師の村へ
ロンバルド王国において、都会と言えばこれは、王国東部地域を示す言葉となる。
これは別に、複雑な地政学的要因が存在するわけではない。
ごく単純に、王都フィングが王国東部の海岸沿いに存在するからだ。
フィングもまた、ハーキン辺境伯領の領都ウロネスと同様……いや、それ以上に巨大な港湾部を有する交易都市であり……。
ロンバルド王国東部は、王都フィングを中心に一大交易圏を形成し、王国経済の中心となっているのである。
では逆に、田舎と言えばどこになるのかだが……これは、王国中央部ということになるだろう。
他国と隣接しているわけでもなく……。
何か、特筆すべき資源が存在するわけでもない……。
地の果てまで続くかのように広大かつ、肥沃な平原地帯が広がり、住民のほぼ全てが農業に従事している……。
また、これを治めるべき貴族も、男爵などの弱小貴族家が身を寄せ合うように群れ集まっていた。
穀倉地帯としては極めて重要な地域であるものの、さりとて、小麦が金貨や軍備になるというものでもなく……。
発展というものから、なかば取り残され、ややもすれば建国王ザギ・ロンバルドの時代から変わらぬ景観が広がっているのではないかと思わされる……。
それが、ロンバルド王国中央平原地帯なのだ。
我が師――ビルク先生の生まれ故郷は、そんな地域における典型的な農村であった。
上空から甲虫にも似た飛行機械――ブルームに乗って全景を見たが、はてさて、人口はどれくらいに上るだろうか……。
さすがに、百を切るということはあるまい。
しかして、五百には達しているのか、どうか……。
村はなだらかな平原地帯に位置しており、周囲を魔物対策の木柵で囲い込んだ典型的な小村の作りをしている。
柵の内側には、井戸水を水源とする畑がいくつも存在しており、それと隣接するように住民の物だろう家屋が点在していた。
各家屋の作りも大きさも、似たり寄ったりで個性というものはうかがえず……。
唯一、目を引くのは、人の暮らしには欠かせぬ醸造所くらいである。
当然、宿などというしゃれたものは存在せず……。
村の入口から街道へ向けて続く道も、土肌が見えるほど踏み固めきれてはおらず、獣道の親戚がごとき様相を呈していた。
国の営み……。
あるいは、世のうつろい……。
そういった世俗の事柄全てから、切り離されたような印象を受ける……。
そんな、ありふれた農村。
なるほど、先生は……あのお方はこういった地で生を受け、そして育ったのか……!
連れの皆と共に、村からだいぶ離れた場所へ甲虫型飛翔機で降り立ち、これを持参した迷彩網や草花で隠し……。
俺の胸は、ありきたりな小村を見た結果とは思えぬくらいに高鳴っていた。
背負った背嚢には土産の品をぎしりと詰め込んでいるが、その重さも感じられぬくらいである。
「なあなあ? そのビルクって人は、そんなにすごい爺さんなのか?」
村へ至るまでの道すがら……。
好奇心から志願してきたエンテが、かぶったフードを指でつまみながら俺に問いかけてきた。
「先生をつけろ! 先生を……!
それと、先生の前ではともかく、村人の前では絶対にそのフードを外すなよ」
隠れ里から出発する前に口を酸っぱくして伝えた注意事項を、またしても口にする。
「ですが、大丈夫でしょうか……?
エンテ様なら、まだ旅に出た変わり者で通じるかもしれませんが……。
獣人であるわたしが、こうして出歩くなんて……」
不安そうにしながらフードをぎゅっと握ったのは、我が嫁ウルカだ。
「いささかリスクが高すぎると、懸念します」
人里に連れてくる際の常として、腰まで届く髪を黒一色に偽装させているイヴが追従した。
出会った時と同じく、男児然とした装いにフードを被ったエンテ……。
そして、フードの有無というちがいこそあるものの、共にベルク行きつけの店で購入した王国式装束を身に着けたウルカとイヴ……。
この三人が、今回の同行者であった。
さすがに、甲虫型飛翔機一台で四ケツというわけにもいかず、俺&ウルカ、エンテ&イヴで二台使用した形である。
エンテの奴……いつの間に練習したのか、俺よりも操縦が上手くなってるようなのには驚かされたな。
さておき、獣道の親戚みたいな道で先頭を歩んでいた俺は、振り向きながら安心させるようにウルカへほほえんだ。
「心配する気持ちは分かるが、今回は俺のわがままを受け入れて欲しい。
先生は、俺が第二の父とも仰いだお方……。
ぜひ、君という嫁を得たことを報告したいのだ。
何かあれば、俺が必ずなんとかするから。な?」
「アスル様が、そうおっしゃるのでしたら……」
照れてくれたのだろうか……。
フードで顔を隠すウルカの様子を見ながら、エンテが「ちぇー」とつぶやく。
「オレに対してと、ずいぶん態度がちがうじゃんか?」
「お前は、『ウルカが行くならいいじゃん!』と言って無理に着いて来ただけだろうが?」
「でもさ、俺がもう一台操縦しなきゃイヴが置き去りだぜ?」
「私も、一通りの操縦は可能です」
「だ、そうだ」
「むー……」
面白くなさそうに口を尖らせるエンテに苦笑いしながら、さてと続ける。
「さておき、先生がどんな方かについてだったな。
あの方について事細かく説明すれば、一晩あっても足らないが……。
簡潔に言うと、魔術師であり、学者であり、思想家であり……倹約家ということになる」
「倹約家、というのは職業なのですか?」
「さもなくば、財政の立て直し屋だな」
イヴの質問に、俺は遠き先生の故郷を見据えながら話す。
「この村で生まれた先生は、早くから魔術の素養を見せ、地元の男爵家に奉公として招かれた。
そこで、誰よりもよく働いた先生は当主に気に入られ、様々な本を与えられたわけだな」
ご自分のことはあまり語らない方なので、これらは自分で調べた来歴である。
……件の男爵家当主さん、第三王子直々に質問攻めして悪いことしたな。
「そんなある日、この地方一帯で魔物の大発生が起こった」
「こないだみたいなのか!?」
「さすがに、あそこまでではない……。
が、この辺りを治める弱小貴族家たちが、財政的に破綻する程度の規模ではあった」
基本的に、我が国の貴族は独立自尊の気風が強い。
それは、時に利として働くが……時に、そのような問題を引き起こすのだ。
「そこで立ち上がったのが、先生だ。
先生は各貴族家を指導し、無駄な出費を極限まで切り詰めさせてな……。
なんとか、立て直しに成功したんだ」
「地位のある者が、ひとたび台所事情を悪化させれば、それを改善するのは至難の業……。
誠、優れたお方なんですね?」
「さすがはウルカだ。よく分かっている」
嫁のよいしょを素直に受け入れ、俺は先生の簡単な来歴を締めくくりに入る。
「その過程でも、先生は学問を治めることに熱意を燃やし、やがては独自の思想を築くに至った。
それが父上に認められ、俺たち王子の教師役として城に招へいされたわけだ」
軽く目を閉じ、かつての日々を思い返す。
――仁。
――義。
――礼。
――信。
今の俺を作ってくれたのは、先生の教えを置いて他にない。
……実践できてるとは、到底思えないけどな。
「さあ! 行こう!
後のことは、直接会ってみれば分かるさ!」
そう力強く声をかけ、意気揚々と歩む。
懐かしき師が住まう村は、もう、すぐそこだ。




