マグロ対決! 中編
――マグロ。
近海部で獲ることが可能な大型の回遊魚であり、種類によって大きさはまちまちであるが、小型ならば人間でも持ち上げることがかなう大きさだ。
が、大型のものとなればその大きさは成人男子のそれを優に上回り……。
トクが掴み上げてみせているそれは、素人目に見ても間違いなく超大物であった。
「ロンバルド王国だと春先辺りによく獲れる魚だけど、そこより北のここらだと冬の今頃に獲れるものなんだなあ……」
ともあれ、まさに獲れ立てぴっちぴちのそれを見ながらのん気な声を漏らす。
王城育ちの俺であり、こうやって獲れたばかりのマグロを見るのは当然、初めてのことであった。
あまり詳しくはないが、マグロというのはしめ方と保存法が重要な魚だそうであり、基本的に魔術師が乗り込むような大型船で獲られ、術により冷凍した状態で水揚げされるのである。
かちこちに冷凍されても十分に美味しい魚なのであるが、いやはや、獲れ立てなこの状態ならどれだけ美味いんだろうな……。
思いがけぬ高級魚の登場にちょっと心が躍る俺であったが、ウルカたち獣人国勢の反応はもっと劇的なものであった。
「バンホー……! 見てください!
これだけの大物、果たして父上が存命の折にも見られたか、どうか……!」
「ええ、見てますとも……!
しかも、冷凍されていない状態とは……!
よくよく見やれば、しっかりと処理がなされている様子……これはトク殿が……?」
『ああ、皆を待ってる間にしめさせてもらった。
こればっかりは、早めにやっておかないと味が台無しになってしまうからな。
まあ、おれに味は分からんが』
バンホーに問いかけられたトクが、残る左手を掲げながらそう答えてみせる。
見れば、その指先からは毎度おなじみのモーフィング変形によって大型の刃物や、杭、うねうねと自在にうごめく鋼線が生み出されており……。
それらを用いて、各種の処理をおこなったのだろうと知ることができた。
いやはや、巨体に似合わず器用なことである。さすがは海の専門家だ。
「ふふ、潜水艦の試運転をするということで、少しだけ期待はしていましたが……。
この辺りの海では、今時分に獲れるものなのですね」
「獣人国では、ちょうど米の収穫期頃に見かけられる魚ですからなあ……」
『マミヤ』の改良品種と違い、通常のコメは確か秋頃に収穫されるのだったか……。
その時分に、ここより北部の元獣人国領地ではマグロが獲れるようになる、と。
その事実に、若干の引っかかりを覚えるが……。
まあ、そういうこともあるのかと気に留めず、他のことを尋ねる。
「二人とも、ずいぶんとマグロが好きなようだが……。
獣人は魔術が使えないだろう?
ロンバルドでは漁業を生業にする魔術師が術で冷凍させていたが、国元ではどうやったいたんだ?」
「それは……その……」
何か、まずいことを聞いてしまったのだろうか。
愛する嫁が、腹心の老サムライと目を見かわす。
すると、バンホーが深い息を吐きながら俺の質問に答えてくれた。
「……他国の魔術師を雇い、同様の処理をしていたのです。
今になって思えば、その中に間者の類もまぎれていたのでしょう……」
「それは……そうか、言いづらいことを聞いてしまったな」
それが全てということもないだろうが……。
そういった間者の跳梁を許したことが、滅亡した要因の一つではあったに違いない。
しかし、そこまでしてマグロを求めなくても、他の魚を食べればいい気もするのだけどな。
言葉にはせずとも、考えが伝わってしまうのが夫婦というものか……。
ウルカが、遠くを見つめながら口を開く。
「獣人国では、畜産に向いた土地が少なく、食料の多くを海に求めていました。
その力の入れようときたら、武芸の一環として釣道が取り入れられていたほどです。
そして、大物のマグロを釣るというのは戦場で首級を上げるのにも匹敵する名誉であり……」
「……その味の良さもあって、他国者の魔術師を雇ってまで追い求めたというわけです」
主君の言葉を引き継ぎ、バンホーがそう締める。
食い物への、執念か……。
こればかりは、致し方あるまい。
人は、食へのこだわりを捨て去ることができぬ。
ロンバルド王国という狭い世界しか知らない俺でも、各地に特有の郷土料理が存在することは知っている。
それらが生まれたのは、人間が持つ食への欲求あってこそなのだ。
言葉にこそしていないが、かつての獣人国も身元の調べくらいはしっかりやっていただろうしな。
相手が上手だったのだろう。
「スッゲー! 魔物みたいにデケー魚だな!
