傾国の予兆
不意にからりとした風が吹きつけ、俺の髪を撫でた。
隠れ里として開拓した一帯は別であるが、依然、『死の大地』の土は毎度おなじみナノマシンの働きによって熱を持ち続けており……。
その地熱によって温められた風は、暦の上ではまだ初春――肌寒さを感じるはずの季節であることを忘れさせる。
「ん……?」
――ガサリ。
……と。
足元で小さな気配が動いたのを感じ取って、そちらを見やった。
地面にはあの日、キートンが植えた丈の低い草が敷き詰められたように生い茂っており……そこに隠れている一匹の虫と目が合う。
十数センチほどの……ムカデと甲虫の特質を併せ持ったかのような虫……。
『死の大地』に生くる、固有種である。
俺の視線を複眼で受け止めながら、虫はぎょっとしたように動きを止めていたが……。
慌てて穴を掘り出すと、その中へ逃げ込んでしまった。
そうした理由は、生来の臆病さか……。
それとも……。
「もう食べたりしないよ」
苦笑を浮かべながら、もう言葉が届かないほど深くへ潜り込んでいるであろう虫に呼びかける。
今となっては、悪い夢か何かのようだが……。
死の大地を放浪していた頃は、見つけるなり捕獲し食していたものだ。
『マミヤ』の設備も使って調べた結果、分かったのだが……。
この虫は地下深く――かつてキートンが構築したという地下水脈に至るまで穴を掘り、そこから水分やコケなどの食料を得ているらしい。
たかが虫が、そこまでのことを成し遂げることには驚きを通り越して感動すら覚えてしまう。
だが、それこそが生命の神秘ということだろう。
もしかしたならば、魔物がそうであるように……ちょっとした魔力を発現しているのかもしれない。
ある意味、そんじょそこらの人間より馴染みを感じる存在に思いを馳せながら、隠れ里を練り歩く。
別段、何か目的があってそうしているわけではない。
ただ、なんとなく見て回りたくなっただけだ。
もう、虫などを食料と見なさなくてすむくらい様々な設備が整った、この隠れ里を……。
やはり、最初に見るべきはあそこだろう……。
「むう……アスルよ? 何か用事か?」
「ヒャア! 人手が必要なら、いつでも言ってくだせえ!」
奴隷たちと、特に任命したわけでもないがそれを束ねるオーガが、タブレットを手にしながらそう声をかけてくる。
隠れ里の中心地にして、水源たる泉……。
そこへ寄り添うように設けられた田園地帯で、彼らは今日もまた、様々な超技術を駆使した農業に励んでいた。
どうやら、今育てているのは……。
「いや、散歩するついでに寄っただけだ。
今は玉ねぎを育てているのか?」
「うむ、『マミヤ』の種を使えば季節を問わず収穫可能だが、やはり、旬というものは大切にすべきものよ……」
「そうか……いや、そうだな」
俺を見下ろしながら告げるオーガに、軽く同意を示す。
玉ねぎか……確か、先生も春先の玉ねぎを好んでいらしたな。
「今日はウルカに頼んで、それを薄切りにしたやつを刺身みたくして食べよう。
それじゃ、頼んだぞ」
「うむ」
――ヒャッハー!
