師の決断
「さて、今日ももう遅い……。
あるいは、君たちならば日帰りすることも可能なのかもしれないが……。
せっかくこんなところまで来たんだ。部屋は余っているから、一晩くらいゆっくりしておゆき」
先生のお言葉に甘え、俺たち一行はこの家で一泊させてもらうことにする。
「兄ちゃん、また何か面白いもの見せてくれよな!」
「ああ、もちろんだとも。
そうだな、いずれはよく弾んで頑丈なボールでもプレゼントしてあげよう」
「あんたは、調子に乗らないの!
その……ここで見たことは他言しませんし、弟にもよく言い含めておきますので」
「はは、心配はしてないさ」
ここで見せたものを決して他言しないよう、先生から固く約束させられたジャンとサシャの姉弟も自分たちの家へ帰って行く。
いい子たちだ……約束をたがえることは、決してあるまい。
「中途半端に食べたので、かえってお腹が減ってしまったね。
せっかくだ。君たちが持ってきてくれた物の試食を兼ねて、食事にしようじゃないか」
やはり、健啖さが変わっておられぬようなのにはほっとする。
そのお言葉に従い、缶詰めや袋菓子……それにビール好きな先生のために持参した缶ビールを用いての宴が開かれた。
「なんだよー! オレにも飲ませてくれたっていいだろー!?」
「ノー。
エンテ様はまだ体が出来上がっていません。
飲酒には早いと判断します」
俺や先生にならい、自分も飲もうとしていた缶ビールをイヴに取り上げられたエンテが、抗議の声を上げる。
「はっはっは!
エルフというのは年齢が読めぬ種族だと聞くが、どうやらエンテ君は見た目通りの年齢なのか。
まあ、いずれは大いに楽しめる日がくるとも。
今は、その日を楽しみにしておくことだね」
そんな二人の様子を見て、先生は愉快そうに笑いながら缶ビールに口をつけ、これが気に入ったらしい柿ピーをつまむ。
「ああ……それにしても、これは本当に美味しい。
この、種みたいな形をしたお菓子は何を使っているんだい?」
「それは、お米というのを用いた『煎餅』という菓子の一種です」
俺に代わって答えたのは、我が嫁ウルカである。
さっき茶化されたからというわけでもないだろうが……。
どうにも緊張した様子で、これも持参した茶葉で入れたお茶をすすっていた。
「コメ……コメ、か。
確か、遠きあなたの故国ではこれを主食にしていると聞いたことがある。
いや、この年まで生きた甲斐があった。
このお菓子もビールも、信じられぬ美味さだとも」
「まだまだ、『マミヤ』で知った美味は数多いです……。
先生にはぜひ長生きして頂いて、それらも味わってもらわなければ」
満足そうにビールを飲む先生へ、笑みを浮かべながらそう告げる。
そんな風に歓談する俺の表情を凍りつかせたのは、イヴがなんの気なしに放ったひと言だった。
「マスター、それは不可能であると判断します。
私の視覚情報から得た情報を『マミヤ』に送信し、解析した結果、ビルク様は死病に侵されていると判明しました。
人間の余命は正確な判断が難しいですが、そう長くないことは確実です」
俺も、ウルカも、エンテも……。
その言葉に、思わず黙りこくる。
誰も、あえてそのことについて指摘はしなかった。
しかし、イヴが『マミヤ』の大層な力を使って分析などせずとも、とうに気づいてはいたのだ。
……先生のお顔に、死相が漂っていることを。
「ははは、そうハッキリと言われるとやはりこたえるねえ」
静まり返ってしまった居間の中で、笑い声を上げる人物は一人……。
たった今、余命の短さを宣告されたビルク先生その人である。
「先生……その……。
イヴの診断は間違いないのですか……?」
俺たちの勘違いや、イヴの――ひいては『マミヤ』の誤診であってほしい。
そう、一縷の望みを託して尋ねる。
「間違いないとも。
もう、体が痛くてね。思うようには動かせないんだ」
しかし、先生はあっけらかんとした声で、俺の望みを絶ったのであった。
「魔――」
「――魔術でどうこうなる病気ではないとも。
アスル君、君の魔力のすさまじさはよく分かっているが、これは魔力の多寡でどうにかなるものではない。
言わば、人間という生物に許された限界なのだよ」
俺の言葉に先手を打って、先生がそう告げる。
その声も顔も、どこまでもおだやかなものであり……。
間違いなくこれは、死期というものを悟り、それに寄り添うことを選んだ人間のそれであった。
俺もウルカも、エンテでさえも……。
何も言えずに、沈黙が漂う。
それを打ち破ったのは、そうなる原因を作った人物――イヴであった。
「ですが、ビルク様。
マスターやエンテ様の魔術で治すことはできずとも、『マミヤ』の施設でならば治療することが可能です」
「!?
本当なのか!? イヴ!?」
その言葉に驚き、思わずイヴの肩を揺さぶる。
「おおお落ち着いてくださいマスター。
直接起こし頂くか、あるいは『マミヤ』がこの村へ来る必要はありますが、確実に治療可能だと診断が出ています」
「そうか……そうかっ!」
イヴの肩から手を放し、どっかりと椅子に座り込む。
なんというか、寿命が十年は縮んだ思いだ。
「そういえば、ケガとか病気とかを治す設備に関しては詳しく勉強してなかったもんな」
「アスル様自身が強力な治癒魔術を使えますし、エンテ様たちエルフの皆さんが来てからはさらにその人数が増えましたから……。
作業中にケガ人が出ても、その場で対処できてしまっていましたものね」
エンテとウルカがそう話すが、いやはやこれは俺の勉強不足であった。
大抵のそれは魔術でどうにかなってしまう以上、喫緊の課題は食糧生産や各種資源の採掘だったからな。
ゆえに、後回しとしてしまっていたのだ。
「お聞きになりましたか!? 先生!
ああ、そのお体でお越しいただくわけにはいきませんので、このアスル、万難を排して『マミヤ』をこの地へ寄越し、必ずやそのお体を治してご覧に入れます!」
しかし、興奮しまくしたてる俺に先生は軽く手をかざし、制止したのである。
「それには、およばない……。
病気と言ってもね、私の年を考えればこれは寿命だ。
私は、これで終わる。それでいいと思っている」
「――先生!?
何をおっしゃるのです!?」
思わず立ち上がり、両手を机に突く。
どう考えても、大恩ある師に対する態度ではない。
しかし、俺には理解できないのだ。
助かる道があるのに……今少し生き長らえられるというのに……。
それを選ばず、あえて死を選択するということが。
「アスル君……。
君が手にした『マミヤ』なる遺物の力は、確かに恐るべきものだ。
それは、さっきの板で見たものやここに並べられた品々を見ても分かる」
先生が、机の上に並べられた加工食品を眺めながらそう話す。
「しかし、ね……。
それで、全てを……命に至るまで思い通りにしようというのは、傲慢ではないかね?」
「そんな……っ!?」
「全てが思い通りになるわけではない……。
だから、遺物を生み出した文明は滅んだし、先人たちはそれを捨て去ることを選んだ。
アスル君、覚えておきたまえ。
どれだけの力を得ても、全てが思い通りになるわけではないし、また、してはならないのだ」
「う……く……」
先生の、眼差し。
例えば、下の兄上であるケイラー・ロンバルドや、あるいはオーガのように武威を宿した力強いものではない。
いかにも生命力が尽きつつある、弱弱しい老爺の視線だ。
「……わかり、ました」
しかし、俺はそれに、これ以上たてつくことができなかった。




