忠告
「どうやら、我が体のせいで湿っぽい空気にしてしまったね……。
気がついてみれば、今日は懐かしい顔と会えてずいぶん酒と食事が進んでしまった。
私はこの辺りで寝かせてもらうので、君たちは好きにしなさい」
先生がそうおっしゃってるのに、のん気に酒宴を続けようなどと言い出す者はいない。
開封してしまったものを手早く胃に収め、残る全員も就寝する運びとなった。
話では確か、村長のはからいでそうしてくれたのだったか……。
先生宅の母屋は老人の一人暮らしとしてはやや大きなものであり、先生が下がった寝室を除いても俺用の部屋と女性陣が眠る部屋くらいは存在する。
おそらく、普段は書斎として使っているのだろう……。
使い古された机を中心に、いくらかの文物や、先生自身が記したと思われる書物に囲まれた部屋で旅用のマントにくるまりながら、しかし、俺は眠れずにいた。
寝台でなければ眠れぬ、などということはない。
何しろ、俺は五年もの長きに渡って『死の大地』を放浪してきたのだ。
あの頃に比べれば、この環境は天国と言って良い。
しかし、眠れぬ。
先生と共に酌み交わした缶ビールも、俺を眠りにいざなう助けとはなってくれぬようだ。
「このような時は、夜風にでも当たるに限る、か……」
なんとはなしに独り言をつぶやくと、魔術で光球を生み出し、マントを畳んで部屋を出る。
そのまま、他の面々を起こさぬよう気を使って外に出て、夜空を見上げてみた。
こういった時、星空がこの心をなぐさめてくれればと思うのだが……。
あいにくと、今宵は曇り空であり、星の光はおろか月明かりすらも満足には届かぬ。
「天は俺に、思索の手助けすらしてくれないのだな……」
苦笑いを浮かべながらそう愚痴る。
今夜は本当に漆黒の闇一色といった風情で、魔術の光球がなければ小用に立つことすらかなわないだろう。
「そういえば、『マミヤ』を造った文明の夜は、どんなだったんだろうな……」
天は気をきかせてくれなかったが、存外、思索の種というものは至る所に転がっているものだ。
せっかくなので、しばしそのことについて考えを巡らせるが……答えはすぐに出てしまった。
「きっと、人々が星の明かりになど目も向けぬような、眠らぬ街といった風情だったんだろうな。
俺が為政者であるならば、そのように整備する」
携帯端末にブラスター……。
キートンたち三人の巨大ロボット……。
『マミヤ』の技術はどれもこれもがすさまじいが、その中で、何が最も人の暮らしを一変させるかといえば……これは照明器具を置いて他にあるまい。
火事を起こす心配もなく……。
ごく手軽に、しかも電気とやらの力をほとんど使わず昼間のごとき光をもたらす。
あれを考え出した奴は、間違いなく歴史に名を残すほどの天才だったんだろうな……。
やはり、超古代の文明は偉大だ。
夜の暮らし方一つとっても、俺たち当代の人間が築いたそれとは隔絶の差がある。
そしてそれは、医の分野においても……。
――駄目だ。
――どうしても、そのことについて考えてしまう。
自分ごときの矮小な考えを振り払うべく、首を振るが……そんな俺の背に、声がかけられた。
「夜風に当たりながら、考え事かい……?」
「先生……」
この俺が、ここまで近づかれて気づかないとは……。
これは何も、足音を消しているとか気配を隠したとか、そういうことではない。
そもそもの生命力そのものが、感知できぬほど薄れてしまっているのだ。
「先生、お休みになられていたのでは?」
そんな気づきを振り払い、問いかける。
「なに、いささか酒を飲みすぎたせいかな……少しばかり、眠りが浅かったのだよ」
先生はそう言いながら、俺の隣に立った。
そしてふと、何かを思い出したかのように両手をかざし、その手から無数の光球を生み出す。
先生の――魔術。
しかし、俺のそれとはモノが違う。
生み出された光球は様々な大きさであり、完全な球体もあれば、見るからに歪な形のものも存在する。
さらに、一定の光量を保つものもあれば、ちかちかと明滅するものも存在した。
しかも、それらは不規則に夜空を漂い……ちょっとした星空のようにきらめき、俺たち二人を照らし出してくれるのだ。
「覚えているかな、この魔術?」
「忘れるわけがありませんとも。
思いあがっていた小僧に、魔術というものの奥深さを教えてくれた術でございます」
俺自身も、更なる光球を生み出してみる。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……。
合計で、十個ばかりは生み出せただろうか。
そしてそれを、夜空に解き放つが……先生の者と異なり、全てに決まった軌道を描かせることしかできなかった。
光量もいくつかは工夫を加えられたが、先生のように種々様々とはいかぬ。
「あれからさらに修行を積みましたが、まだまだ先生のようにはまいりませぬ。
かつても思いましたが、先生の魔術は一人で行使していながら、幾人もの術者が携わっていかのようです」
「ははは、そこまで持ち上げられるとこそばゆいねえ。
私は少しばかり、人より器用なだけだとも。
だが、そのおかげで、魔術も武術も簡単に修め、物事へ好奇心というものを持てずにいた少年へ、それを与えることができた……」
先生の言葉に、かつての己を思い出す。
思えば、ろくでもない子供であったと思う。
自分の習得したこと、身の回りにあるものだけが世界の全てで、世の広さを知らなかったのだ。
「ですが、この魔術に魅せられたことをきっかけに、探求の楽しさを少年は学びました。
そして、その心のままに秘蔵されていた古文書を解き明かし……」
「そのおかげで私は、この世のものとも思えぬほど美味しいお酒を楽しめたわけだ。
あちらへの、良い土産話になったよ」
カッカと笑う先生だが、俺は果たして、今どんな表情を浮かべているのだろうか……?
「そんな顔をするものではない。
私はね、幸せだよ。
心のおもむくまま生きただけなのに、気がつけば多くの人に教えを請われ、慕われ……。
とても、充実した人生を過ごすことができた。
これで終わりでいい。いや、これで終わるのが良いんだ」
「先生……」
「アスル君、君は幸せかい?」
「私が、ですか?」
何気ない、問いかけ……。
しかし、俺は心臓を貫かれたような思いで先生を見やった。
「君の考えは、分かる。
あれだけ強大な力を持つ遺物を発見した以上、国に混乱が巻き起こるは必定。
それを、少しでもマシな形で収めたいのだろう?
――例え、親兄弟のことごとくを敵に回そうとも」
「……はい」
先生の言葉へ、俺は素直にうなずく。
師はそっと目を閉じると、言葉を続けた。
「君の考えは、王族として……公人としてはおよそ正しい。
だが、一人の青年――アスル・ロンバルドとしてはどうかな?」
「どう、とは?」
「私たち国民の幸せは、確かに大切だろう。
しかし、君個人の幸せもそれに勝るとも劣らず大切な物なのだよ」
返事をすることも、うなずくこともできない。
俺は幼き子供がそうするように、黙りこくった。
「少し、夜風に当たりすぎたね。
今日はもう、戻ろう」
「……はい」
そう言いながら引き返す先生の背中へ、ついていくことしかできなかったのである。




