マグロ対決! 前編
果たして、この目に映っているのは現世の光景なのか……。
それが、リニアレールに乗ってこの場へ訪れた俺が最初に抱いた感想であった。
「これは……海女でさえも、これほど鮮明に海中の様相を見た者はいないことでしょう」
「信じられませぬ……これほど薄いガラス板一枚で、海水の圧に抗うとは……」
俺に続いて入室したウルカとバンホーが、目を剥きながら驚きの言葉を発する。
「見た目では薄く見えますが、このアクリルガラスの厚みは80センチに達しています。
極めて頑丈でありながら透明性に優れており、クリアな海中展望を楽しむことが可能です」
「アクリルっていうのがなんなのかは分からないけど、要するにスッゲーガラスってことか?
海の中ってのも、森に負けないくらい色んな生き物が溢れてるんだな!」
遅れて入室したイヴがいつも通りの無表情さで解説すると、エンテが年齢にふさわしい素直さで感動をあらわにしていた。
「資源採掘を目的として造ってもらったこの基地だが……。
なるほど、トクの意見を採用したのは正解だったな。
これは、一見の価値がある」
恐る恐る、壁面を構成するアクリルガラスとやらに歩み寄り……。
そっとそれに触れて頑丈さを確かめながら、俺はそうつぶやいた。
ここは、三大人型モジュールの一人――トクに命じてかねてより建設させていた、海中基地の展望室である。
基地は『死の大地』が面する海岸部の地下五十メートルほどの位置へ建設されており、海中の崖部に面する形となっていた。
その崖の一部を大胆にガラス張りへ造り直し、海中の景観を楽しめるようにしたのがこの展望室だ。
展望室の広さは、ロンバルド王城玉座の間を優に超える。
その壁面が総ガラス張りとなり、海中の景色を楽しめるようになっているのは……圧巻のひと言であった。
「ふうむ……。
魚というのは、海中をこのように泳ぐものなのだな……」
「ヒャア! 魚なんて辺境伯領領都の市場で見慣れたもんだが、こうやって海ん中を泳ぐ様を見ると別物に見えるぜ!」
オーガと彼女が率いるモヒカンザコたちも、今ばかりは知的な好奇心に目を光らせ、ガラスに隔たれた向こう側の景色を楽しんでいる。
地上に生きる生物として、海の中へ放り込まれたようなこの景色には本能的な恐怖も感じはするが……。
それをくつがえすほどの、圧倒的な感動がここにはあった。
「しかしまあ、これに感心してばかりもいられないな……。
何しろ、この基地を造らせたのは資源を得るためなのだから」
油断していると、何時間でもただただ海中世界を楽しんでしまいそうなので……。
あえてそう言葉に出し、己の気持ちを引き締める。
そう……この基地を造った目的は海中の景観を楽しむためではなく、あくまでも資源を得るためなのだ。
――塩。
――海産物。
――交易。
海というものが人間にもたらす恵みは、歴史書を通じてよくよく知っているつもりであったが……。
『マミヤ』のデータベースに触れることで、俺はまだまだ自分の認識が浅かったことを思い知らされていた。
メタンハイドレート……石油……天然ガス……マンガンなる金属や各種のレアアース類……。
膨大な海水の向こう側に隠されているのは、重要な資源の数々であり……これらは『マミヤ』の超技術を使った各種工業製品の生産に欠かせぬ。
とりわけ重要なのは塩であり、俺はこのありふれた調味料が工業・化学の分野で実に様々な形で活躍することを、『マミヤ』を通じて初めて知ったのであった。
「イヴ、早速だが今日も今日とて研修会だ……。
基地内の各施設を案内してくれ」
「承知しました」
俺の言葉に、有能なる秘書は髪の色合いを無限に変化させながら無表情にうなずく。
そして取り出した小さな旗には、王国の文字で『アスル様御一行』と書かれていたのである。
それ、どこの施設を視察する時にも持ってるけど、気に入ってるのか?
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――脱塩施設群。
――各種資源加工施設。
――海産物加工工場。
『死の大地』各所にキートンが建設した地下基地群の設備と同様、ここに存在するそれらも俺たちを圧倒し、これまで抱いてきた常識を破壊するのには十分な代物であった。
個人的に、とりわけそれが大きかったのは……脱塩施設群であろう。
『マミヤ』のそれと違いほぼほぼ食用用途ではあるが、塩というものが古来より重要な資源であったことは現行文明においても変わらぬ。
ゆえに、俺は王族としてロンバルド王国の塩田を視察したこともあるし、その取れ高も把握していた。
父王グスタフ・ロンバルドが若い頃に考案し、天才の名を欲しいままにしたという入浜式塩田は海水の取り込み効率においても、塩の生産能力においてもこれを上回るものはないだろうと感心したものだが、いやはや……。
ここで製塩される塩の量は、たった一日でロンバルド王国の年間生産量を超える。
そもそも、『マミヤ』の超技術を活かした工業・化学用品生産には食用のそれなど及びもつかないほど大量の塩が必要なのだから、これを支える脱塩施設群に相応の能力が備わっているのは当たり前なのだが……。
今でも父を尊敬する気持ちそのものは変わらない身として、正直、ちょっと複雑である……。
我が友ベルクが治めるハーキン辺境伯領なんて、入浜式塩田を作るために巨額の予算と大量の人員及び奴隷を投じたんだけどな……。
「ここが本日の研修ツアー、最後の施設。
トク及び漁業用潜水艦のドックとなります」
さっき見た海中の光景くらいにはブルーな気持ちを抱えた俺は、その空間へと足を踏み入れる。
そこは、『マミヤ』に存在する格納庫とよく似た巨大な空間であった。
相違点は、あちらと違い空間圧縮技術が用いられていないことと、海中基地に特化した様々な装備が存在することであろう。
分かりやすいところでは、初注水施設だ。
ドックのゲートは、最初に案内された展望室と同様に海中の崖へ設けられているわけだが、当然ながら、ここから入れば大量の海水も基地内に取り込まれる。
そのため、トクや潜水艦は基地からの発進及び帰投時、このドック内に海水を取り込み、あるいは完全に吐き出させることになるのだ。
今は吐き出し終えて、どうやっているのか潮の匂い一つしない無機的で乾燥した空間が広がっている。
そこで俺たちを待ち構えていたのは、俺の肝入りで一から開発してもらった漁業用潜水艦と、そのかたわらに立つトクであった。
――トク。
三大人型モジュールで最強のパワーと頑強さを誇る、海中開発用の巨大ロボットである。
見た目にも分厚く幅広いシルエットをした巨体は黄を主体としたカラーリングで彩られており、武骨な箱型の頭部は職人然とした印象を見る者に与えた。
で、まあそれはいいんだが……。
最大の特徴である、じゃばら状をした腕で抱えているその魚は一体……。
「トク、それは……」
『ふっ……』
武骨な見た目同様、あまり冗談など言わぬ性格の彼が、いつになく陽気な雰囲気を放ちながら魚の尾を右手で掴み上げる。
人間の身長を優に超える巨大魚は、全長九メートル近くのロボットにそうされても尚、迫力があり……。
――ゴクリ。
……と、隣に立つウルカやバンホーたちサムライ衆が喉を鳴らすのが伝わってきた。
そしてトクは、その魚を掲げながらこう言ったのである。
『マグロ……ご賞味ください』




