二人の兄王子
王都フィングの中央部にて、街並み全てを見渡すかのようにそびえ立つロンバルド城……。
まさしく王家の権威を象徴せし一大建築物であるが、反面、総石造りであることも相まり、居住性はお世辞にも高いとは言えない。
「『もしも自分が城の建築を命じられたならば、もっと住みやすい設計にする』とお前は言っていたな……。
ふふ、懐かしいことだ」
城内に存在する私室にて、壁にかけられた一枚の肖像画を見やりながら、ロンバルド王家第二王子ケイラーは温められたワインを口にしていた。
暦の上では初春と言って良いが、今年の冬はいつになく寒い……。
まして、隙間風が差し込む石造りの城にあってはなおのことである。
国内でも一、二を争う剣の達人として知られるケイラーと言えど、寒さに勝てるものではなく……。
室内だというのに分厚い上着を羽織り、こうして温かな酒で体の内から熱を取り込むというのが、最近は夜の日課となっていた。
「アスル……世間の人間はお前を死んだものとして扱っているが、俺はそんな与太話を信じぬ。
お前のことだ……いかに『死の大地』と言えど、どうにかして生き残っているに違いあるまい。
……早く戻って来い。その時には、俺が秘蔵の酒を開けてやろうぞ」
壁の肖像画に対し、あたかも実在する人物へそうするように語りかけられる。
肖像画に描かれているのは、十歳を迎えた頃の弟――アスル・ロンバルドであり……。
今となってはもう、何もかもがなつかしかった。
物言わぬ肖像画を友とし、ちびちびとやっていたその時である。
室内を照らす燭台の火が、突然入り込んできた風に揺らいだ。
とはいえ、それに驚くケイラーではない。
この程度の酒で、酔いが回るロンバルドの男ではなく……。
この部屋に向け歩んで来る親族の気配を、大剣士の感覚は分厚い石壁を通して正確に捉えていた。
「ケイラー、邪魔するぞ」
「兄上、コルナと一緒に寝てやらなくていいのか?」
ぶしつけに扉を開き入室してきたのは、ケイラーの兄であるロンバルド王家第一王子――カール・ロンバルドその人である。
「我が娘も、もう九歳だ……。
いい加減、親と一緒に寝てばかりでは、な……」
「そう言って、さびしいのは兄上の方であろうに」
「ぬかせ」
最近、年輪を増して父にも似たスゴ味を感じることが多くなってきた兄であるが……。
娘のこととなると、市井の父親となんら変わらぬ。
久しぶりに見るほがらかな笑顔を作りながら、カールは対面の椅子に腰かけた。
「それで、大事な娘との時間をふいにしてまで、こんな夜中になんの用だ?」
「うむ……」
単刀直入に問いかけた弟の言葉に、戴冠の日も近いと噂される第一王子は笑みを消し去る。
そして、打って変わって苦い顔を作りながら、懐から一通の手紙を取り出したのだ。
「先ほど、先生から手紙が届いてな……」
「先生……?
ビルク先生か!? そうか、息災であらせられたか……」
二人が話題に出したビルクとは、王家の三王子を教育した賢人として知られる人物であり……。
特に出奔した第三王子アスルは、魔術・学問共に彼の分身と言って良いほど徹底した教育を施されていた。
「アスルの教育を終えた後は、余生を故郷にて過ごすと言ったきり便りの一つもなかったが……。
それで、先生はなんと?」
「それが、な……」
言い淀む兄から手紙を差し出され、自らの目で直接目を通す。
だが……、
「なんてことはない、内容だと思うが」
書かれていた内容といえば、ごくごくありふれた隠居老人の世間話であった。
時候のあいさつに始まり……。
もはや寄る辺なき身の上ではあるが、村の子供らには慕われ、読み書きを教えてやったりなどしていること……。
先日、今が旬の新玉ねぎを食べたが、思い描いた味とやや異なったこと……。
これから村では、キビを植えようと思っていること……。
そのようなことが、書かれている。
「あのひねくれ者な先生が、わざわざ人を使い、急ぎでよこした手紙だぞ?
なんてことのない内容なわけ、あるまい」
「まあ、そうだよなあ……」
手紙を返し、あごに手をやりながら考え込む。
が、武辺者のケイラーであり、手紙に書かれた内容の裏を汲み取ることはかなわなかった。
「相変わらず、直接的な物言いを好かぬお方だ。
兄上はもう、先生の真意をはかれているのだろう?
もったいぶらずに教えてくれ」
「うむ……」
手紙を懐にしまったカールが、深刻な表情を浮かべながらこれを解説し始める。
「大事なのは、玉ねぎの味が思っていたのとちがったこと……。
そして、村をあげてキビを植えようとしているということだ」
「キビか……そう言えば、食ったことはないな。
我ながら、恵まれた生まれなものだ」
少しぬるくなったワインを口に含みながら、名は知れども実態は知らぬ作物について思いをはせた。
王族たる者がいちいち考えることでもないが、こうして一杯の酒を得ることも庶民には大変なのであろうか……。
「我らが雑穀を食むようであれば、国の終わりだ。
さておき、キビというものはな。乾燥に強く痩せ地でも育ちやすい。
そして、今時分にまく春まきの種は寒さに強い……」
そこまで語った兄が、ずいと身を乗り出す。
「ケイラーよ……。
お前、さっきから温めたワインを口にしているが、このところは毎晩だそうだな?」
「む、そうだが……それがどうした?」
「いや、文句をつけたいわけではない……。
何しろ、このところはずいぶんと冷え込むのでな……」
そこまで言われ、さすがのケイラーもハッとする。
そして、手にした杯を見やった。
「先生は、玉ねぎの味が変調していることから、王国に冷害が訪れつつあることを見抜いたのだ。
ゆえに、寒さに強いキビの作付けを村の者らへ指示した。
同時に、予期した未来について警告すべくこの手紙を出したのだろう……」
「飢饉になる、というのか……」
弟とちがい、ケイラーには歴史書を読み込むような趣味はない。
しかし、国の礎が農業であることはよくよく承知していた。
それが今、危機を迎えようとしている……。
偏屈ではあれど聡明な師ビルクが警告しているのだ。間違いあるまい。
「我らも打てるだけの手を、打たねばなるまい……。
だが……」
「諸侯が、素直に言うことを聞くか、か……」
ロンバルド王国において、各地を治める貴族たちは独立独歩の気風が強い。
最高権力が王家であることは疑いないが、果たして、隠居した老人の言葉を根拠とする言にどこまで従うか……。
それは、未知数であった。
「こんな時、もし、アスルの言っていたような遺物があれば……」
五年前の出来事を思い出しながら、壁の肖像画を見やる。
そんな弟の姿を見て、第一王子は苦笑を浮かべた。
「そんなもの、しょせんは世迷い事に過ぎぬ……。
だが、あやつの力は欲しかった、な……。
いさめるために、あえてあのようなことを言ったが……それがかえって、奴の自尊心を傷つけてしまった」
「兄上の真意を理解せぬアスルではあるまい。
だが、その上で……男には我を通したい時もあるだろう。
あいつは、少々それが強いのだ。
しかし、いずれは……もうじきには、帰って来ると俺は信じている」
兄弟二人で、いまだ『死の大地』を巡っているだろう弟の肖像画を見やる。
二人とも、あの弟が死んでいるなどとは夢にも思っていなかった。
しかし、その弟が世迷い事のごときそれを見事発見せしめていることには、想像が及んでいなかったのである……。




