マグロ対決! 後編
元より、試食会をするつもりで各種の食材や調理器具を運び込んでいたこともあり……。
あっという間に格納庫へ簡易キッチンが設置され、ウルカとクッキングモヒカンが調理に入る。
余談だが、マグロを解体したのはバンホーだ。
いわく、
「亡き国王陛下へ尽くすため身に着けた、数々の余技が一つにございます」
とのこと。
いやあ、お前の苦労話聞くと本当に泣けるわ。
多分、マグロ解体に使われた腰の物も泣いてると思う。
本当、出世のためならなんでもする人生だったんだな……。
ともあれ、両者の調理は順調に進み……。
「まずは、クッキングモヒカンさん」
『マスターに料理をお出ししてくれ』
「ヒャハ! 言われるまでもねえ!」
司会進行を務めるイヴとトクにうながされ、クッキングモヒカン――かつての宮廷副料理長が出来上がった品を供する。
果たして、真白き皿の上に盛りつけられたのは……。
「ヒャア! 宣言通りマグロソテーの香味野菜添えだ!
久しぶりの宮廷料理、存分に味わってくれ!」
「ほう……」
審査員席でそれを見た俺は、思わず感嘆の声を漏らす。
例え、モヒカンザコに身を落とそうとも……。
その手際は、相変わらず見事のひと言である。
皿の上には、切り分けられたマグロのソテーが立体感を強く意識して盛り付けられており……。
その上には、隠れ里で育てられたカイワレ大根、万能ねぎ、ミョウガ、生姜などが乗せられ、料理を美しく彩っていた。
見事なミディアムレアに焼き上げられたマグロ肉の断面は、美しい層を形成しており……。
見た目にも華やかで、見る者の食欲をくすぐる一皿に仕上がっている。
「お前の料理は子供の頃以来だが、相変わらず見事な腕前だ……」
「ヒャハ! お褒めに預かり光栄だぜ!
なんなら、今からでも王宮勤めを果たせるつもりでさあ!」
「調子に乗るな。お前が作っちまった子供に、『僕の本当の父さんってどんな方なんですか?』と聞かれた俺の心境も考えろ」
「……マジすいませんでした」
彼、元気にしているだろうか。
お前の本当の父さん、ここで元気にモヒカンザコやってるよ。
色んな意味で懐かしい気持ちにさせられる料理へ、スクリとナイフを差し入れる。
そして彩りの香味野菜を乗せ、一緒に口の中へと放り込んだ。
「ふうむ……」
思わず、うなり声を漏らしてしまう。
まるで、口の中で交響楽団が楽曲を奏でているような……。
なんとも言えず、重奏な味わいである。
魚肉というものは、どうしてこうまで味わい深いものなのだろうか……。
完璧な加減で火を通されたマグロ肉は口の中でほろりとほぐれ、陸に生くる生物では決して生み出せぬ濃密な旨味を口中に広げてくる。
しかも、この脂は……。
肉を噛み締めると、もはや飲み物と形容しても差しつかえのないさらりとした脂が、するりと喉奥へ流れ出し……。
脳髄をガツンと殴られたような、強烈な多幸感が湧き上がってくるのだ。
あるいは、それだけならば少々くどく感じられたかもしれない……。
それを引き締めるのが、彩りとして乗せられた各種の香味野菜である。
いや、これを脇役のように語るのは不敬であろう。
彼らもまた、主役。
――カイワレ大根が。
――万能ねぎが。
――ミョウガが。
――生姜が。
その香味とぴりっとした辛味でだらけそうになる舌を引き締め、むしろ、よりはっきりとこの大物マグロに秘められた味わいを感じさせてくれるのだ。
「美味い……美味すぎる!」
更なる一口を味わうべく、フォークとナイフを繰り出そうとしたが……。
『おっと、そこまでだ』
「次の審査に差しつかえます」
司会進行役の二人に止められてしまった。
「そうか……いや、分かった」
できれば、温かい内に全てを平らげてしまいたかったが……。
そう言われては否も応もなく、次なる料理の審査に移った。
『では、お次の料理』
「ウルカ様、お願いします」
トクとイヴにうながされ、我が嫁が料理を俺に供する。
「これは……!?」
しかし、それを見て俺は驚愕に目を見開くこととなったのだ。
獣人国の一団を仲間に加えて以来……。
俺たちの食事は、基本的にウルカが音頭を取って支度している。
ロンバルド王国の料理とはずいぶん毛色が異なるものの、醤油や味噌を使った味付けは美味しく、その腕前は信頼していたのだが……。
これは……その……なんだ……。
「その……ウルカ……言いづらいんだけど……これは料理……なのか……?」
俺が思わずそう尋ねてしまったのも、無理からぬことであろう。
クッキングモヒカンが使ったのとは対照的な、黒い四角皿……。
その上で、隠れ里産の大根を糸状に切ったものや、同じく隠れ里産のしそを枕に盛りつけられていたのは――マグロの切り身だった。
そう……切り身である。
生の……切り身である。
料理というよりは――食材!
