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ソアン

 果たして、茶会で茶の味を楽しまなくなったのはいつ頃からだろうか……。

 辺境伯領は領都ウロネスの屋敷で、使用人らに細かく茶会の準備を指図しながら、ソアンはふとそんなことを考えた。


 ウロネスの中でも選び抜かれた富裕層が住まうこの一帯には、築いた財を喧伝(けんでん)するかのように豪奢な屋敷が立ち並んでいるのだが、ソアンのそれは抜きん出で巨大であり、田舎から出てきた者が見たなら城と勘違いしそうなほどである。


 ――納屋(なや)衆筆頭。


 エルフ自治区から仕入れた貴重な木材をふんだんに使った屋敷も、腕利きの庭師や雇いの魔術師らの手によって美しく整えられた庭園も、彼の地位にふさわしい代物であると言えるだろう。


 本日は天気も良く、これからやって来る客を迎えての茶会には庭園を用いることとした。

 種々様々なバラの花が咲き誇る庭園で飲むお茶というものは、庶民からすれば究極の贅沢にも思えることだろう。


 しかし、ホストたるソアンからすれば、これはそうではない。

 彼にしてみれば、ちょっとした村一つを養えるほどの金を投じて作り上げた景観も、茶壷一つの量で奴隷一人が購入できる茶葉で入れるお茶も、全ては駆け引きの道具でしかないからだ。


