ビルク
俺がそうやって頭を下げていると……。
バタバタと足音を響かせながら、サシャたち姉弟やウルカたちが駆けつけてきたようだった。
――一体、何事か!?
……そう思ったのだろう。
「おやおや、これは……」
果たして、先生がどのような表情を浮かべているのか……。
平伏し、地面を眺めている俺にはうかがいようもない。
しかし、その声音には昔と同じ……未知に対する好奇心が宿っているように感じられた。
「サシャ、ジャン……。
お前たちが、この人たちを案内してくれたのかえ?」
「うん! そうだよ!」
「先生に、母が焼いたパイを届けに行く途中でしたので……」
「おお! そうか! そうか!」
村の姉弟にかける先生の言葉は、まるで実の孫へ話しかけているかのようであり、これに関しては俺の知らぬ側面である。
「ともあれ、だ……。
アスル君、お連れのお嬢さん方……。
こんなジジイの所へ、ようく訪ねて来てくれたねえ。
ささ、頭をお上げなさい。
君は気にしているようだが、知っての通り私は便りの一つも出さぬ偏屈者だからね。
言わば、自ら人を遠ざける生き方だ。
君はその意を汲んで距離を置いていただけなのだから、何も気にする必要はないのだよ。
どうかな? どうだい?」
「……ははっ!」
そうまで言われてしまっては、是非もない。
俺はようやくにも顔を上げ、その場に立ち上がった。
膝に付いた土をはらうこともせずそうすると、否が応でも先生を見下ろす形となってしまい……以前よりもずいぶんと低い位置にその目線があるという現実を突きつけられてしまう。
「そんな顔をするものじゃないさ。
そうだ、サシャが持ってきてくれたパイを皆で食べようではないか?
美味しいものは、みんなで分かち合うものだからね。
彼女の母が作ってくれる玉ねぎのパイは、これはもう王宮の料理にも負けない代物だよ。
とはいえ、今年は材料の玉ねぎがいくぶんか味の劣るものになってしまっているのだが……」
そこまで言うと、柔和な老人そのものといった先生の眼差しが鋭く細められる。
「察するに、君がこうして訪ねてきたのは、そのこと……。
この国、いや、もしかしたならば大陸全土を襲いつつある危機についてではないのかな?」
「……全て、ご推察の通りでございます」
「そうか! そうか!
いやはや、私の見識もまだまだ捨てたものではないな!」
そう言いながら、先生がカラカラと笑う。
「それでは、私が今住んでいる家に行こうじゃないか。
サシャ、ジャン、お前たちもおいで?
もらい物のミルクがあるから、温めてあげようじゃないか」
「うん! 行く行く!」
「それでは、お言葉に甘えます」
歩き出す先生が、万が一転んでしまってもすぐに支えられるようその傍らへ位置取る。
俺たち一行は、先生の歩みに合わせてゆっくりと、今お住まいになられている家へ向かったのであった。
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「ジジイの一人暮らしではあるが、たまーに子供らへ読み書きなどを教えてやっていてね。
それで、村長が気を使って、子供たちが入れるくらい大きな家を建ててくれたのだよ」
なるほど、先生のお言葉通り……。
案内されて到着した家は、村で見かけた他の家屋よりいくらか大きなものであった。
とりわけ目を引くのは、母屋へ併設されている平屋であり……。
雨戸が開かれた内部には長机がいくつか並べられていて、おそらくはここで子供らに勉学を教えているのだろうと察せられる。
「学問は、身分によらずあらゆる者の身を立てる可能性となる……。
したがって、これを修めた者は積極的に他の者へ広げていかねばならない……。
さすれば、人々の暮らしは自然とよくなっていくことであろう……。
今でも、そのお考えを実践なさっておられるのですね」
「ははは、そう大したことでもないよ。
本当のことを言えば、ただ私がさびしいだけさ。
ひねくれ者でも、孤独は感じるものだからね」
そんな会話を交わしながら、母屋の中へと立ち入っていく。
これも子供たちのためだろうか……それなりの大きさがある机や、いくつかの椅子が配置された居間へ通されると、サシャが持参した木カゴを机に置いた。
「さて……それでは、支度をするとしようかね」
すかさず俺が引き出した椅子に腰かけながらそう言うと、先生が軽く目をつむりながら片手で印を結ぶ。
魔術を、発現させておられるのだ。
どのような術であるかは、すぐに分かった。
まるで、見えざる従僕が運んできたかのように……。
奥の部屋からミルク缶や食器類がひとりでに浮遊してくると、机の上にお茶会――いや、ミルク会を開くべく布陣したのである。
まるで、『マミヤ』のドローンをそのまま食器類に置き換えたかのごとき光景だ。
これを見て、ちゃちな魔術だと思う者は試しに虚空へ向け、右手で三角形を描き、左手で四角形を描いてみるがいい。
先生が行使しておられるのは、その何十倍も高度な術法なのである。
しかも、見るがいい……。
木カゴにかぶせられていた布がひとりでに外れ、中身の玉ねぎパイが浮かび上がると、やはり浮遊したナイフがこれを均等に切り分けていく……。
切り分けられたパイが各々の皿へ乗せられていくと、ミルク缶からカップに中身が注がれていくのだが……これはいつの間にか、適温へと温められているのだ。
「先生、昔と変わらぬ見事なお手際です」
「ははは、君はいつもそう言って褒めてくれるねえ。
でもね。こんなものは、ものぐさな魔術師が面倒くさがってるに過ぎないのだよ」
謙遜なさる先生であったが、俺以外にも術のすごさを理解し、これを賞賛する者がいた。
「いやいや、スッゲーって!
これ、こういう風にやるのか……?
ふっ……! 難しいな……っ!」
言いつけ通り、フードをかぶったままのエンテである。
彼女は術を解かれ、机に配置された食器類に向けて同種の魔術を発現し、これを配置換えすべく奮闘しているのだが……。
なかなかこれが上手くいかず、結局、パイが乗った皿を二つばかり移動させるのが精一杯であった。
うん、これなら手でやった方が早いな。
まあ、俺がやっても二つが限界なので、偉そうなことは言えないが。
「はぁー、あんた、魔術が使えるのか!?」
「ああ、当然だろ?
なんたってオレはエル――もがっ!?」
感心するジャン少年へあっさり素性をばらしそうになったエンテの口を、イヴとウルカが慌ててふさぐ。
「はっはっは……」
先生はそんな光景を見て、おかしそうに笑われた。
「アスル君。
ここにいるサシャもジャンも、心根がまっすぐな信頼できる子たちだ。
心配は不要なので、君の素性を明かすといい。
それから、そちらのお嬢さん方のことを紹介してくれないかな?
どうやら、いずれも人間ではないようだが……」
「先生が、そうおっしゃられるのならば……」
この方にそうまで言われては、反論などあるはずもない。
「みんな、フードを外して席に着こう。
顔を隠したままというのも、せっかくのパイに失礼だしな」
俺の言葉を受けて、ウルカとエンテがフードを外し……。
今さらながら、自己紹介が始まったのである。