それぞれなりの返事で請け負ってくれる彼女らに別れを告げ、また別の場所へおもむく。
今度向かうのは、田園地帯へ併設するように設けられた各種の工場だ。
――冷凍食品工場。
――缶詰工場。
――醸造所。
――醤油・味噌工場。
――肥料工場。
……隠れ里そのものが小規模なこともあり、それぞれは大きめの一般家屋くらいの大きさしかないが、生産能力に関しては瞠目すべきものがある。
『マミヤ』内部に存在したオートメーション設備を、ごく小規模とはいえ再現したからこそだろう。
これら工場を作るための資源は、キートンやトクが造り上げた採掘基地からもたらされたものだ。
これまでは、先人の遺した遺産を食いつぶす一方だったが……。
どうやら、少しずつ自分たち自身でも歩み始められている……。
これらの工場を見ると、その実感が湧いてくる。
やはり、少量でも収益が発生することは大事だな。俺の精神衛生的に。
これらの施設を取り仕切っているのは、バンホーたち七人のサムライ衆である。
初期は農作業に従事していた彼らであるが、奴隷チームが加わって以降はその作業を引き継がせ、今では故郷の味を再現すべく食品加工に取り組んでいるのだ。
まあ、バンホーいわく……。
「ここの設備を使えば短期間でかつ、美味しく作れるのは良いのですが……。
美味しすぎて、かつて獣人国で食していたのとはだいぶんとちがう味になってしまいますな」
とのことである。
贅沢な悩み、といったところだろう。
邪魔しないように挨拶を済ませた後、次に向かったのは――大食堂だ。
この施設に関して、説明は無用であろう。
その名の通り、隠れ里全員の食事を用意する施設である。
別段、『マミヤ』の中で食事をしてもいいのだが、そこは各種加工施設を外に設けたのと同じ理由だ。
『マミヤ』の力抜きで、自給自足できる体制を作り上げたいからな。
この隠れ里は将来を見据えた実験場でもあり、いずれはロンバルド王国全土にこういった施設を波及させていきたいのである。
まあ、いずれ、だ……。
今すぐどうこうというつもりはない。
何事においても、足場固めは大切なのだから……。
「あ、アスル様!」
「なんだ、アスル? 小腹でも空いたのか?」
厨房でエルフの娘衆と共に仕込みへ従事している我が嫁と、小腹が減ったのは自分自身なのだろう……余ったご飯で作ったらしいおにぎりをぱくつくエンテが声をかけてきた。
「腹が減ったのはエンテの方だろう?
トラクターの整備はどんな具合だ?」
「んあ、まだ半分くらいかな」
「ほう、まだ四分の一くらいだと思っていたぞ」
「もう、だいぶ慣れてきたからな!
今じゃ、誰よりも『マミヤ』の機械に詳しい自信があるぜ!」
「おう、そいつは頼もしいぞ」
平たい胸をどんと叩くエンテに笑みを向けつつ、ウルカを見やる。
「オーガたちが春採れの玉ねぎを作ってくれてるみたいなんでな。
すまないが、今晩それを刺身みたいにして出してくれないか?」
「ええ、任せておいてください!」
エンテよりはいくぶんか育っている胸を、やはりどんと叩いてくれた我が嫁と笑みを交わしつつ、その場を後にした。
こういう時、夫婦なんだから口づけの一つもした方がいいんだろうか……?
いや、ちょっと……照れるな。
そんなことを考えながら、ソーラーパネルが立ち並ぶ一帯へ足を運ぶ。
太陽光を電力に変えるこの施設は、隠れ里の生命線そのものだ。
こんな黒い板の群れが、水車よりも風車よりもはるかに強大な力を生み出すんだから……科学とやらは面白い。
「マスター、ここにいらっしゃいましたか」
「イヴ、何かあったのか?」
この娘は、たまに気配も何もなく近寄って来るよな……。
余人相手ならともかく、俺相手にそれができるのだから大したものだ。
様々な色合いに髪を変化させる腹心から声をかけられ、振り返る。
「宇宙で情報収集していたカミヤから、気になるデータが送信されてきました。
こちらをご覧ください」
いつも通り無表情に差し出されたタブレットを受け取り、画面を見やった。
「これは……!?」
そしてそこに映された情報の重大さに、俺はゆるんでいた顔を引き締めたのだ。
「どうやら、のんびりしていられる時間は終わったようだな……」
自分へ言い聞かせるように、そうつぶやく。
ロンバルド王国に……我が祖国に、俺が生まれて以来の危機が訪れようとしている……。
これを救えるのは、『マミヤ』の力を手にした俺だけだ。