 ――ありのまま、自然なままに生きる。


 ――これに勝る幸福は存在しないのではないかね。


 若き日に教えを請うた師、ビルクの言葉がふと脳裏をよぎる。

 ビルクと言えば、傾きかけた数多くの貴族家を経済的に再生させた賢人として知られる人物だ。

 と言っても、彼は何も特別なことをしたわけではない。


 ――入るを量りて出ずるを為す。


 ……彼が各貴族家に指導したのは、端的(たんてき)に言えばこのひと言に集約される。

 要するに、各家へ入ってくる収入をよくよく調べ上げ、その上で、支出を極限まで減らしたということだ。


 なんとも単純。

 しかし、それゆえに最も効果的。


 人間というものは存外、無駄な支出というものに自分では気づかぬか、あるいは知っていてなお抑えが効かぬものであり……。

 ビルクの徹底した指導により、各貴族家は余計な借金や徴税に踏み入ることなく、どうにか危機を乗り越えることができたのである。


 そんな日々を過ごしてきたからだろうか、ビルクという人物は必要以上の贅沢に忌避(きひ)感を示す……とはいかずとも、あまり喜びというものを感じぬ性分の人物であった。

 彼に言わせれば、それは、


 ――高い酒の味が分からぬわけではない。


 ――しかし、私はどんな酒でも美味く飲めるのだよ。


 ……と、いうことになるのだそうだ。


 いよいよ本日の客が来訪し、これを迎えるべく茶会の準備がされた庭園に向かいながら、ソアンは思う。


 ――先生、どうやら私は辺境伯領一の貧乏人に上り詰めたようです。


 ……と。

 なんとなれば、自分はこれから庶民が目を飛び出させそうな額の金を用いて、味の感じられぬ茶をすすろうとしているのだから……。




--




「そういえば、お主は若い頃、かの賢人ビルクから教えを授かったのだったな?」


 そんなわけであるから、本日の客――ベルク・ハーキン辺境伯の口から師ビルクの名が出て来た時には、なかなか驚いた。

 驚いた、が、それを顔に出すような真似はしない。

 気が付いてみれば、こんな立場にまでなってしまった身とはいえ……ソアンの双肩には数百人からなる雇い人たちの人生がかかっている。

 言葉一つ、表情の動きに至るまで完全に制御し操るのが、納屋(なや)衆筆頭たる者の交渉術なのだ。


「これはこれは……懐かしい名前が出てまいりましたな。

 いかにも……。

 若かりし日、父とのすれ違いから家を離れていた頃、先生の(もと)で様々なことを学びました。

 今日(こんにち)、このような茶会を開けるのも、その教えを守ってきたからこそと心得ております」


 綺麗に剃り上げられた頭を撫でつつ、薄い笑みを浮かべながらそう告げる。

 さて、辺境伯が本日ここへ参ったのは、なんてことのない上流階級同士の交流でしかなかったはずだが……。

 その中であえて、十年以上前に隠居した師の名を出したのはいかなる狙いか……。


 眼孔を研ぎ澄ませるような不作法はせず……。

 柔和な笑みの裏で様々な思いを巡らせながら、ソアンは若き大貴族の顔色をうかがった。


「あいにくと、この件に関しては腹の探り合いを楽しむつもりがなくてな……」


 しかし、王国一の美男子とも噂される辺境伯は、眉一つ動かさずに茶を一口すすり、そう言い切ったのである。


「まあ、これを読んでみることだ」


 そして辺境伯は、懐から一通の書状を取り出しテーブルに置いたのだ。


「これは……」


 庭園に咲き誇るバラの美しさに負けないよう白く染め上げられたテーブルには、一つ一つが屋敷を買えるほどの値がする白磁器が並べられており……。

 色あせた羊皮紙を用いた書状は、なんともこの場にそぐわしくない代物であった。


「――これは!?」


 しかし、それを手に取り……そこに書かれた文字を読んだソアンの目は、驚きに見開かれたのだ。

 これなる字を書いた者が誰か、見誤るソアンではない……。


 ――ビルク。


 間違いなくこれは、なつかしき恩師の肉筆であった。


 書状の内容は、時候のあいさつすらないごく簡素なものである。


 ――この国に、かつてない飢饉(ききん)の兆候あり。


 ――眼前におわす人物は、それに立ち向かわんとする者。


 ――もしまだ私を師と思ってくれるならば、万事、彼に協力すべし。


 書状と辺境伯の顔とを、何度も見比べた。

 ……飢饉(ききん)の兆候。

 それは押しも押されぬ大商人の一人として、ソアンも掴んでいた。


 漁師たちは、魚たちの変調を敏感に察知しており……。

 ベルク辺境伯自身もまた、各地に人を送っては事前の対策を講じているという……。

 しかし、それで己に何をしろというのだろうか……?


 ソアンは商人だ。

 為政者ではないし、ましてや農夫でもない。

 仮に飢饉(ききん)が本当に起こるとしても、できることなど限られていた。


「書状の内容、確かに確認いたしました……」


 金塊よりも重く感じるそれを懐にしまいながら、口を開く。


「師の願い、というならば……このソアン、利というものを捨て、一命にかけてもご助力いたしましょう。

 ですが、果たして私に何ができるのか……。

 思いつくことと言えば、あらかじめ食糧を買い占めるということくらいですが……」


 しかし、それを望む辺境伯ではあるまい。

 まだ、その地位に就いて長くはないベルクであるが、これまでの為政を見れば――良君。

 いたずらに市場を混乱させることは、しないだろう。


「何、そう難しいことではない……。

 お主には、備えていて欲しいのだ」


「備え、ですか?」


「時がきた時、必ず民を救うに足るだけの食糧は用意できる。

 しかし、それを行き渡らせる手段が私にはない。

 よって、その時に万事滞りなく食糧を人々へ届けられるよう、お主に備えていて欲しいのだ」


 そこで辺境伯は茶をひと口すすると、若獅子そのものといった鋭い眼差しをソアンに向けた。


「お主なら、できるはずだ。

 ……頼めるか?」


 詳しいことは何一つ口にしていない。

 どうにも、要領というものが掴めない話である。

 しかし、ソアンは即決した。


「先ほども申し上げた通り……一命にかけましても」


 なろうとして、なった地位ではある。

 なってみれば、思ったよりもつまらぬ地位ではある。

 しかし、手にしたこの力で師の願いをかなえられるならば、そう悪い生き方でもなかったに違いない。


 ソアンは商人だ。

 そして、真の商人というものは、利よりも大切なものを決して見逃さないものなのである。

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