その血の起源
はるか頭上で天然の屋根がごとく複雑に組み合わさった木々の枝が、日の光というものをさえぎり……。
足元では、飼い猫にいじられた毛玉のごとく極太の根が絡み合い、地面を隆起させ……歩きづらいことこの上ない。
ハーキン辺境伯領に存在する他の森林地帯と異なり、エルフのそれは林業を目的としていないため比較的手が入っていないのだが……それにしても、この一帯は度が過ぎていた。
まあ、ここらに生えている樹木は、いずれも大の大人が何人も輪にならなければ囲めぬほどの太さであり、木材に適しているとはちょっと思えないけどな。
そんな神秘性すら感じられる奥深き森の中、平地と変わらぬ軽やかな足取りで俺を先導する長フォルシャ……。
彼の案内がなければ、俺のごとき森の素人はたちまちの内に迷子……いや、遭難してしまうことだろう。
自治区のエルフらを正式に配下として組み入れた翌日、早朝である。
長年、『死の大地』をさまよい歩いてきたこの俺にとって、自治区が存在する森林の清涼な空気はそれだけで馳走と呼べるものであり……。
朝の散歩がてら存分にそれを味わっていた俺を誘い、長フォルシャはこの一帯へといざなったのであった。
いわく、
――盟主となったアスル殿に、ぜひ我らエルフの聖地を案内したい。
……とのことである。
無論、そんなものはただの口実に過ぎまい。
実際には、エンテの単独行動により中断されてしまった先日の話をしたいことがありありと見て取れた。
それは当然、余人を交えるべきものではないのだろうが……。
それにしても、こんな森の奥深くまで来ることはないんじゃないか?
そろそろ疲れてきた俺が、不満を覚えつつあったその時である。
「……ここだ」
長フォルシャが、ふと足を止めた。
「ここと、言われてもな」
追いつき並び立った俺が、疑問の声を上げる。
エルフを束ねる者ともなれば、木々も人間の顔を見分けるがごとく判別できるかもしれないが……。
俺にはちょっとばかり他より立派な木に、やたらめったらとツタが絡みついているようにしか見えない。
「ふ、ふふ……。
見れば分かりますとも」
そう言いながら、長フォルシャが右手で軽く印を結ぶ。
これなるは、魔術の発現であるに違いない。
その証拠に、見よ――絡みついていた大量のツタが、己の意思を持つがごとく振る舞い退いていくではないか!?
だが、驚くべきはその魔術ではない。
「――バカな!?」
それを見て、俺は驚愕の声を上げた。
ツタが退いた、その奥……。
樹木の表面に、『マミヤ』内部にも存在するエレベーターの入口が現れたのである。
すると、この木は……?
「……これなるは、自然の樹木ではありません。
先人らが、我らエルフにも見分けがつかぬほどの巧妙さで作り上げた人造物です」
長フォルシャがそう言いながら、エレベーターのドアを開く。
……これがいかなる施設に通じているのかは知らないが、それは『マミヤ』と同様にまだ生きているということだ。
もっとも、あちらが隠されていた洞窟と違い、転移装置を組み込まれていないのには若干の簡易さを感じるがな。
ともかく、覚悟を決め……いざなわれるままエレベーターに乗り込む。
カモフラージュされた樹木の内部から、はるか地下深くに存在した空間……。
そこで俺が目にしたのは、己に流れる血脈の始まりであった。
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超古代文明技術によって、地下深くへ構築された施設……。
それは、俺が『マミヤ』内部で見学したある施設を小規模にしたものであった。
すなわち、
――培養施設。
……である。
『マミヤ』内部のそれは、馬や牛が丸ごと入るほど巨大なガラス容器がずらりと並んでいた。
イヴの説明によれば恐るべきことに、先人たちがイデンシなるものを保存した各種生物を、その中に生み出すことができるらしい。
奴隷たちを受け取ったならば、早速にも活用していこうと思っている施設だ。
だが、説明を受けた時からしこりのように心の中へ残っていたことがある。
イヴは言っていた。
――マスターの存在を感知した『マミヤ』により、私もここで生み出されました。
……と。
それはつまり、動物どころか人間すらも生み出せるということ……。
『マミヤ』と違い、この施設にあるのは空のガラス容器が一つだけだ。
それを懐かしそうな顔で撫でながら、長フォルシャがゆっくりと告げる。
「偉大な先人たちは、いかなる理由によってか、その英知も文明も捨て去ることを選んだ。
しかし、いずれそれが必要になった時のため、または子孫たちが心変わりを決意した時のため保険を残した。
ある血を持つ人間にのみ、あなたが『マミヤ』と呼ぶあれを復活させる権限を与えたのだ」
それは、古文書から導き出した俺の推測と一致していた。
実際、俺は祖先の意に反し、『マミヤ』の復活を決意し捜し出したのだから……。
「ゆえに、その血が途絶えることがあってはならない……。
もし、なんらかの理由によりその血脈が途絶えた時……。
ここには、新たな資格ある者が生み出されるのだ」
あえて気にしないようにしていたが……。
古文書を研究していた時、考えたことがある。
――ロンバルド王家が超古代文明の継承者だとした場合、歴史が浅すぎるのではないか?
……と。
何しろ、王家の歴史は五百年に届くかどうかだ。
古文書内に存在したいくつかの記述とも、明確に矛盾していたのである。
その解が、ここにあった。
「その者が生まれたならば、守り育てた後……。
同時に生み出される書物の数々を持たせ、送り出すのが我が一族の使命……」
長フォルシャが、ちらりと室内の一角を見やる。
ガラス容器に気を取られ、意識していなかったが……。
そこには、『マミヤ』でも見た製本一括型プリンターが存在していた。
そういえば、古文書は信じられないほど見事な……見事すぎる装丁だったのである。
これを使って生み出したのなら、納得だ。
「王家に伝わる伝承では、このように語られている。
建国王ザギ・ロンバルドは、エルフの長フォルシャを師父としていたと」
「アスル殿は、彼とよく似ておられる」
ほほえむ長フォルシャ……祖先の師父どころか、父そのものと呼べる存在に見守られながらガラス容器にそっと触れる。
「そうか……我が一族は、ここから生まれたのか」
当然ながら、容器が答えることはない。
命が生み出された場所とは思えぬほど、冷たい代物がそこにあった。
「同時に、我が一族にはこうも伝えられている……。
それなる血族の子孫がかつての技術を蘇らせたのならば、仕え補佐するようにと。
――アスル殿。
あらためて、ここに誓おう。
住まう土地は異なれども……。
我ら辺境伯領自治区のエルフ一同は、あなたを盟主として仰ぐと」
感傷にひたるのをやめ、長フォルシャと向き合う。
「……真の意味で、その誓いを受け取ろう。
ここへ連れてきてくれたことへ、感謝する」
こうして俺は、自身に流れる血へ託された願いと、一族の起源を知ったのである。




