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師の下で

 ――(みやこ)の魔術師というのは、こうまですさまじいものなのか。


 それが、村で唯一の牛飼いである中年男が抱いた感想であった。


「よし……これでもう大丈夫だ」


 苦しげに倒れこんでいた乳牛の前脚へ手をかざしていた青年が、立ち上がりながらそう告げる。

 見れば、おお……。

 ぬかるみに足を取られ骨折してしまった脚が、長年牛の世話をしてきた男の目から見ても万全の状態に戻っているではないか!


 牛飼いの息子に呼ばれ、慌てて駆けつけてきた青年が魔術を発現してから、十を数えるかどうかという早技である。

 青年が手をかざし、そこからなんとも言えぬ温かな光が溢れると、見る見る間に折れた骨がつながり、それに起因する傷も癒えたのだ。


「はは、俺なんかを舐めても美味くはないぞ?」


 今はもう乳牛も立ち上がり、自分を治してくれた救い主の顔を盛んに舐めていた。


 牛飼いが他に知る魔術師といえば、これは村はずれに住むビルク老だけである。

 しかし、以前、彼が子供のケガを魔術で治した際には、ちょっとした捻挫を治すのにたっぷり百以上は数えるくらいの時間を使っていたはずだ。

 それを考えれば、青年はまさしく、


 ――モノがちがう。


 ……と、いうことになるだろう。


「アスル兄ちゃん、ありがとう!」


「なあに、このくらいはお安い御用だ。

 たまには使わないと、魔術の腕も錆びついてしまうしな」


 牛飼いの息子がキラキラした眼差しを向けながら礼を言うと、青年――アスルはなんてこともないようにそう答えた。

 ……助けた牛が顔をべろんべろんに舐めていなければ、なかなか格好良い姿であったにちがいない。あ、甘噛みした。


「ほんに、ありがとうごぜえます。

 脚をやっちまった以上、もう楽にしてやるしかないと思っていたところだあ」


 慌てて牛を引き剥がしながら礼を告げると、アスルはハンカチで顔を拭きながら笑顔を作る。


「本当に、このくらいはなんてこともないさ。

 なんと言っても、この村は師が生まれ育った場所なのだから……」


 アスルはそう言いながら、ビルク老が住む村はずれの方を見やった。


 アスルは最近、ふらりと村はずれに住むビルク老を訪ね……。

 翌日に一旦、村を出たと思ったら、その日の夕暮れにはまた舞い戻ってきた。

 最初に来た時とはちがい、連れをともなわぬ単身である。


 何やら、年老いた師の姿に思うところがあったらしく……。

 しばらく、住み込みで世話することを願い出たらしい。


 ビルク老がこれを快諾(かいだく)して以来、アスルは村のため様々に働いていた。

 師であるビルク老と共に、子供らへ簡単な勉学を教え……。

 さらに師の使いとなり、村を見回っては皆が半信半疑で行っている救荒作物の栽培を手伝う……。


 のみならず、魔術を惜しみなく使い、時に土起こしを手伝い、時にケガ人を癒す……。

 この前、珍しくも獣型の魔物が村へ近寄って来た際には、これに単独で立ち向かい、稲妻を打ち放つとたちまち始末してしまったものだ。


 こうなると、村人が彼を見る目も自然と変わってくる。

 最初は、初日に連れていた供のうち、二人ばかりが顔を隠していたこともあり、どうにもうさん臭い青年という印象だったが……。

 話してみれば、なんとも人なつっこいところのある青年であり、様々なことに機転もきく。

 今となっては、勉学を教えてやってる子供らを中心になかなかの人気者であった。


 話に聞く同名の第三王子も、このくらい出来た人物であったなら、狂気王子(ルナティック)などと呼ばれ、どこぞでのたれ死ぬ羽目にはならなかったにちがいない。


「ん? あの辺の柵が少し痛んでいるようだな」


 牛たちを囲っている柵の一部を見とがめたアスルが、不備を指摘する。


「ああ、その内に直そうと思ってたんだけど、なかなか手が回らんでねえ」


「もし材料があるなら、修理を手伝おう。

 これも、乗りかかった船だ」


「ありゃあ、いいんかい?

 本当に、助かるよ」


「兄ちゃん! おれも手伝うよ!」


「おお、いい心がけだ!」


 アスルの言葉に、普段は手伝いを嫌がってばかりいる息子が自発的に助けを申し出た。


 本当に、よく出来た青年だ……。

 すっかり元気になった乳牛の頭を撫でてやりながら、牛飼いはますます感心を深くしたのである。




--




 あれからしばらく……。

 師の書状をベルクに届けた後、俺は単身で村に戻り逗留(とうりゅう)させて頂いていた。

 目的は、他でもない……。

 先生の身の回りを、世話するためである。


 今の俺には、他にすべきことがあるのは分かっている。

 いくら携帯端末を通じ、連絡を密にしているといっても、指揮官が現場を離れるなど言語道断であった。


 しかし、それを踏まえた上でなお……俺には死期が迫った先生の(もと)を離れることができなかったのだ。

 あのような性格の方であるから、務めてかくしゃくとした振る舞いをなさっておられるが……。

 指先の動き一つ、呼吸一つを取っても、その生命力が急激に衰えていることを感じられた。


 折しも、この大陸はかつてない規模の冷害を迎えつつあり……。

 通年ならば感じられてしかるべき春の陽気も今年はなく、村の農夫たちもいよいよ先生の(げん)が確かであったと感じ始めている。

 このような時、影響を受けるのは何も作物だけではない。

 人間の体もまた、本来得られるべきものが得られなければ不調をきたすものであり、それがますます先生を弱らせてしまっているのだ。


 俺の意思を汲み、こころよく世話を受け入れてくれた先生の(もと)で、人生初となる田舎村での暮らしを営む。

 このような時に思うことではないが、これは、


 ――刺激的。


 ……な、体験であった。


 知識として、農村での暮らしがどういうものかは知っている。

 しかし、実際にそれを体験してみれば大違いだ。


 畑の土作り……。

 水路や村を囲う柵の補修……。

 数は少ないが、牛などといった家畜の世話……。

 村の子供たちを相手取った教師役……。


 知識としては、既知。

 実体験としては、未知。

 頭の中で想像していた物事と実際に行うことの落差は、分厚い書物を読み解くような快感を俺に与えてくれたのだ。


 おかげで、少しばかりは民草の暮らしというものも理解できたかもしれない。

 あるいは、先生が俺の逗留(とうりゅう)を認めてくれたのは、この先に俺が進むべき道を見据えた上で、これを学ばせるためであるのかもしれなかった。


 そんな日々を、過ごす。

 体は弱っても、さすがはビルク先生であり、その聡明さにはいささかの衰えも見られない。

 先生の提案により、隠れ里で用意する食品のパッケージは絵図を多用したものとなり、俺が想像している以上に低かったらしい我が国の識字率にそぐうものとなった。


 先生から授かった知恵は、それだけに留まらない。

 俺が携帯端末を使う様を見て、師は驚くほど革命的な策を考え出し……。

 今現在、隠れ里では食糧生産に加えて、きたる日にそれを実行するための準備も並行して進めている。


 その日が、楽しみだ。

 発案者である先生が、それを見ることはかなわないが。


 春らしさをまったく感じられない今年の春であるが、(こよみ)の上ではそろそろ盛りを過ぎんという頃……。

 先生は、寝台から起き上がるだけの気力も湧かなくなり……。

 ついに、覚悟していた日が訪れた。

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