生のマグロ切り身が、そこに盛りつけられていた。
工夫らしい工夫といえば、これは『マミヤ』に保管されていたものか……?
緑色をしたなんらかの野菜をすり下ろしたものが、ちょこんと少量添えられている。
まあ、だからなんだという話だが……。
……もしかして、田んぼに塩をまこうとしたことまだ怒ってるんだろうか?
恐るべき鬼嫁の所業に身を震わせる俺に、ウルカが笑顔でこう告げた。
「マグロの刺身です。
――ご賞味ください」
これに付けて食べろということか、醤油の入った小皿が置かれる。
なるほど、なるほど……。
そっかあ……。
――今回は、毒殺オチだったか。
全てを悟り逃亡しようとする俺の背中を、伸縮自在の腕を伸ばしたトクが押さえつける!
『マスター、どこへ行くつもりだ!?』
「トク! 貴様……!
ハ! ナ! セ!」
く……さすがは巨大ロボットのパワー……強い!?
身動きできずにいる俺にイヴが歩み寄り、両手で強引に口を開かせた。
「ウルカ様。
どうやら、マスターは魚を生食する風習を持たず抵抗がある様子です。
今の内に、無理矢理放り込んでください」
「承知しました」
「ほあー! ひゃ、ひゃへろー!」
何これ? なんなのこの状況!?
拷問さながらな地獄絵図の中、切り身の一つを箸で持ち上げたウルカがそれを醤油にちょんと付ける。
そしてそれを……俺の口に放り込んだ!
ああ、死んだはずの祖父よ……!
最近よく会いますが、またまた会いにいきます!
イヴに手を放され、諦観と共にそれを咀嚼し始める俺であったが……次の瞬間、目を見開いた。
これは……美味いだと!?
噛み締めた口の中……。
舌の奥からじわりと広がっていくのは、海中を恐るべき速度で泳ぎ続けた回遊魚のみが持ちうる、豊潤な赤身の味……!
味付けといえば、ほんの少量だけ付けた醤油のみであり、塩の一つまみすら振られておらぬ。
しかし、それゆえ獣肉にすら劣らぬ力強い肉の味がストレートに感じられるのだ。
しかも、このぷりぷりとした弾力ときたら……!
火を通してしまえば、こうはいかない……。
生のままだからこそ、歯を受け止めて踊るようなこの歯ごたえを堪能することができるのである。
「この勝負……ウルカの勝ちだ」
存分にそのひと切れを味わった後、俺は迷うことなく断言した。
「ヒャア!? バカな!? そんなただの切り身に俺の料理が負けただと!?」
「いや、ただの切り身に見えてそうではない……。
やわらかな身を崩さぬようカッティングする技術は、簡単に身に付くものではないだろう。
とはいえ、一皿としての完成度では双方、甲乙つけがたい」
「ヒャハ! ならどうしてだ!?」
詰め寄るクッキングモヒカンに、敗因を告げてやる。
「お前の料理……あの火入れは見事だった。
だが、この後にこれだけの人数、素早く提供することができるのか?」
「う……!?」
ひと言も発さず勝負の行方を見守っていたギャラリーを見回すと、クッキングモヒカンもそれを悟った。
そうだ……この勝負は俺だけが満足すればいいわけではない。
総員で五十名以上の、隠れ里全員が楽しめるものを提供しなければならなかったのである。
「俺の……負けか……」
うなだれながらクッキングモヒカンが引き下がると、俺は見守る全員に向けこう宣言した。
「決着はついた!
だが、ソテーの味も見事! 食べてみたいと思うものは彼に頼み、出来上がったものを分け合うといい!
では、ここからは全員でマグロを……そして他の魚介類を味わおう!」
――ワアッ!
……と全員が歓声を上げ、新鮮な魚介類を使った宴が始まる。
「アスル様、よろしければ次はこちらのワサビもお使いください」
満足しながらそれを見ていると、そっと歩み寄ってきたウルカが俺にささやきかけた。
「ワサビ……? これか?」
「はい、それを刺身に乗せるか、または醤油に溶かして食べるのです」
「ほほう……」
言われるがまま、ワサビなるすり下ろされた野菜をでんと刺身に乗せる。
「あ、ちょ――」
そしてそのまま、最近すっかり使い慣れた箸で掴み上げると醤油にちょこんと付け、口の中に放り込んだ!
「――――――――――ッ!?」
オチがついた。




