょうはっし)のやり取りを交わし合い……。

 防衛思想というものをはなから捨て去り、石垣一つも存在しないいくつもの出入り口からは、もはや数えることすらもバカらしくなるほど無数の人馬が血流のごとく行き交っていく……。

 それがラフィン侯爵領、領都ミサンの姿であるはずだった。


 それが今は、どうしたことか……。

 王国最大の人口密度を誇ると言われた目抜き通りは、すっかり活力を失っており……。

 あれだけ盛んに行き交っていた人馬の数は、目に見えて減ってしまっている……。


 代わりに増えたのは、ものものしく武装した者たちの姿だ。

 その多くは侯爵家に仕える騎士たちであったが、いかにも急ごしらえの武装に身を固めた、農民にしか思えぬ者たちの姿も目立つ。

 いや、農民にしか思えぬのではない……。

 実際に、彼らは徴兵された農民なのだ。


 徴兵された者の多くが、殺気立った目をしており……。

 生きるため、食うためならば殺生(せっしょう)もいとわぬ覚悟を感じさせたのである。




--




「辺境伯家から使者だと?」


 ラフィン侯爵家の当代当主、スオムスは臣下の言葉にいぶかしげな視線を向けた。

 領都ミサンの中央部に位置する居城、謁見の間である。

 室内は侯爵家の経済力を感じさせる豪華絢爛(ごうかけんらん)な装いであり、


 ――貴族というよりは山賊。


 ……と、称される三十男のスオムスが生来持つ迫力に、さらなるスゴ味を加えていた。


 しかも、スオムスは今……甲冑に身を固めた完全武装であり、今すぐにでも戦場へおもむきそうな雰囲気である。

 実際、侯爵家は現在、(いくさ)に向けた準備を進めている真っ最中であった。


 矛を向けるは――ハーキン辺境伯領。

 目的は、食糧の略奪である。


 かねてより、王家からも辺境伯家からも冷害の兆しありという書状は届いていたのだが、スオムスはこれを鼻で笑い、握り潰してきた。

 結果、麦の収穫期を迎えた今……侯爵領ではものの見事に食糧が枯渇しており、どうにかしてこれを調達しなければ、大量の餓死者が出る瀬戸際まで追い詰められていたのである。


 スオムスの結論は、迅速(じんそく)にして単純なものであった。

 その内容はといえば、


 ――自領にないならば、あるところから奪うしかあるまい。


 ……と、いうものである。

 親切にも警告してくれていた相手の言葉を無下(むげ)にした挙句、いざ窮地に陥れば襲いかかるというのは山賊爵の異名にふさわしい下劣な行為であるかもしれない。


 しかし、天の目を持たざる人の身で数か月先の飢饉(ききん)など予期しえるものではなく……。

 いかに王家や大貴族のものであろうと、信じるに足らぬ言葉へ従い、いたずらに麦の栽培を減らさせれば、民の抱く不満たるや絶大である。

 それを嫌った貴族当主は彼のみでなく、むしろ圧倒的に多数派であった。


 また、この危地で果断に内戦を決意したのも、飢えゆく領民を救うために講じた苦肉の策でしかない。

 要するにスオムスとは、自身が守るべきものをしっかと決め込んでいる男なのである。


 そのスオムスが、いぶかしげな眼差しを忠実な配下に向けたのは当然のことであった。

 ハーキン辺境伯家当主、ベルク・ハーキンといえば、ただならぬ耳目(じもく)の鋭さを誇る若者だ。

 自分が攻め込む準備をしていることなど、とうに察知しているにちがいない。


 それが、わざわざ使者を寄越(よこ)すとは……。


 山賊爵の異名で知られる男、スオムス・ラフィンはいついかなる時においても決断的な男だ。


「よかろう、通せ」


 彼は臣下に、すぐさまそう命じたのである。

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