これ、食べれるのか!?」
ちょっとしんみりしてしまった空気を打ち砕いたのは、エンテの能天気な言葉だった。
いや、これは意識してそうしてくれたのだろうか?
……可能性は半々、といったところだな。
見れば、彼女が率いる……というより彼女を世話すべく出張しているエルフの娘衆も興味津々といった様子でマグロを見上げていた。
「はは、エンテたちは森育ちだからマグロを見るのは初めてか?」
「ああ! 人間とも少しは交易とかしてたけど、実用品とかばっかりだったからな!
冷凍した魚は高くつくし」
「なるほどだな……。
さっきの質問だが、こいつは美味いぞ。
ウルカたちの熱意には劣るが、俺も大好きだ」
太鼓判を押す俺の言葉に、エンテが子供らしく目を輝かせる。
「これだけでかいんだし、オレたち全員で食えるんだろ!?
一体、どんな風に食べるんだ!?」
「そうだなあ……」
あいにく、料理に対する知識は薄いがそこは王室育ちの俺だ。
過去に食した料理を思い起こしていると、意外な人物が一歩前に歩み出た。
「ヒャア! そんなの決まってるぜ!
オリーブオイルでソテーして香味野菜を添える! これに尽きるぜ!
元宮廷料理人の俺に任せてくれりゃあ、最っ高に美味いマグロを食わせてやらあ!
――ヒャッハー!」
……モヒカンザコの一人である。
いや、人に歴史ありとは言うけどさ……。
ん……というか元宮廷料理人……?
俺は件のモヒカンザコに歩み寄り、その顔をまじまじと見つめた。
「!? お前は……貴族子女との不倫がばれて俺が子供の頃に城を去ったあの……!?
モヒカンザコに……つーか奴隷に身を落としていたのか!?」
「ヒャッハー! いつ気づかれるのかと内心ドキドキしていたぜ!」
やめろ! 妙な設定を生やすな! テメーらはモブのままでいてくれ!
しかし、これは朗報だ。
こいつ、モヒカンザコ化していることから分かる通り、何事も本能的に動くところがあって不倫とかしてたわけだが、何気に副料理長やってたからな。
腕前は……というより、腕前だけは確かだ。
「そういうことなら……」
と、言いかけた俺であったが。
背後に不穏な空気が立ち昇るのを感じて、振り返る。
「オリーブオイルでソテーする……?
聞き捨てなりませんね」
ウルカと……彼女率いるサムライ衆だ。
我が妻のこんな姿は、初めて見る。
表情こそおだやかなものであるが、しかし、その眼差しは一切笑っていないのだ。
「バンホー、聞きましたか?」
「ほっほ……残念ながら、耳の良さは我ら獣人の取り柄ですからな。
しかし、よりにもよってこれほどのマグロをソテーにするなどとは……。
ほっほ……!」
ウルカとモヒカンザコの間へ、にわかに剣呑な空気が広がっていく。
「ヒャアッ!? 俺の料理にケチつけようってのか!?
そこにいるアスル様だって、俺の作った離乳食で育っているんだぜ!?」
「だから色々と残念な所が散見されるのでしょう……。
ここはひとつ、真の美食というものをアスル様には味わって頂くべきです」
「何を!?」
「なんです!?」
ちょっと俺に飛び火させつつ、睨み合う両者だ。
「これは、双方とも、勝負の合意とみなしてよろしいですね?」
長い髪を様々な色合いに変化させつつ、無表情に仕切り始めたのはイヴである。
「マスターを審査員とし、どちらのマグロ料理が優れているかその舌で判断してもらう。
それでいかがでしょうか?」
「ヒャア! いいぜ! 望むところだ!」
「受けて立ちます!」
ウルカもモヒカンザコも、イヴの言葉へ即座にうなずく。
「いや、ちょっと……お前たち……」
急に審査員役へ任命された俺は、どうにかそれを止めようとしたが……。
「ヒャア! アスル様は黙っていてくんな!」
「そうです! アスル様は黙っていてください!」
「……うす」
すごい剣幕で双方から睨まれ、口をつぐむ他になかった。
こうして、俺の意見など一切聞かず……。
料理対決の幕が上がったのである。




